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野の花に開眼の記
2009年のことです。マンションのベランダには浅い排水路があって、真中がわずかに高く、左右に向って傾斜しています。そのため中央部には、土ぼこりやら小さな石やらが少しずつ溜まっていって、小さな丘みたいになります。そこにある日、葉の厚いサボテンの一種かと思うような植物が生えてきました。
実は私、それまでは草花に全く関心が無く、両親からも「お前は花の名前も知らず、しょうのない子だね」と言われ続けてきたのですが、夏のカンカン照りの日など、ついその植物にコップ一杯の水を掛けてやったりしておりました。
そうしてひと夏生き延びたところで、マンションの管理組合が全戸一斉にベランダの床を張り替えると言います。勿論、ベランダに置いてあるものは全て、放っておけば工事の際に不要物として捨てられます。
あの植物も勝手に住み着いたんだし、工事があるのも運命、放っておこう、と一旦決めたのですが、明日は工事という日の夕方になって、何だか可哀想になり、手持ちの鉢にマンションの敷地の土を入れてきて、植え替えました。
すると見る見る成長し始めて、一体何だろうと思って一年くらいした頃、花屋の店先で同じ植物を見付けました。俗名「金の成る木」、別名「花月」でした。よそで見るとなかなか綺麗な花が咲くのですが、一旦見捨てる積りでいたのを恨んでか、三回目の正月になっても、一向に花を付けてくれません。
それはともかく、花月のために土を盛った鉢には、他にも何やら生えてきて、何になるんだろうと観察するのが非常に面白い。それからは他にも鉢を買って来て、とにかく敷地の土を構わず入れ、水をやりながら観察するのが趣味になりました。というのも必ず何か生えてきて、不思議に思っている内に鶏頭 (けいとう) になったり、爆蘭 (はぜらん) になったりするんです。
こうして植物に興味を持ち出して以来、路傍の何ということもない雑草でも、実に綺麗な花をつけているのに気付きました。バラだの蘭だのという高級観賞植物よりも、誰が植えたわけでもなく生えてくる植物の方が、魅力的です。単に花の全体を見るだけでなく、雄しべ・雌しべがどうなっているかを確認するまでじっくり眺めると、花びらの形や配色にも驚異的な多様性が見られます。蕾が次第に大きくなる頃から継続して観察すると、尚更その感を深くします。
名前の分らない花について調べる時は、「季節の花300」というサイトのお世話になっています (リンク参照) 。小さな花でも拡大写真などが用意してあり、確認するばかりでなく改めて鑑賞することも出来ます。
ところで野の花を見るたびに思い浮ぶのが、聖書のマタイ伝福音書第6章 28, 29節です。
「又なにゆえ衣のことを思ひ煩ふや。野の花は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり、されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにも及(し)かざりき」
キリストの教えと言えば、「すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」といった具合に過激なもので、凡人の私にはとてもついていけませんが、野の花の一節は彼の言葉とも思えないほど説得力があります。この一節は内容と文体が絶妙な調和を見せて有名なのか、丸谷才一も『日本語のために』に収められた「未来の日本語のために」の中で、文語訳聖書が口語訳より遥かに優れている例として、引用しています。
それにしても、様々な形をした花びらの、鮮かな青、新鮮な黄、また品の良い薄紫などなどを眺めていると、ほんとにどんな豪華な装いもこれに如かず、自然の妙としか言いようがありません。
後日譚 2009年の秋に鉢に植え変えて以来ほとんど十年、葉っぱばかりが生い茂って、どうしても花を付けてくれなかった「金のなる木」。2018年の秋になって、雲霞の如くと言いたいほど蕾が出て来ました。どうにも不思議で、本気で調べたところ... と申してもネット検索しただけです:
「みんなの趣味の園芸」:金のなる木
によると、小さな株によく花をつける花の咲き易い系統と、大株にならないと咲きにくい系統があるのだそうです。
事実、数年前から「根元が太くなったのう」と思っていたのですが、今回良く見たら直径10センチ以上ありそうです。
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*Comment
何と、野の花に感心があるとは!
私は農家の出なので、子供の頃から親しんでいましたから、今は自宅付近の草花・野の花・木の花などの写真を撮って、“e俳画@花野井”として、ほぼ毎日アップしています。
暇な時には覗いてみて下さい。
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