あてもなき 夢想に耽らぬ 人やある

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筒井康隆の『パプリカ』『文学部唯野教授』


ほんとはネ、新作『モナドの領域』について書く積りだった。ところが、新聞広告や帯封のキャッチフレーズ「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」は、全くの期待外れ。

何より、タイトルに掲げた二冊の印象が余りに強かった。特に、夢の世界が現実に干渉してくるという奇想天外な虚構を端正な文体で語る『パプリカ』に比べると、新作のストーリーは薄味で迫力に欠ける。アリストテレスやトマス・アクィナスまで出てくる哲学・神学的議論を展開するための、口実にしか見えない (オマエの理解力の限界が露呈しただけだろ... と言う声が聞える)。

ま、「わが最高傑作...」と断言しているのだから、彼としてはこれぞ最高の到達点とお考えなわけだ。画家でも、一旦ある境地に到達してもそこに留まらず、常に新たな境地を開拓していく人がいる。筒井康隆も、『パプリカ』のような小説を二度書く気は無かったのでしょう。しかしそれでは私の気持が収まりません。


というわけで、まず『文学部唯野教授』。あのお堅い岩波書店が出したとは思えないような文体で、様々な文芸批評理論を平易に紹介という趣向らしく、章立ても以下の通り:

 第一講:印象批評
 第二講:新批評
 第三講:ロシア・フォルマリズム
 第四講:現象学
 第五講:解釈学
 第六講:受容理論
 第七講:記号論
 第八講:構造主義
 第九講:ポスト構造主義

難しい話を難しく語ることは誰でもできる... と思うけど、難しい話を噛み砕いて説明するのは、その本質を理解してなきゃ無理なわけで、敬服の至りです。『モナドの領域』の哲学・神学的議論も含めて、超一流の知性を備えた勉強家であることが分ります。

正直申せば、私にはどの講義もちゃんと理解できる程の教養が無いもので、専ら各講の間を繋ぐ唯野教授の饒舌を楽しみました。彼にとって「その名前が世界を表現する言葉となった」美人女子学生とのいきさつや、学内の様々な騒動を語る洒落のめしたお喋りは絶品です。


しかし2009年の記事「夢と記憶喪失と脳科学」にも書いたように日頃から夢に関心のある私には、何と言っても『パプリカ』が凄い。粗筋を思い出すため所々読み返して、虚構の世界に引き込まれる快感を改めて味わいました。よく考えてみるとそれは、筒井康隆がこの小説で用いた端正な文体を味わう快さであったとも言える。折目正しい日本語の模範として中学の国語教科書に載せたいくらいですが、中学生にはちょっとエッチ過ぎる描写が何ヶ所か。

小説の舞台は近未来の日本。精神医学研究所でサイコセラピー機器が開発された。センサーの詰ったヘルメットを頭にかぶって眠ると、睡眠中の夢を動画として記録できるのだ。患者の夢をモニター画面で観察して、治療に活用することもできる。特別に迅速な治療が必要とされる場合は、天才的美人セラピストが、サイコセラピー機器を通して患者の夢に入り込み、そこでじかに精神分析的手法を駆使する。その時彼女は、目の回りにそばかすを付けたりして18歳の娘に変身し、夢探偵パプリカと名乗る。

さて、サイコセラピー機器を更に進化させた驚異的な端子が開発される。名付けてDCミニ。直径7ミリ、高さ1センチほどの円筒形で、二人の人間がそれぞれの頭皮に装着するだけで、相互に相手の夢の中に入り込める。

当然のことながら、精神医学研究所には思想的違いを背景にした権力争いが発生している。パプリカと機器全てを開発した研究員を含む所長派が、イイ人達。オーストリア留学中にカトリックの異端中の異端に心酔した副所長とそのホモダチ美男研究員の一派が、ワルイ人達。

DCミニの開発をきっかけに両者の対立は決定的となり、研究員の発狂や失踪など、異常な事件が起こり始める。しかし、サイコセラピー機器が非合法だった頃からパプリカが秘密裏に治療をしていたことや、DCミニがまだ未公表の極秘の装置であることから、イイ人達も警察力を借りるわけにいかない。こうしてパプリカ達も敵方も、互いに相手の夢に侵入しては戦うことになる。彼等は訓練によって、半醒半睡の状態で夢を見、思うように目を醒ますことができるのだ。

そしてある晩、パプリカが夢の中で美男研究員の頭からDCミニを掴み取って眼を醒ますと、何とそれを手に握っていた! という事件が起り、DCミニが開発者の意図した以上の作用を持つことが判明。遂には、DCミニを装着した人間の夢に現れる妄想の産物までもが、現実の世界に出没する事態に...

この辺りのストーリー展開と描写は、筒井康隆の面目躍如です。しかも、夢と現実が混ざり合うシュールな場面でも、端正な文体が維持されて、それが逆に事態の進行にリアルさを与えています。そろそろお読みになりたくなったでしょう。iPadをお持ちなら、新潮文庫iBooks版が730円で買えて、今すぐ読めます。Kindle版もあります。

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