あてもなき 夢想に耽らぬ 人やある

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哀愁の調べ わが心を慰む(6)


唐突ですが、

 「

第二次大戦直後の1945年にロシアで作詞作曲された歌ですが、聴きながら字幕を読んでいたら何十年ぶりかにじ〜んときて、書き写さずにはいられませんでした:

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ

 明日は分らぬ
 この身の上
 せめて 翼休めよう
 荒野のただ中に

 砂埃は舞う 軍靴に
 荒野に 草原に
 辺りには 炎荒れ狂い
 弾丸が 風切る

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ

 銃声が轟き
 鴉が 空を廻る
 友は 草の中
 屍をさらす

 道は 彼方へつづく
 砂埃 巻き上げ
 大地は 煙上げる
 異国の大地は

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ

 松林の果てに
 陽は昇り
 懐かしい戸口に
 母は息子を 待っている

 果てなき旅路に
 荒野に 草原に
 我らの背を いつも見つめる
 懐かしい瞳

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ


もう何ヶ月も前からイージーリスニング系の音楽ばかり聴いていたのに (「哀愁の調べ わが心を慰む (19) ロシア風い〜じ〜りすにんぐ十選」)、どうしてこの悲痛な歌曲に辿り着いたのか、我ながら不思議ですが...

実はひと月も前のこと、ロシア風...の動画を片端から見ている内に、同じ曲が別の形で出てきました:

ロシアの画家ウラジミール・ズダノフ

農村風景を描いた絵画を見せる動画らしく、それも良いが、背後に流れる曲と伴奏のピアノがいたく気に入りました。普段は動画を開けて歌が聞こえたら、男女を問わずすぐ捨てるのですが、どういうわけか一瞬耳に入って捨てられなかった。

でも最初は歌詞には関心が無く、旋律が気に入ればそれで良かった。

ところが、ピアノ伴奏が弾けるかも...と、希望的観測を抱いたのがいけなかった(笑)。弾きながら歌声が頭に浮かべば、弾き語りの雰囲気やと考えて、繰り返し聞いている内に、どんな歌詞なのか好奇心が湧いてきて、検索してみたら意外な展開です。
 オペラ歌手とは言え如何にも荘重な歌い方が、平和な農村風景には些かそぐわないと感じていたのですが、歌詞を読んで歌声が一層心に染み込んできました。

追伸その一 動画「ロシアの画家...」には曲名も歌手の名前も添えてないのですが、譜面起こしの見積りを頼んだWINDS STAGE社が、注文を止めてしまう可能性も厭わず教えてくれたお陰で、検索が可能になりました。

追伸その二 動画の歌手ディミトリー・ホロストフスキーは、脳腫瘍を患い闘病生活の末、2017年に55歳で亡くなったそうです。こういう情報に接する度に、自分が20年も前に死んでしまっていたら、あれもできなかった、これもできなかった... と思わずにはいられない。

追伸その三 歌詞の和訳は複数存在します。他の訳を見ると、引用した訳が正確なのか疑問もありますが、翻訳の良し悪しは昔から女性の美...に喩えられて (実に怪しからん)、Belles infidèles (不実な美女) なんて表現まである。美しいが原文に忠実でない翻訳の意だ。
 ロシア語通訳で有名な故米原万理『不実な美女か 貞淑な醜女か』に、この表現の由来が書いてある。17世紀フランスに、古代ギリシャ・ローマの古典を翻訳して訳文の美しさで評判の作家がいたが、著名な学者が彼の翻訳を評して言った:
 「かって愛した女を思い出させる。
  美しいが不実な女だった」
引用した訳は、原文に忠実でない箇所があるかも知れないが、他の訳より遥かに心を動かされる。

追伸その四 ひねくれ者の贅沢を言えば、「母」の出てくるのがちょっと白ける。妻や恋人では駄目なの? それとも、私はエディプス・コンプレックスがきちんと処理されていないためにそう感じるのか知らん。

追伸その五 70過ぎの爺さんがピアノを始めたって、一体ど〜ゆ〜きっかけで? と思って下さる方は「哀愁の調べ わが心を慰む (1)」からご覧下さい。

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