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ドキュメンタリー番組とヤラセ
テレビのニュース番組ではよく、現場取材やドキュメンタリー風の映像が流れます。いずれも現場で取材したことになってますが、あれってホントに現実の場面にたまたま出くわして、実際に起こっていることを撮影したものなんでしょうか。
先日も「大型連休に資格取得」という話題が取り上げられました。連休中に各種資格の講習を受ける人々が増えているという話ですが、その一人の男性が自宅に帰って家族団欒の風景が映りました。妻が食事の後のデザートに果物なんか持ってきて、夫が小さな子供をあやしている。続いて、同じ部屋の隅の勉強机でその男性が参考書を開いて勉強する様子が映ります。でも彼は、あの瞬間ほんとに勉強していたんでしょうか。撮影チームがそこにいて部屋の中の様子とか色々撮影している、そんな状況で、集中して考えたり記憶したりできるもんでしょうか。
私がこんな疑いを持つようになったのは、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した後のドキュメンタリーで、彼がある大作を書き終えて原稿の最後のページに署名する、その瞬間が画面に映った時からです。だって、小説を書き上げて最後のページに署名するその瞬間にたまたまテレビの取材チームがそこにいたなんて、執筆の過程にぴったりくっついていなければ起こり得ないでしょう。しかし大江健三郎ともあろう、本格的な文学を深い思索に基づいて書く作家が、原稿を書いているところをず~っと撮影させるなんてこと信じられます?
NHKもやり過ぎたんですよね。あんな極端な映像作りさえしなければ、私は死ぬまで、NHKの画面に映るものは全て、フレームやアングルの選択はカメラマンの胸三寸であるにしても、ともかく現実に起こっていることをカメラに収めてきたものと信じ込んでいたでしょう。
あるいは何かの事件が起こって、大学の先生の専門的見解を求めるような場合、必ずと言っていいほど、彼がパソコンの前でマウスを動かしているシーンから始ります。研究生活の一端を垣間見せましょうてな雰囲気で映るわけです。あれなどポーズを取らしているに違いありませんが、何故そんなことをする必要があるのか、全く理解できません。今どき、大学の先生が何かデータを取って分析してどうのという時に、パソコンを使っていることくらい、わざわざ見せてくれなくたって誰でも知ってます。先生が解説したり意見を述べる場面に、すぐに入ればいいじゃないですか。
一時期、テレビのヤラセ番組というのが問題になりましたが、ポーズ取らせて撮影しておいて、「実際に起こっている場面に出くわしたので撮ってきました」という顔して放映するのは、はっきり言えばヤラセじゃないですか。決まり切った形式に乗せようというマンネリなのか、何が何でもドラマ風に仕立てないと視聴率が取れないと思い込んでいるのか...、そんなことする理由を色々と想像している内に、突然思い付きました。ひょっとして報道カメラマンの一部には、ほんとはドラマを撮りたいという願望があるのか知らん...
追伸。NHKが、過去の番組に関して事実関係に誤りがあったと謝罪したそうです (朝日新聞 2010.05.30付け)。「インドの車社会を特集した中で、農村部の男性が車を購入し、納車を経て、家族とドライブに行くという一連の様子を放送したが、この男性は実際には車を購入しておらず、演じていた」というのです。NHK広報局の説明によると「記者が車の所有者を紹介してくれるようメーカーに頼み、メーカーが販売店などに依頼。販売店側が車の購入希望者を、購入した人として記者に紹介。記者は購入者と思いこんだまま取材した (...) 意図的に間違った事実を話すように依頼したことはなく」というのですが、真に受けられますか。上にご紹介したように、「たとえドキュメンタリーでも、映像のインパクトを増すためなら平気で演出を施す」という感覚で番組作りをしている以上、起こるべくして起こった事件じゃないでしょうか。
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