あてもなき 夢想に耽らぬ 人やある

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バルザックの『あら皮』または『悲しみの皮』


晦日の深夜12時を回ると年が改まると言うけれど、5月13日が14日になるのとど〜違うの? という思いが子供の頃から強く、その上あの雑煮に餅というヤツが苦手で、何が何でも元旦にしるこを食ってやる! と決心して両親に掛け合うこと数年、ある年遂に雑煮の代りにしるこを出させることに成功しました... 

とは申してもやはり年の変り目には、来し方行く末に思いを巡らせてしまう、そんな中で思い出したのがバルザックの『あら皮』です。フランスに留学して間もない頃、恥ずかしながらこんな小説があることも知らない内に、映画化されたものをテレビで見て強く印象に残りました。

何より、いきなり原題 “Peau de chagrin” に接したため、『悲しみの皮』の意と思い込んでしまいました。だって peau (ポ) は「人間の肌とか動物の皮」だし、chagrin (シャグラン) は「悲しみ」に決まってるやないか...。ところが今回念のため調べたところ、何と chagrin と全く同じ綴りで別の単語があり、“peau de chagrin” は「あら皮 (山羊・羊などの皮から作る表面のザラザラしたなめし皮)」を意味することを、初めて知りました。自慢してるわけじゃありません。

でも以下の粗筋をお読みになれば、『悲しみの皮』と信じて疑わなかった理由もお分り頂けるでしょう。バルザックだって、そう読めると気付いたからこそストーリーが頭に浮かんだのではないか、と愚考する次第であります。


人知れぬ悩みに絶望して死を決意した一人の青年。昼の日中にセーヌ河に身を投ずるのも余りに目立ち過ぎる... などと考え、夕闇の迫るまで河岸をさ迷い歩く。ふと足を踏み入れた骨董屋で古今東西の珍品奇貨を延々と眺めた挙句、わが命も今宵限りと店の主人に告げる。すると主人が一枚のあら皮を見せて言うことに、

 「この皮を手に入れた者は、あらゆる望みを叶えることができる。しかし望みが一つ叶うたびに皮は少しずつ縮んでいき、縮み終ると同時に持主の命も尽きる。あんたさえ良ければこれを進ぜよう」

嘘か真か如何にも奇っ怪な話ではあるが、青年の今の心境では、騙されたと思って我が物にするも一興。そしてその晩から、彼の欲望が次々と実現し始め、そのたびに皮も幾らか縮んでいる。
   ......................
怖くなった青年は、パリでも随一という邸宅を構えながら、その中に閉じ籠ってただ天井を眺めるだけの生活を送るようになる。自らは何も欲すまいと、執事に自分の欲求を事前に察するよう命じたりするが... 生きている限り、何かを欲せずにはいられない。
 
あら皮は小さく小さく縮んでいって、遂に彼は早過ぎる死を迎える。


とまあ恐ろしい話です。今回改めて、あら皮入手の場面と結末を読み直している内に、気が滅入ってしまいました。ところでこの小説、悪魔に魂を売る代りにあらゆる望みを実現してもらう、という古来の伝説の変形のようでもありますが... 

見方を変えれば人の生とは、『あら皮』の話そのものではないか。色恋, 仕事, 金, 権力、何であろうと求めてエネルギーを費やせば、必然的に時間も費やすことになる。人生たとえ百年あろうと、残り時間はその分確実に短かくなったし、それは寿命がその分だけ縮まったことに他ならない...

そんな寓意に気付いて暫くは、人生の深淵を覗き込んだ気がして神妙な気分になりましたが、小人閑居して不善をなす、相変らず時間を無駄に過ごすことばかりです。

しかし、だらだらと無駄な時間を過ごすことが無意味とは限りません。早い話が、韓流ドラマの『ファンジニ』を発見したのも、そのようなひと時のことです(韓流ドラマ『ファンジニ』)。2008年7月以降の記事4本にご覧の通りすっかりハマってしまい、寿命をかなり縮めましたが、それに見合うだけの美しい音楽と夢の世界を味わいました。

さて、新年早々何だか深刻な話になってしまいましたので、お口直しにフランス小咄を一つ。

50過ぎの男性が、掛かり付けの医者に折り入っての相談に来ました:
「先生、酒と色事を絶てば、長生きできるんでしょうか」
「う〜ん、長生きできるという保証は無いが、長生きしたと感じることは間違いないね」

*Comment

う~ん 

そのように本格的な考証をされると弱いですが、命を象徴する革が欲望の実現と共に縮んでいくという主題からすると、私の仮説も捨てがたいです。
  • posted by 閃緑藻 
  • URL 
  • 2009.01/28 18:30分 

 

世界珍説大会にでも出したいようなご説に感服いたしました。でも、chagrin がトルコ語の起源で、ちょっとエキゾチックでもあって、それがこの本の内容にもあっていませんか?バルザックはそのへんの効果だって狙ってますよね。ナイロンが発明される以前では皮革に関する言葉はいまの我々にとってのネットやパソコン用語くらい日常的なものであったはずだし。パリの街のいたるところに皮革を扱う店があったんじゃありませんか。今はサン・ジャック通りをソルボンヌからちょっと下がったところになめして着色した加工用の皮革を売っている古い店がありましたけど。
  • posted by ずっきーに 
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  • 2009.01/28 12:12分 

『あら皮』創作に関する新説 

コメントを拝見していて閃きました:バルザックも "peau de chagrin" を「悲しみの革」と読んだからこそあのストーリーを思い付いたのではないか。万一どこかの研究者が同趣旨の仮説を提出するようなことがあったら、私の方が先だったと証言して下さいね。
  • posted by 閃緑藻 
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  • 2009.01/27 07:48分 

 

40年前に邦訳を読んだとき、まず漢字が読めず、しかも「あらかわ」の意味もわからず、でしたよ。わたしの脳みそは仏語のタイトル以前のレベルでした。意味がわかっても、どんなものか想像がつかず、挿絵入りの図版を見たのですが、やはりよく見えない、一体、骨董屋で売っていたのはどんなものなのか、未だに疑問が消えないので映画を見てみようかと思ってました。
  • posted by ズッキーニ 
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  • 2009.01/26 11:23分 

う~ん... 

人様のお命についてはやはり何とも申しにくいですが(笑)、他の何かを犠牲にしていることは間違いないんじゃないでしょうか。
  • posted by 閃緑岩 
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  • 2009.01/16 12:57分 

絵を描くことは? 

 寿命を縮める行為なんでしょうか・それとも、無為の行為なんでしょうかねぇ。(笑)
  • posted by のび太 
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  • 2009.01/16 11:37分 

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