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食材偽装表示問題と小林秀雄の『真贋』
自慢じゃないけど味音痴です。当然、先日来お詫び会見が続いている有名ホテルのレストランなど、自分で食べに行ったことはありません。でもどの料理も、きっと相当な値段がするのでしょう。それだけ払っても食べに行く人達は、繊細な味覚を持つ美食家と自負なさっているに違いありません。それで、メニューに芝エビとあるのに実は違うことに気付かなかった... それならそれまでと言うものでしょう。健康に害のあるものを食べさせられたわけでもないし、大騒ぎする程のことなのか知らん。まさか、芝エビという言葉を食べに行ったわけではないでしょう。
味、風味、歯触り舌触り、何でも良いけど期待して行った。払った金額に見合った料理を食べたと思い、満足して帰って来た。実はバナメイエビだったのに、調理や味付けの効果もあってか芝エビと思って食べた。それならその人にとっては、バナメイエビでなくて芝エビを使うことに、理屈の上では特に意味は無かったとも言えます。最近の日経の記事に流通大手のトップのコメントとして、「日本人の食材や産地のブランド信仰が偽装の温床となっている」とあります。「食材や産地のブランド信仰」とは裏返して言えば、食べる側に自分の舌で勝負する気が無い、ということじゃないでしょうか。
もちろん、芝エビにしては何かおかしいと思いながら、まさかこの有名ホテルのレストランで違うものを食べさせるなんてあり得ないと考え、敢えてその場では苦情を言わなかった、いや言えなかった、ということも考えられます。そりゃ腹が立ちますよね。
あるいは、芝エビと思って食べたのが実はもっと安いエビだった、それが分った途端に腹が立ってきた、というケースもあり得ます。バナメイエビを使っているなら、もっと安い値段で件の料理が食べられたはずで、そういう意味では確かに、表示と中身が違うのは怪しからん...
などとヘソ曲りの弁を述べた後で何ですが、小林秀雄が書画骨董の買物について書いた『真贋』の一節を思い出しました。今回の事件がちょっと別の角度から見えるような気がする:
「... ホン物は減る一方だから、ニセ物は増える一方という勘定になる。需要供給の関係だから仕方がない。例えば雪舟のホン物は、専門家の説によれば十幾点しかないが、雪舟を掛けたい人が一万人ある以上、ニセ物の効用を認めなければ、書画骨董界は危殆に瀕する。商売人は、ニセ物といふ言葉を使ひたがらない。ニセ物と言はないと気の済まぬのは素人で、私なんか、あんたみたいにニセ物ニセ物というたらどもならん、などとおこられる。相場の方ははっきりしてゐるのだから、ニセ物といふ様な徒に人心を刺戟する言葉は、言はば禁句にして置く方がいいので...」
読めば読むほど、お詫び会見の際に繰り返される苦しい説明の、真意が見えてくるような気がするのです。
- [恐れ多いが食について]
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