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読めればいい漢字と蘭学
もう十年以上昔のことですが、常用漢字表が改定されるとの記事を読んで、大きな解放感を味わいました (『日経』2010年6月8日付)。改定答申が、「書けなくても読めればいい漢字」という考え方を明確に打ち出したからです。これまで、「読める漢字 = 書ける漢字であるべきだ」という原則をかざして漢字制限を狙う勢力の方が強く、丸谷才一などが「漢字制限は日本語の表現力の衰弱をもたらす」と反論してきたわけですが、今回遂にその原則が斥けられた (同記事):
「パソコンなど情報機器の普及を受け、憂鬱の『鬱』や語彙の『彙』など、画数が多く手書きでは難しい字も採用された。このため答申では『すべての漢字を手書きできる必要はない』と断り書きし、読み手に配慮して振り仮名を付けることを勧めた」
ここで念のため、この種の表の歴史を振り返ると (『日経』6月7日付記事要約):
1946年に当用漢字表 (1850字) 制定:「日常で使える漢字の範囲」を示し、表に無い字は別の言葉に置き換えるか仮名書きにするという、制限色の濃いもの。
1981年に常用漢字表 (1945字) 制定:「一般社会で使う漢字の目安として」、当用漢字表に95字を追加し制限を緩めた。その後、法令、公文書、新聞・雑誌などは原則としてこの表にある字で表記され、表外の字は振り仮名を付けるなどの工夫がされている。
2010年の改定常用漢字表:81年に比べて196字追加し5字削除した結果、2136字。
しかし、「書けなくても読めればいい漢字」を受け入れることにした以上、何も今まで入っていた「勺、錘、銑、脹、匁」を削るようなケチなことをせず、むしろ全部で3000字か4000字、いやこの際5000字くらいに拡げれば良かったのではないか。相変らず、「なるべく少なくしておこう」という意識が残っているのが残念です。
この際、読める漢字=書ける漢字であるべきとの原則をかざして漢字制限を狙った人達が、現在どう考えているのか、少しは反省しているのか、知りたいものです。
もっとも常用漢字表では以前から、科学・技術等の専門分野や芸術・小説あるいは個人的な日記等で使う言葉は対象としていないそうですし、新規追加196字のリストを良くよく見ると、「嵐、淫、岡、崖、虎、頃、誰、憧、藤、瞳、謎、闇」など、既にこのブログで使ったものも多数あります。それでFC2から追放されるわけでもなく、街を歩いていて「あんた閃緑藻だな、ちょっと署まで来てもらおうか」なんて言われたこともありません。表に含まれているか否かなんて、気に病むことは無さそうです。
ところで、漢字の使用が話題になる度につくづく思うのは、蘭学の頃から明治にかけて西洋の文物・用語の一つ一つに、意味を踏まえて漢字による造語を当てていった、先人達の努力です。『解体新書』の前野良沢や杉田玄白、化学・生物学における造語に鬼才を発揮したと言われる宇田川榕庵などのお陰で、水素、酸素、炭素、分析、神経、動脈、脊髄、細胞、遺伝子、電車... その他何百何千という造語が作られ、れっきとした日本語として定着した。
丸谷才一が言うように、これらの造語を使う側からしても、「漢字は一字一字が意味概念を持っているから、その組み合せによる新語と出合っても類推がきく」。上に挙げた水素・酸素等の用語が全て、最近の新語のように欧米語のカタカナ表記という形で導入されていたら、一体どうなっていたか。
「水のエレクトロリシスにおいては、水にダイレクト・カーレントを流すことによりオキシジェンとハイドロジェンが発生する。フューエル・セルでは逆に、ハイドロジェンとオキシジェンをカタリストを用いてリアクトさせることにより、水とダイレクト・カーレントが得られる」
なんていう文章を読み書きする羽目になっていたんじゃないでしょうか。
「水の電気分解においては、水に直流電流を流すことにより酸素と水素が発生する。燃料電池では逆に、水素と酸素を触媒を用いて反応させることにより、水と直流電流が得られる」
の代りにです。我々が既に酸素・水素等の用語に馴染んでいることを差し引いても、二番目の方がどんなに頭に入り易いか、論を待たず。そういう意味で、日本の近代化に際して漢字による造語が果した役割の大きさは、幾ら強調してもし過ぎることはないでしょう。たとえ中には不適切な訳語があったとしても。
ネットで見つけた情報によると、中国では16世紀のマテオ・リッチをはじめとして、西洋人と中国人の共同作業による西洋文献の漢訳が盛んに行われた。一方、1720年に将軍吉宗が漢訳洋書の輸入を解禁して以降、日本は西洋文化を主にこの種の漢訳を通して摂取した (例えば http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cozy-p/wasei.html)。そうした経験の蓄積があったからこそ、西欧語からじかに日本語に訳すようになっても、ごく自然に漢字による造語という手法を用いることになったのでしょう。
注の一:1774年の『解体新書』は漢文で書かれたそうですが、日本人が西欧語から直接翻訳したという意味では最初の試みであり、造語もかなり行われた。
注の二 宇田川榕庵の造語として次のものが知られている:
酸素、水素、窒素、炭素、白金
元素、金属、酸化、還元、溶解、試薬
細胞、属
圧力、温度、結晶、沸騰、蒸気、分析、成分、物質、法則
注の三 第二パラグラフで言及した丸谷才一の反論は、次に収められています:
『桜もさよならも日本語』(新潮社)、
II「言葉と文字と精神と」、p.107
(または中央公論社 シリーズ『日本語の世界 16』)
注の四「言葉と文字と精神と」は、戦後以来の国語改革について論じたもので、色々面白い話が書いてあります。例えば敗戦直後には、日本語を全面的にローマ字表記する案が、日本側も含めて真剣に検討された。真夏の怪談みたいな話ですが、ホントです。
注の五 怪談ついでにもう一つ (丸谷才一『日本語のために』(新潮文庫)、「日本語への関心」)。志賀直哉が敗戦の翌年に、この際だから日本は思い切ってフランス語を国語に採用したらどうか、と言ったそうな。日本語の不完全・不便なところを痛感してきたからと言って、母国語を捨てちゃあ元も子もない。小説の神様の名を欲しいままにした日本語の使い手、志賀直哉にそれが分らなかった... 一瞬ゾッとして涼しくなりませんでした?
- [言葉、ことば、言の葉]
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