あてもなき 夢想に耽らぬ 人やある

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ぴあの(11)『メトードローズ』を終えると


日本ではル・クーペの

『ピアノの練習 ABC』
 (安川加寿子 校訂・註)

が自然な流れとされており、私も『メトードローズ』と一緒に買っちゃいました。

しかし『メトードローズ』の日本語が時々ヘンなので、仏語のプロとして真実を突き止めずにはいられず、原書を購入。すると何と訳本・第六課の口上に、

「この最後の課程を終ると、クラシックの易しい楽曲等が弾けるようになります」

とあるところ、原文では:

 「この最後の課程を終ると、『ピアノの二年生』に入れます。そこには (今まで見開きの右ページにあったような) 楽しい曲に加えて、皆さんのレベルで弾けるようにアレンジしたクラシック作品の抜粋が入っています」

とある。つまり『メトードローズ』は実は『メトードローズ ピアノの一年生』だったのであって、訳の出ていない『メトードローズ ピアノの二年生』が存在するのです。当然取り寄せました。しかし4300円も掛かったのに... これは失敗に終りました。 

どういうわけか、出だしが ぴあの(7)でご忠告した「タイ」の練習で、一気に戦意喪失。そのあとのページを見ても、譜面の様子が『メトードローズ ピアノの一年生』と異り、何となく混乱した印象があって、食い付く気になれない。

これはきっと、安川加寿子センセイに逆らったのがいけないのです。恐らく『メトードローズ ピアノの二年生』の内容が余り良くないので、『ABC』をお訳しになった(急に敬語です)。そうとも知らず、『メトードローズ ピアノの二年生』を日本に紹介した人間として歴史に名を残そうなんて、セコイことを考えた罰が当りました。

改めて『ABC』を見ると、最初の練習曲はすぐに手を付けられそうな感じだし、何より譜面を見ていて真当な感じがする。不思議なもんです。早速取り掛かりました。実質的に音階練習なのに、うまいこと味付けしてあって、練習していて飽きません...

哀愁の調べ...(23)「瑠璃色の旋律」


Cerulean Melody
(パソコンでは、クリックすると動画が別ウインドウで流れて、聞きながら読めます)

曲の進行に合わせて画面に映る譜面を見ると、ちょ〜簡単。こんな譜面でこんなに美しい曲があり得るのか、と飛び付きました。

実は前世で大学の数学教師をしていたせいか、昨年夏ごろまで「ボクには論理的なバッハの曲が一番性に合う」などと思い込んで、それ以外は見向きもしなかった。

しかし余りに禁欲的な生活に疲れてイージーリスニングに手を出し、昨年8月頃ロシア系のものに出合った (「ロシア風い〜じ〜りすにんぐ十選」)。

これがフランスやイタリア系より遥かにしっくりくるので、以来ロシア語の音楽動画を片端から開いて、何十となくブックマークしてきた。最初の10秒で捨ててしまうのも入れると膨大な数だし、気に入った曲はある程度の時間ひたっていたいものなので、2分を切るものは開けずに却下。

ところが、暫く前にうっかり1分44秒の曲を開いたところ、心に沁み入るような、その名も「瑠璃色の旋律」。

冒頭に書いた通り、譜面が一段毎に表示されて全部で9段。ご覧のように、左手は一部を除いて一小節に同じ和音が4回繰り返されるだけなので、実質的には右手さえ制御すれば良い。しかもそちらはところどころ休符が入り、それが左手の和音を浮き彫りにする一方で、右手の制御を助ける...

という具合に初心者にぴったりの作りなのに、正に哀愁の調べ わが心を慰む。

たったの9段、譜面を動画投稿者に下手な英語で頼んだりしているより、スクリーンショットでコピーした方が早いと、一時間... いや二時間掛かったかな。とにかく譜面がばっちり手に入りました (Macの場合、Shift, Command, 4 のキーを同時に押すと、ブラウザのウインドウの中で欲しい部分だけ長方形に切り取れる)。

さて理屈は上に書いた通りですが、いつものことながら左手の和音は全部頭に、と言うより指に覚えさせねば続けて弾けない。それさえできれば、休符のお蔭で右手は目で見ながらでも弾いていける。そこで現在練習中のバッハ以外の二曲そっちのけで、日夜励むこと数日。漸く1/4倍速で通して弾けるところまできた。ほっ。

しかしせめて1/2倍速にはせねばならないが、これが容易でない。ちょうど一年くらい前に (「哀愁の調べ わが心を慰む (16)」)、船橋のストリート・ピアノで拙い演奏を聴いてくれた鍼灸院の美女達に、聞かせて上げられるのはいつのことやら。そもそも、いつになったらこの記事を読んでもらえるのか知らん...

追伸その一 同じような雰囲気の曲が、他に幾つも出てきました。どれも私に何とか弾けそうに見えるので、ついつい目移りがしてしまう:

 フランス風小曲
 魂の旋律
 Actress

追伸その二 わざわざ辞書を引くのが面倒な読者のために、瑠璃とは「光沢のある青い宝石、ラピスラズリ」(『大辞林』)。

ぴあの(10)とにかくゆっくり弾く


連載 (6) の最後に、『メトードローズ』の練習曲は『バイエル』より音楽性を感じると書きましたが、中には何の感興も湧かない曲もある。そういうのに限って、幾ら繰り返してもミスらずに弾き通すことができない。
 
厭な曲でも辛抱して弾かないと上達しないの?
何の魅力も感じない曲をしつこく弾いていると、ボクの豊かな感受性が失われてしまうんじゃないの?
 .....
などと心は千々に乱れるのであります。

第六課 (総集編) の直前二曲が正にそうで、上がらない限り進むのを禁じていると、憂鬱になって練習も楽しくない。これでは仕方がないと取り敢えず第六課に入ったところ、気分も良くなり、問題の二曲も改めて練習する気になりました。  

その時、例の『ピアノレッスンのヒント』のアドバイスを思い出したのです:

 a) 途中でつかえた時は、また頭からそこまで弾いてくるのでなく、つかえた部分を集中的に練習する。
 b) 一曲をミスらず弾き通せない時は、ゆっくり弾いて確実に弾けるようにしてから、テンポを上げる。
 c) 筋肉というのは、速い動作をしても余り鍛えられないことは、様々なスポーツ分野のトレーニング研究から分っている。
 (中略)
ゆっくりした動作を確実に実行することで、弾くのに必要な指の筋力が付く。

これを改めて読んで、いつまで経っても弾き通せないのは、速度を落とし足りないのだと漸く気付きました。そこで、一音一音確かめながら弾くくらいに速度を落としている内に、厭だった二曲も何とか上がりました。弾き通せない時は徹底的に速度を落とし、確実に弾けるようにしてからテンポを上げる。この方が遥かに効率の良いことを、確信した次第です。

自分なりに分析してみた結果、

 1)それなりのテンポで弾いていると、難所を通り過ぎた途端にミスる。
 2)少し先で指を一つ通常の位置からずらさなければ、と思っていると、その手前で別の指がずれる。

といった現象に気付きました。ほっとして集中力が落ちる、指の次の動きが気になって、それより前の動きを邪魔する、など無意識的なものらしい。ゆっくり弾くと、そうした無意識の絡みを切り離す効果もあるような気がします。

こうして試行錯誤の末、2018年7月に『メトードローズ』終了。

ぴあの(9)腕を痛めると大変なことに


私のように高齢の方は、腕のメンテにお気を付け下さい。実は既に右手の肘に軽い故障があって、東京の某鍼灸院に通っておりました。しかしピアノを始めてからは、予防も兼ねて週一に頻度を上げ、時間も増やしました。

三ヶ月余り過ぎて、久し振りに本棚の上まで掃除機を掛けたところ、左手上腕が激しく痛み出し、急遽治療してもらいに行きました。治療が過ぎるといけないと思い、「90分連続集中して可能な範囲で」と言ったところが、「90分目一杯やって欲しい」と解釈され、翌日から4日間ひどい揉み返しです。

掃除の翌日も練習できるようにと治療を頼んだのに、ピアノどころか、仕事の準備のパソコン入力も右手だけで、という状態が三週間近く続き、鍼灸師を恨みました。近所の同世代の人達に手当り次第尋ねて、漸く船橋の先生を紹介してもらって一息つきました。

それでも、5月末に予定通り家族旅行で九州に出掛けた頃から、漸く弾けそうな感じに。まず高千穂に行ったところ、さすがヤマハの音楽教室、ここでもお寺の一角にあって、一時間弾かしてもらいました。

ご住職に電話した時は一時間千円の約束だったのですが、実際に出て来たのは奥さんで、終って声を掛けると「お金なんて結構です」と仰る。一旦石段を降りて帰り掛けましたが、「あれだけ弾かせてもらって何も払わず帰るとは何事か」と考え直し、お布施ということにすれば断れまいと、千円預けて帰りました。

阿蘇のホテルではロビーにカワイのグランドピアノがあって、チェックアウト時間を過ぎた人のいない時を狙って、遠慮しながら練習。

天草のホテルでは、ロビーから見える別の空間にヤマハのグランドピアノが置いてあって、「自由にお使い下さい」ときました。立派なピアノで、私には豊潤過ぎる音色でしたが、初めて同社のグランドピアノを体験しました。幸い、電子ピアノに慣れた指でも、タッチの差が気になるようなことはありませんでした。

以上は、腕のメンテのお勧めと同時に、掃除などひと月くらいしなくてもいいじゃん、という趣旨でございまして、ピアノを始めたら掃除は配偶者に押し付けましょう、と申しているわけではございません。

追伸 船橋の先生は大変優秀で、その後も定期的に通っています:

 おれんじ鍼灸院

今から思えば正に、人間万事塞翁が馬です。

ぴあの(8)バッハに開眼:叙情の調べ七選


ここでちょっと一息。

若い頃は専らロマン派を聴いたのに、いつ頃からかバロックのハープシコード曲が好きになりました。最近はハープシコードの音よりピアノの方が澄んでいるように感じて、練習中に指や腕を休める間、YouTubeでバッハのピアノ曲ばかり聴いています (正確にはピアノ・バージョン)。一々CDを買わなくても... と言うより、一々買っていたら幾らお金があっても足りないのに、色々聴けるのでYouTubeサマサマです (但し追伸その一)。

実は不肖私、バッハのピアノ曲は「平均律クラヴィーア曲集」の一部くらいしか知らず、何となく退屈に感じておりました。YouTubeの「おすすめ」にバッハの曲があれば取り敢えず聞いてみるようになったのは、魅力的なお姉さんのお陰です:

 ピアノ協奏曲第1番 (BWV1052)
  
旋律の凄く綺麗な部分があって、繰り返し聴きました。でもあんなに長いイヤリングを付けて、集中力の妨げにならないのか知らん...

それはともかく、他にも素敵な旋律があるのではと考えている内に、グールドの動画「トッカータBWV910 〜 916」に遭遇して閃きました:917, 918,... と番号順に検索しては聴いたらどうか知らん。

この時点では、BWVがどういう番号の振り方をしているのかさえ知らなかったのですが、ともかくこの作戦が功を奏して、前奏曲や幻想曲などにびっくりするほど綺麗な旋律があるのを発見しました。折角ですから、ブックマークした動画200項目から粒よりをご紹介 (CMにはご注意下さい:追伸その一参照):

 BWV940 Prelude in D minor
 
 BWV921 Fantasia in C minor

 BWV853 Prelude and Fugue
 の Prelude (3分32秒まで)

 BWV797 Sinfonia No. 11
  
 BWV784 Invention No.13
  
 BWV788 Sinfonia No.2  
   
 BWV543 Fugue
 (オルガン曲をリストが編曲)
 
追伸その一 連載 (1) で申したことを繰り返します。
 この連載では何度もYouTubeの動画をご紹介することになりますが、その度にCMを見させられるのはさぞお腹立ちでございましょう。私も最初はここに悪態の限りを並べましたが、暫く前にYouTubeを一切CM無しで見せてくれるブラウザ"Brave"が見付かり、それ以来YouTubeを悪く言うのを止めることにしました。
 何と言っても、バッハにせよイージーリスニングにせよ、一々CDを買わずに色々なものが聞けるのはYouTubeサマのお陰です。CMがお厭な方はBraveをお使いになれば宜しい:

YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"

昨年9月にこの記事を書いて以来もう半年になりますが、変なことはされておりません。私などは、何か素敵な曲が見付からないかと動画を片端から開けるものですから、Braveは正に天の助けです。

追伸その二 「前奏曲とフーガ」に素敵なものが沢山あるのですが、残念ながら私の鑑賞力ではフーガに入ると退屈してしまうことが多く、殆ど割愛しました。

追伸その三 BWV921は、ウィキペディアの『バッハ作品一覧』で「偽作?」とされています。でも、バッハじゃないと確定したなら「?」は付いていないわけだし、YouTubeでも有名ピアニストが何人も彼の曲として弾いているので、残しました。

追伸その四 BWV543の動画は10本近くありますが、上に挙げた動画が一番情感豊かに聞こえます。

森元会長:お年を召してデキなくなった男性を、もう男とは言えないお方ですがと紹介するのか知らん?


東京五輪・パラリンピック大会組織委員会前会長の森喜朗元首相は26日夜、東京都内で開かれた河村建夫元官房長官のパーティーで、「河村さんの部屋に大変なおばちゃんが一人おられる」と河村氏の事務所のベテラン女性秘書について話題にした際、「女性というには、あまりにもお年なんですが」と述べた (『デジタル朝日』)。

「女性が沢山入っている理事会の会議は時間が掛かる」との発言が問題視された時も、本音は恐らく「このくらいで謝罪会見なんてできるか」だったのでしょう。でも五輪開催時に組織委会長としての栄誉を満喫するため、忍び難きを忍んで謝罪会見を行った。なのに、あと半年というところでおろされた。今更何を自重する必要がある、あとは野となれ山となれ... そのお気持は良〜く分りますが、じゃあお年を召してデキなくなった男性のことを、

「もう男とは言えないお方ですが」

と紹介するのか知らん?


それで思い出しましたが、フランスのカトリック教会では中世以来、聖職者の家政婦は40歳以上でなければならなかったそうな。神父が誘惑に陥らぬようにするためとされているが、本当の理由は他にあったのではないか。何せ、教皇の地位にありながら子供を作った例も記録に残っている世界ですから、件のルールの実質的な目的はむしろ、相続問題を避けることだったのではないか。「万一手を出しても子供はできるまい」だったのではないか。

と申しますのも、フランス革命以前のカトリック教会は膨大な財産を抱えていて、神父様,司教様,...のご落胤となれば、勝手に始末するわけにもいくまいし、相続がとんでもない紛争を生じる可能性があったからではないか、と愚考するものであります。

ぴあの(7)『メトードローズ』に関するご注意


この連載を読んで『メトードローズ』をお買いになった方に、老婆心からのご忠告です。

1)『メトードローズ』は恐らく『バイエル』より進み方が早い
 その分じっくり・みっちりやらないと、身に付かない。私は、ページ数にして2/3程来たところで急に前に進めなくなり、それまでの練習が不充分だったのだろうと、第二課 (p.12) の最初から復習を並行して始めました。復習すると、少しは上達したんだという気分も味わえます。

2) p.30-36にある「タイ」の練習 
 音大卒の南戸麻亜さんのアドバイスを以下に要約します:

p.30 
このタイの練習はハード過ぎる。
慣れない内は、ある音を押えたままにすると、残りの指は、想像以上に自由が効かなくなる。
(中略)
ここで意地を張って頑張ると、無駄に手を痛める。

p.32 も同様。

p.34 入門者に課す課題ではない。理屈だけ理解すれば、できなくても問題無し。

p.36 の下:理屈だけ理解すれば、練習はパスして構わない。

とにかく、一連のタイの練習にはびっくりした。それよりも、別な指の動きの練習をする方が有効。
 (要約終り)

以上を読んで私は、この辺の練習は全部パスしました。指を痛めたら致命的ですし、本来の練習曲に出現した時に練習すれば充分と考えたのです。

3) p.56、58-9 の音階練習について
これも、無理にやらなくても良いそうです。

4) ここで告白しますが、「スラー」とやらは全くできておりません
 『バイエル』では最初から指示が出ていましたが、そんなことを気に掛けていたら、上巻が終る前にあの世からお迎えが来てしまうと思い、『メトードローズ』に移ってからも一切無視。南戸麻亜さんも「最初からそんなものができたら苦労はしない」と言ってくれました。「無視して良い」ではありません...
 
そう言えば、最初の頃は両手の音が少しズレましたが、全くズレずに弾けるまで繰り返していたら、上巻が終る前に...以下同文、大目に見て進みました。幸い、進むに連れてズレが自然に無くなっていきました。
 
告白ついでに申しますが、スラーの他にも、強弱が付けられません。そんなことに気を使っていたら、音を間違えてしまう。
 
こんな調子ですから、曲らしい曲が弾けるようになっても、「音は合ってるけど、音楽には聞こえない」と言われるに違いありません。でも、自分が旋律を楽しめればいいんです。

筒井康隆『読書の極意と掟』


以前からこの作家には関心があり (「筒井康隆の『パプリカ』『文学部唯野教授』」)、『朝日新聞デジタル』でインタビュー記事を読んだ折りに、iPadのiBooksアプリで彼の著作を検索し、標題の本が目に止まった。2018年刊。

題名が如何にもカッコいいので、まず無料サンプルを覗き、直ちに購入。ちなみに、紹介される全66冊の題名がサンプルで見られます。

実は丸谷才一の文章が好きで、彼の小説・評論は全て買って一部を読みましたが、彼の書評を集めた『遊び時間』『梨のつぶて』などは、たまたま読んだことのある本の書評以外、どうも興味が湧かなかった。

比べて『読書の極意と掟』は、全く知らない書物に関する記述も面白く、ついつい読んでみたくなる。しかし自分の人生の残り時間を考えると、やっぱり止めておくか...

どうしてそんなに面白く読めたのか考えてみたが、結局彼の語り口が私の趣味にぴったりということらしい。来る日も来る日もアクセス数が0と1の間を揺れ動くこのブログをわざわざ読みに来て下さる読者には、お気に召すかも知れません。

以下、特に印象深かった箇所を引用します。

第一章 幼少年期 1934年〜(19冊)
トオマス・マン『ブッデンブロオク一家』
...
トオマスがリューベックの富裕な商家だった自身の一族の歴史をモデルにして書いた作品で、小説のブッデンブロオクもやはりリューベックの豪商の一族。その繁栄と、ドイツ・ブルジョワジイの崩壊とともに没落していく姿を描いている。これをあまり平静な気分で読めなかったというのは、ぼくの家も北堀江にある大きな藍問屋でありながら、父の長兄にあたる泉屋五世・嘉兵衛や次兄・嘉明の放蕩によって没落してしまっていたからだ。読むにつれ、マンの人物描写のみごとさに伴って親戚の誰それの顔が浮かび、一家の浮沈に一喜一憂し、ブルジョワ家庭のだらしない蕩尽にはらはらしたものだ。
...
後年聞かされた文談での定説は、ぼくを充分に納得させた。
「いい作家が出る条件は、いい家柄に生まれ、その家に沢山の本があり、その家が没落することである」


第二章 演劇青年時代 1950年〜(17冊)
ヘミングウェイ『日はまた昇る』
...
以後、ぼくは現代アメリカ文学を集中的に読むようになった。ヘミングウェイ、フォークナー、ドス・パソス、フィッツジェラルドなどであるが、なかでもぼくを夢中にさせたのは三笠書房から出ていた大久保康雄訳のヘミングウェイ『日はまた昇る』だった。何よりもその文体にまいってしまったのである。ぼつん、ぽつんと途切れる、句点の多い、投げやりで吐き捨てるような文章からぼくが受けたものは、それまでの自然主義リアリズムの小説からは得られない新鮮な感覚だった。失われた世代の喪失感や虚無感を描くのに、これほどリアリティのある文体はなかった。のちに小説を書きはじめた時、この文体からずいぶん影響を受けていたことを自覚したものである。
...


第三章 デビュー前夜 1957年〜(8冊)
三島由紀夫『禁色』(きんじき)
...
三島由紀夫もまた、少し前に文談に登場した新進作家だった。その新作である『禁色』が評判だった。青猫座以来つきあいのあった女優たちがしきりに噂していたので、ぼくはその小説を読んだ。そして打ちのめされた。こんな凄い文章が書けなければ作家にはなれないのかと思い、絶望した。この作家は、ぼくの「作家にでも」といういかにも軽い考えを根本から打ち消してくれ、作家になるならそれなりの修業が必要であることを教えてくれたのである。そのお蔭でぼくは、マスコミによって便利に消費されてしまうような作家には、ならずにすんだのかもしれない。
...
(「こんな凄い文章」を確認するために文庫の古本を買ったが、字が小さ過ぎるし、性的指向がボクと異なる人達のお話らしいので、ほんとに読むのは止めた)

ノーマン・メイラー『裸者と死者』
...
第二次世界大戦の末期、メイラーはレイテ島、ルソン島に転戦していて、その体験が一部もとになっているようだが、これは記録文学というものではない。兵士それぞれの内面描写や生活、それと交互に示されるカミングズ将軍とその副官ハーン少尉の会話による思想性は、その深い表現力によってはるかに記録文学や戦争文学の域を超えている。主役はあくまで歩兵連隊所属歩兵中隊の偵察小隊なのだが、カミングズ将軍に反抗したハーン少尉がこの小隊の隊長に任じられ、さらには戦場であるこのアノポペイ島の反対側から日本軍の背後にまわって偵察を行えという過酷な命令を受けるところから、話は俄然物凄さを持ち始める。
...


第四章 作家になる 1965年〜(12冊)

第五章 新たなる飛躍 1977年〜(10冊)
最後がハイデガーの『存在と時間』。

ぴあの(6)教則本『メトードローズ』を採用


正確には『メトードローズ ピアノの一年生』(Méthode Rose)。フランスのエルネスト・ヴァン・ド・ヴェルドが著した子供向け教則本です (音楽之友社、ピアニストの安川加寿子・訳編)。

 第一課 (p.5〜11) :ゼロから始める人向けの導入部。曲は全て、左右両手でオクターブ離れた同じ音を弾く。
 第二課〜第六課 (p.12〜59) が本体。

かっては日本でも『バイエル』と並ぶ人気を誇ったそうですが、最近はアメリカ系に押されているらしい。真価が充分理解されていないと思うので、長所を挙げます:

1)第二課から大譜表
  (右手はト音記号、左手はヘ音記号)
『バイエル』では上下106曲の内、64番まで両手ともト音記号。
 
まだそんなレベルじゃないのに摘み食いした入門用「カッチーニのアヴェマリア」で、ヘ音記号の線を一本一本数えながら音出しした苦労から、『バイエル』の方針には腹が立ちます。どうして、何も知らない私でもすぐ弾けるような指練習の段階から、左手をヘ音記号で表記しないのかと。
 
調べてみると、『バイエル』と『メトードローズ』の著者はそれぞれ、

 フェルディナント・バイエル(1806〜63)
 ヴァン・ド・ヴェルド(1862-1951)

まるで生まれ変りかと思うような時代差です。しかし、『メトードローズ』が子供向け入門なのに殆ど最初から大譜表なのは、時代の違いよりフランス流合理主義のお陰かも知れません。

2)p.20 で既に片手の音域が6度に広がる
『バイエル』では上下106曲の内、45番まで出て来ない。

3)p.24, 34 で既に♯や♭が出て来る
『バイエル』では上下106曲の内、69番まで出て来ない。

4)練習曲の作り
 左手はドを起点とする5度をカバーし、
 右手はソを起点とする5度をカバーする、
という組合せ、或いはその逆を用いるなど、手をまごつかせる発想も『バイエル』とかなり異っている。そのお陰で、左右の指が早く独立して動くようになる感じがする。

5)唯一、『大人のための 独習バイエル』上巻の方が良いのは、両手で弾き始めるまでに24ページも費やしていること。そこに、姿勢や手の構え方、音符に関する説明など、基本の基本が書いてあります。
 比べて『メトードローズ』はその部分に、第一課の7ページしか費やしていない。特に最初の数頁では、ページ内に譜面が立て込み、音符も目一杯詰め込まれて、非常に取っ付きが悪い。
 でも、大人がその辺を充分に理解して掛かれば、全く問題ありません。

それにしても音楽之友社は、どうして『大人のための 独習メトードローズ』を出そうとしないのか。 
 欠点がこれ程はっきりしている『バイエル』を、印刷すれば売れるという理由で出し続け、『メトードローズ』の方は改訂もせずに放っておく。一体どういう料簡なのだ!と詰め寄ってやりたい気分です。
 『大人のための 独習メトードローズ』を出せば、アメリカ系などを尻目に再び入門用教則本として脚光を浴び、大人の趣味のピアノに絶大なる貢献ができるというのに。


さて『バイエル』の時は、早く大譜表のところまで行かなければ、という焦燥感に駆られつつ、一時間もすると集中力が続かなくなる。時間を空けて同じような曲を弾く気にもなれず、その日はそれで終りでした。『メトードローズ』に移ってからは、これをじっくり・みっちりやれば良いのだと気分もリラックス。練習曲も『バイエル』より音楽性が感じられるので、夕方もう一時間やる元気が出てきました。

 一時間と言っても、肩も凝ってくるし首も回したくなる。二段か三段の曲を弾き終る度に立ち上って、肩をほぐしたり簡単なストレッチをしたりの、一時間です。

ぴあの(5)『バイエル』を三週間で放棄


1月末に電子ピアノが到着し、『バイエル』上巻で一日一時間のお稽古を始めました。それから3週間、半分も行かない内に、「上巻の次は下巻」という調子でやっていて良いのか心配になってきました。

専門家グループのサイトを見たからです:

 『ピアノレッスンのヒント

教則本の様々な系統、練習のアドバイスなどに加えて、

特集 バイエルを考える1、
 バイエルの初級教材としての問題点


と題する記事があり、要点は以下の通り:

1)普通は右手部分をト音記号、左手をヘ音記号で表示する (ヘ音記号ってナニ?という当時の私と同じ状況の読者のために:譜面)。
 しかるに『バイエル』は、両手ともト音記号で表示される期間が長い (上巻1〜43番、下巻44〜106番の内、64番まで)。そのため、左手部分がヘ音記号になった時に難しく感じる。

2)ハ長調の期間が長いので (69番まで)、後で♯や♭が出て来た時に難しく感じる。

3)同じ音域を弾く期間が長いので、譜読みのスピードが遅いまま経過する。音域が広い曲に対して、手の反応が早くならない。


これだけ言われたら誰だって、上巻を終えるまでもなく他の教則本を探しますよね。私も22番まで来たところで楽器店に行き、改めて色々覗きました。

その結果、アメリカ系は挿絵の趣味が悪過ぎるし、結局 行く前から気になっていた『メトードローズ』を買って来ました。最初の方には、『大人のための 独習バイエル』で練習曲に入る前に用意してあるような指の基礎練習もあり、これなら間違いなく使えると分ったのです。

『メトードローズ』を知るまでは、一種の通過儀礼として『バイエル』上巻だけは何が何でも終える積りでしたが、半分で投げ出したとの汚名覚悟で、切り替えました。『バイエル』に費やした人生は3週間。これも無駄ではないので、恨み辛みは呑み込んで、次回は『メトードローズ』のご紹介です。


追伸 1月末の仕事が終ってピアノが来るまでの二日間、ついついYouTubeを覗くと、「カッチーニのアヴェマリア」のピアノソロが出て来ました:

 ピアノソロ上級バージョン

(中級、初級バージョンもあり。曲のいわくについては「カッチーニの Ave Maria」をご覧下さい) 

和音の響きが素晴しいだけでなく、手の動きも華麗で見ていてうっとりしてしまう。しかし幾ら何でもあそこまでは行けまい。せめて中級バージョンが弾ければ...

でも、何度聴いても飽きないこの「アヴェマリア」を練習している内に、マリア様のお導きで信仰に目覚めてしまったらどうしよう...
 なんてことが心配になる程、カトリックは敬遠しておりまして、そのカトリックのお陰で美しい曲が生まれたと思うと、複雑な心境であります。

もっと言えば、中世の教会音楽は仏教の声明(しょうみょう)と大差無いように聞こえるのに、欧州ではそこからクラシック音楽が生まれた... この差は一体どこから来るのか、不思議で仕方ないので、

 岡田暁生『西洋音楽史』(中公新書)

を繙きました。これによると日本との違いは、

「音楽は振動し鳴り響く数字であり、
超越的な秩序(数学的比率)の感覚的な現れ」
 (p.21)

と捉えた古代ギリシャに、その淵源があるような気がする。
 
それは別にしてもこの本は、バッハについての解説・私見など、実に面白い。

 ウィキペディアによると、ジュリオ・カッチーニなる作曲家は実在したが (1545頃〜1618)、「カッチーニのアヴェマリア」と呼ばれる曲は実は、1970年頃ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフが作曲したのだそうな。

ぴあの(4)電子ピアノ:ヤマハにする? ローランドにする?


 教則本も用意した。あとは、キーボードにすんの? 電子ピアノにすんの? というわけで新宿の島村楽器に行き、自分も本格的に弾いているという店員の女性に、ヤマハとRolandの一番安い機種を前提に話を聞いた。すると、

 1) キーボードで練習してから電子ピアノに移れば、当然タッチの違いに慣れる必要がある。
 2) ヤマハのキーボードは鍵盤サイズが僅かに狭く、電子ピアノに移って、ブラインドタッチでオクターブ先とかを弾くとなると、問題が生じるかも。Rolandのキーボードならその心配は無い。

などと商品知識も詳しい。信用する気になって、色々と不定愁訴みたいな話を聞いてもらい、Rolandの電子ピアノの優れた点を聞かされている内に、最初からそれを買う方が良いのでは、という考えに大きく傾きました。

そうなってみると、仕事部屋に置くスペースが無いと除外していた電子ピアノも、要らない本を捨てて本棚を整理すれば不可能ではない。

同じ店でばかり話を聞いていてもと、銀座の山野楽器に電話したところ、電子ピアノの一番安い機種なんて店頭に置いてない。でも親切に、上記二種の製品を弾き比べられる店舗を調べてくれて、千葉から吉祥寺の店まで行ってきました。その結果、連日弾くにはRolandの方が落ち着いて聴けそう。

さて、仕事部屋にスペースを捻出したのが1月後半の金曜日。こうなったら最後の聴き比べに、土日は客が多くてうるさいから、翌週月曜の朝にもう一度吉祥寺に行くしかない。
 
ところが翌週はどういうわけか、水曜夜と土曜の昼間に仕事が入り、特に土曜は慣れない分野で大変神経を使う。本当なら、それが済んでからゆっくり比較した上で買うべきです。でもそうすると、ピアノがボクんちに来るのは、仕事が終ってから二週間も先になる。やっぱり仕事が終ったらすぐに触りたい。月曜午前に吉祥寺に行ってくるくらい、何とか可能ではないか...

でもそれでは、仕事の準備が不足するかも知れない。しかもその月曜は「雪〜が♫/降〜る〜♫」と、テレビが大雪予報を繰り返している。「たかが二週間先になるからと言って、無理して出掛けるのはまるで子供やないか」と、私の超自我が囁くのです。

その声を跳ね除け、雪の降る中を吉祥寺まで行き、殆ど客のいない中で内蔵曲を聴き比べて、確信を得ました:華やかな音には興味が無いし、落ち着いて聴いていられるのはRolandと。得心が行ったので、その足で新宿の島村楽器に寄って購入しました。吉祥寺で応対してくれたお兄さん、ご免なさい。

ぴあの(3)問題ありと聞いた『バイエル』を買う


しかし、たとえキーボードでも両手で弾くとなると、やはり教則本で練習せねばなるまいが、

 齢70で始めて、指が動くだろうか...
 『プロフェッショナル』が弾けるレベルまで行けるだろうか...
 ベー...とかシュー...とかの本格的な曲は今更練習しても弾けるわけない...
 でも考えてみると、バッハには簡単そうな曲がある...
 指を動かす練習は、惚け防止にも良いに違いない... 

てな調子で、夜ごと夢うつつに妄想したのであります。

その挙句、「触るだけョ」と自らに言い聞かせつつ楽器店に行き、キーボードに触るついでに電子ピアノも見ました。そして、何度もドレミファ程度を鳴らしている内に気付いてしまった。キーボードの音は良く言えばきらびやか、悪く言えばチャチなのを否めず、それに比べて電子ピアノは音に深みがある。

しかしキーボードは鍵盤のタッチが軽く、年寄りの軟弱な指には早く上達するかも知れない。電子ピアノでは指が疲れてしまうのではないか。逆に、タッチの軽いキーボードで始めて、万一 (万が一ですよ) 上達して電子ピアノにしたくなった時、キーボードでの練習が無駄になるのではないか... と取らぬ狸の皮算用です。

そうは言っても、電子ピアノは値が張るだけでなく図体も大きく、簡単に部屋に置ける代物じゃない。ちょ〜っと気が重いので、キーボードにする積りでアマゾンや島村楽器のオンラインストアを覗く。すると「キーボードにスタンド, 椅子, ヘッドホンの三点セット税込30,800円」なんてのがある。買っちゃおうか...

でも、キーボードを買ったはいいけれど指が動かない... では困ると、ついでに教則本を覗きました。唯一聞き知っている『バイエル』に批判的な意見をネット上で読んだので、『大人が一から始めるピアノ』の類を含めて色々見ました。しかしいずれも、ゼロから始める私には一つ前の段階が必要な気がして、結局 絶対に買わない積りだった『バイエル』上巻を買ってきました。1000円だし... (正確には『大人のための 独習バイエル』。解説を補ってあるが、練習曲自体は『バイエル』に同じ)

追伸 仏紙『ル・モンド』には、「音楽は脳内の生化学的プロセスを変化させ、年齢に拘わらず、脳の可塑性を強化する」という記事がありました。

ぴあの(2)70で始めたきっかけ(続)


「Chi Mai」の譜面をもらって、左手の音符全てにドレミファを振った。これで鍵盤上の位置を覚えてしまえば、指一本で弾くテンポも上がって楽しめる...

予定だったのですが、実際に鍵盤アプリで左手部分を弾いてみると、あんなに気に入っていたのに意外と単調で、期待した程嬉しくない!

おかしい。

こんな筈じゃなかった。

考えあぐねた末に閃きました:

ひょっとして、右手の奏でる旋律があるから、左手部分が魅力的に聞こえるのか知らん。

そこで右手の方も少し音を出してみた。しかしこれも、指一本で弾けるところはちょ〜っと物足りない。目覚しで聴いた限りでは、最初から美しい旋律に聞こえたのに。

ひょっとして、左手あってこそ右手の旋律が生きるのかも。

これは大発見...

えっ? そんなこと誰でも知ってる?

でも不肖私、この時初めて気付いたのです:

 それだけでは短調な左手が、旋律を背景にするととても魅力的に聞こえ、
 右手の旋律も、左手が加わるとずっと豊かな調べに聞こえる。

それで小人閑居して... 夢を見てしまいました。子供の玩具に音の出る鍵盤があるが、あれの大人用でも買って (キーポードと呼ぶらしい)、左右の音を同時に鳴らしてみたいと。

ぴあの(1)70で始めたきっかけ


フランスのスパイ映画『プロフェッショナル』(1981, 日本未公開) をかの地で見て、主題曲「Chi Mai (キ・マイ)」がとても気に入り、今もピアノカバー曲を目覚しに使っています:

 「Chi Mai

お聞きの通り、左手部分は単純な作りなのに少しずつ音程が変化して、右手の旋律以上に魅力的に感じられる。しかも和音じゃないから指一本で弾けそう...

と思ったら試したくなった。iPadの鍵盤アプリを探して、耳を頼りに最初の6音を突き止めましたが、全体に亘って聞き取るのはとても無理。

YouTubeには同じタイトルの譜面付き動画もありますが、目覚しに使っている曲の譜面がどうしても見付からない。譜面起こしのサービスがあるのを知り、ネットで検索した三社に「左手部分だけで良い」と依頼したところが、一社は「今 他の作業で手一杯」とか何とか。残り二社は返事も寄越さなかった...

そうこうしている内に、同業者で音大卒の南戸麻亜 (なんとまあ) さんが私のブログ記事

キャサリン-ジェンキンス "La Califfa"

を読んで、ジェンキンスの歌を譜面に書いて送ってくれたのです。音大の入試には聴音テストがあり、このくらいは軽くできないと入学を許されないとか。今は入試の何年後か存じませんが、腕試しの積りだったそうです。
 
YouTubeで聞いて譜面に起こせるならと、『プロフェッショナル』のピアノカバーについてお願いしたところ、すぐに左右両手の譜面を送ってくれました。

「音楽に興味を持つ人がいて、何か手伝えることがあるなら、“it’s my job, it’s my duty”と思っています」
(英語はドラマ『Victoria』のメルバーン卿の台詞)

と仰るのですが、右手部分は途中から旋律もリズムも複雑で、耳で聞いて両手を譜面に起こせるなんて神業です。
 
そこで、もらった譜面の左手の音符全てに、五線を一本一本数えながらドレミファを振りました。これで鍵盤上の位置を覚えてしまえば、指一本で弾くテンポも上がっていくやろ...

追伸その一 「Chi Mai」は元々、エンニオ・モリコーネが映画『マッダレーナ』(1972, 日本未公開) のために書いた曲で、それが『プロフェッショナル』の主題曲に使われた。映画の主題曲をお聞きになりたい方は:

 サウンドトラック

私見では、ジャン-ポール・ベルモンドが一番カッコ良く見える映画じゃないかと思います。どういう理由か知りませんが、日本で公開されなかったのは残念です。

追伸その二 この連載では何度もYouTubeの動画をご紹介することになりますが、その度にCMを見させられるのはさぞお腹立ちでございましょう。私も最初はここに悪態の限りを並べましたが、暫く前にYouTubeを一切CM無しで見せてくれるブラウザ"Brave"が見付かり、それ以来YouTubeを悪く言うのを止めることにしました。
 何と言っても、バッハにせよイージーリスニングにせよ、一々CDを買わずに色々なものが聞けるのはYouTubeサマのお陰です。CMがお厭な方はBraveをお使いになれば宜しい:

YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"

昨年9月にこの記事を書いて以来もう半年になりますが、変なことはされておりません。私などは、何か素敵な曲が見付からないかと動画を片端から開けるものですから、Braveは正に天の助けです。

哀愁の調べ わが心を慰む (22)


ロシア娘... と言ってもまだ11か12のヴィカ・スタリコヴァ。

2021年1月17日現在、日本でこの子に目をつけているのは恐らく私だけですが、そのきっかけとなった弾き語りをご紹介:

 

 ロシアの草原

 海よ!

歌声はさすがに幼いが、ピアノを弾きつつ歌う様が可愛らしく、ピアノ伴奏の旋律もいい。

可愛らしいと言っても、将来男どもを惑わせるんじゃないか... と心配になるタイプではなく、真面目そうで愛くるしいお嬢ちゃんです。

プロモーション・ビデオがその表情を満喫させてくれますが、後半が少しくどくて、ついつい、親がスポイルしなければ良いがと思ってしまう:

 三つの願い

彼女の弾き語り動画は他にも沢山ありますので、ご自分で発見をお楽しみ下さい。その際ブラウザに Brave を使うと、一々CMに付き合わなくて済みます (「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」)。

追伸その一 ご自分で少しずつ発見するのが面倒な方は:

 動画集

追伸その二 ご紹介した動画の三番目「海よ!」、この子を気に入ってしまっている私には「良く頑張ってる〜」です。でも途中から発声に無理が感じられるのは確かで、それがお厭な方はこちらをお聴き下さい:

 ピアノカバー

追伸その三 動画の英語タイトルにもある通り、鶴は英語で crane、物を吊り上げるクレーンと同じです。如何にも風情に欠ける。歴史的には鶴を指す crane が先に存在したに決まってますが、物を吊り上げる重機が出現した時、crane と名付けたらどうなるか、英語国民は思い及ばなかったのでしょうか。

もっとひどい話もある。紫露草という可憐な野草 (学名 Tradescantia) を、フランス語では misère (ミゼール) と呼ぶ。「レ・ミゼラブル」と同じ系統で、惨めな状態を指す語です。日本語の実に詩的な名前に比べて、何たる薄情な命名の仕方や。路傍でこの花を目にする度に、フランス人には感受性というものが無いのんか... と心中叫んでしまう。

事のついでに申せば、同じフランス語に vivre d’amour et d’eau fraîche という表現がある。根が正直な私は、文字通り「愛と清らかな水で生きる」、つまり愛があれば貧しくても幸せの意と思い込んでいた。
 しかるに、70過ぎてから念のため辞書を引いてみたところ、「恋に夢中になって生活をないがしろにする」という否定的な意味で使うのだそうな。この年でそのことに驚愕した私が、世間知らずなのか。いや、運命の人と思っていた恋人を失っても c’est la vie (セ・ラ・ヴィ) と受け流すフランス人が、醒め過ぎているのだ。

哀愁の調べ わが心を慰む (21)


唐突ですが、

 「

第二次大戦直後の1945年にロシアで作詞作曲された歌ですが、聴きながら字幕を読んでいたら何十年ぶりかにじ〜んときて、書き写さずにはいられませんでした:

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ

 明日は分らぬ
 この身の上
 せめて 翼休めよう
 荒野のただ中に

 砂埃は舞う 軍靴に
 荒野に 草原に
 辺りには 炎荒れ狂い
 弾丸が 風切る

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ

 銃声が轟き
 鴉が 空を廻る
 友は 草の中
 屍をさらす

 道は 彼方へつづく
 砂埃 巻き上げ
 大地は 煙上げる
 異国の大地は

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ

 松林の果てに
 陽は昇り
 懐かしい戸口に
 母は息子を 待っている

 果てなき旅路に
 荒野に 草原に
 我らの背を いつも見つめる
 懐かしい瞳

 おお 道よ
 砂埃と霧よ
 寒く 心細い
 荒野の草むらよ


もう何ヶ月も前からイージーリスニング系の音楽ばかり聴いていたのに (「哀愁の調べ わが心を慰む (19) ロシア風い〜じ〜りすにんぐ十選」)、どうしてこの悲痛な歌曲に辿り着いたのか、我ながら不思議ですが...

実はひと月も前のこと、ロシア風...の動画を片端から見ている内に、同じ曲が別の形で出てきました:

ロシアの画家ウラジミール・ズダノフ

農村風景を描いた絵画を見せる動画らしく、それも良いが、背後に流れる曲と伴奏のピアノがいたく気に入りました。普段は動画を開けて歌が聞こえたら、男女を問わずすぐ捨てるのですが、どういうわけか一瞬耳に入って捨てられなかった。

でも最初は歌詞には関心が無く、旋律が気に入ればそれで良かった。

ところが、ピアノ伴奏が弾けるかも...と、希望的観測を抱いたのがいけなかった(笑)。弾きながら歌声が頭に浮かべば、弾き語りの雰囲気やと考えて、繰り返し聞いている内に、どんな歌詞なのか好奇心が湧いてきて、検索してみたら意外な展開です。
 オペラ歌手とは言え如何にも荘重な歌い方が、平和な農村風景には些かそぐわないと感じていたのですが、歌詞を読んで歌声が一層心に染み込んできました。

追伸その一 動画「ロシアの画家...」には曲名も歌手の名前も添えてないのですが、譜面起こしの見積りを頼んだWINDS STAGE社が、注文を止めてしまう可能性も厭わず教えてくれたお陰で、検索が可能になりました。

追伸その二 動画の歌手ディミトリー・ホロストフスキーは、脳腫瘍を患い闘病生活の末、2017年に55歳で亡くなったそうです。こういう情報に接する度に、自分が20年も前に死んでしまっていたら、あれもできなかった、これもできなかった... と思わずにはいられない。

追伸その三 歌詞の和訳は複数存在します。他の訳を見ると、引用した訳が正確なのか疑問もありますが、翻訳の良し悪しは昔から女性の美...に喩えられて (実に怪しからん)、Belles infidèles (不実な美女) なんて表現まである。美しいが原文に忠実でない翻訳の意だ。
 ロシア語通訳で有名な故米原万理『不実な美女か 貞淑な醜女か』に、この表現の由来が書いてある。17世紀フランスに、古代ギリシャ・ローマの古典を翻訳して訳文の美しさで評判の作家がいたが、著名な学者が彼の翻訳を評して言った:
 「かって愛した女を思い出させる。
  美しいが不実な女だった」
引用した訳は、原文に忠実でない箇所があるかも知れないが、他の訳より遥かに心を動かされる。

追伸その四 ひねくれ者の贅沢を言えば、「母」の出てくるのがちょっと白ける。妻や恋人では駄目なの? それとも、私はエディプス・コンプレックスがきちんと処理されていないためにそう感じるのか知らん。

追伸その五 70過ぎの爺さんがピアノを始めたって、一体ど〜ゆ〜きっかけで? と思って下さる方は「哀愁の調べ わが心を慰む (1)」からご覧下さい。

真実を解明することが大切でありますから


「桜を見る会」の前夜祭に関して、任意の事情聴取を要請された安倍前首相が言った。

笑っちゃいますよね。自分が解明を妨げてきたんじゃないですか。

財務省による公文書改竄の時も、誰の答弁に合わせるためだったのか歴然としていたのに、「あってはならないことで規律を正さねば」という趣旨の発言をした。

この状況でこの台詞、どちらも普通の人が真顔で言ったら「アタマおかしいんじゃないの?」でしょう。

「答弁を差し控える」の不思議


暫く前から、官房長官、大臣、官僚などが頻繁に使うようになった。野党議員や記者に情報や見解を求められて、答えたくない時の常套句だ。

不思議なのは、問い詰める側の野党議員や記者までがこの一句を耳にすると、まるで「答えられない正当な理由があるんだ」と納得したかのように、それ以上追求するのを止めてしまうことだ。

報道されないだけで実際には食い付いているのかと思い、国会審議、官房長官の記者会見、野党議員による官僚のヒアリングなど、一問一答形式で載せている記事も読んでみるが、食い付いているようには見えない。

敵は要するに「答えたくない」と言っているだけなのに、どうして納得してしまうのか。何故、

「国民には知る権利があるのに、勝手に差し控えてんじゃないよ。政治家として、行政府の担当者として、聞かれたことに答えなくてもいいと考える根拠は何なの!」

と反撥しないのか。

このひと言が呪文の如く作用して、問い詰める側がまるで金縛りにあったように黙ってしまうのが、不思議でならない。

仲良し二人 揃って年貢の納め時


片や元首相、片やもうじき元大統領。

首相在任中は、誰が聞いても詭弁としか思えない論理で逃げて逃げて逃げて回ったサクラ印、遂に釈明せざるを得ない立場に追い込まれたようだ。首相が自身の事務所秘書に問い合わせた際、秘書が嘘を伝えたなどと言っているらしいが、国会答弁で理屈にもならない詭弁を弄したこと自体、知っていたことを示しているのじゃなかろか。

大統領でいる間は、歴代大統領 (候補) が尊重してきた暗黙のルールも無視、国際法も無視、数え切れない程の嘘をついた挙句に、二期目を狙った大統領選挙で敗北が決定的になっても認めない。

無意味な訴訟を連発していい気分のようだけど、ただの人となれば今度は自分が、脱税だの何だの様々な訴訟を起こされ、借金返済も迫られる。4年後の雪辱を狙っているようだが、そもそも立候補できる法的立場にいられるかどうか。

ロイター11月13日付の記事 (一部要約)
退任後のトランプ氏、多くの訴訟が頭痛の種に

トランプ氏が1月に退任すれば、米国法のもとで現職大統領に与えられる保護を失う。退任に伴ってトランプ氏を悩ませそうな訴訟及び刑事捜査の例。

1)<ニューヨーク州検察による捜査>
ニューヨーク州法の執行に当たるマンハッタン地区検事長サイラス・バンス氏は、2年以上にわたり、トランプ氏及びトランプ・オーガナイゼーションに対する刑事捜査を進めてきた。
 捜査は当初、トランプ氏の元弁護士で自称「揉み消し役」であるマイケル・コーエン氏が、2016年の大統領選の前に、トランプ氏と性的関係があったと称する2人の女性に支払ったとされる口止め料をめぐるものだった。
 だが民主党員のバンス氏は最近裁判所に提出した文書のなかで、現在では捜査の対象が広がっており、銀行取引・税務・保険関連の詐欺行為、事業記録の改竄が焦点になる可能性があると示唆。

2)<司法省による捜査の可能性も>
トランプ氏が、新たに就任する司法長官の指揮の下、司法省による刑事訴追に直面する可能性も。
 一部の法律専門家は、トランプ氏が連邦所得税の脱税容疑に問われる可能性があると話している。ニューヨーク・タイムズ紙はトランプ氏が2016年、2017年に納めた連邦所得税がわずか750ドルだったと報じた。

3)<ニューヨーク州による民事詐欺訴訟>
民主党員であるニューヨーク州のレティシア・ジェームズ州司法長官は、トランプ氏とその一族が経営するトランプ・オーガナイゼーションに対する脱税捜査を進めている。
 この捜査は、トランプ氏の弁護士だったコーエン氏が連邦議会に証言した内容がきっかけだ。コーエン氏は、トランプ氏が債務・保険のコストを抑制するために資産価値を吊り上げた後、不動産税を抑えるためにまた低く抑えたと述べた。

4)<E・ジーン・キャロル氏による訴訟>
雑誌「エル」の元記者であるE・ジーン・キャロル氏は、2019年にトランプ氏を名誉毀損で告訴。1990年代にニューヨークの百貨店内でトランプ氏から性的暴行を受けたとするキャロル氏の主張をトランプ氏が否定、著書の販売促進のために嘘をついていると非難したため。

5)<サマー・ザーボス氏による訴訟>
2005年、トランプ氏が司会を務めるテレビのリアリティーショー番組「アプレンティス」に出演した人物。トランプ氏は2007年に会った際に彼女にキスを強要し、ホテルで猥褻な行為を仕掛けたという。
 トランプ氏がザーボス氏を嘘つき呼ばわりしたため、彼女はトランプ氏を名誉毀損で告訴。


『ウォール・ストリート・ジャーナル』にも11月13日付記事:
トランプ氏を待つ訴訟の嵐、退任で捜査に弾みも


蛇足のようですが but not least、在任中は大統領としての報酬を受け取らないことを自らの高潔さの象徴のように吹聴していたそうだが、その裏で国際会議や政府の賓客の接待に自身の所有するホテル・施設を使わせ、たんまり儲けたそうな。

偽りの勝利に酔っているのはどっち?


ほ〜〜〜〜っとしました。これで4年間の悪夢が終る。

私にとっての悪夢を思い出すままに挙げると、

 エルサレムをイスラエルの首都と認定した上に、ヨルダン川西岸地区への入植活動を国際法上 合法と認めた。いずれもパレスチナ国家の樹立を前提とした和平の展望を破壊するものだ。

 イラン核合意からの離脱。ドルの支配的地位を梃子に、日欧の企業にまでイランとの取引を諦めさせ、イラン国民の生活を苦しくした。同国の保守強硬派を利しただけだ。

 気候変動に関するパリ合意からの離脱。

 環境保護に関する規制を次々に廃止。
 .....

 更にここ数日の様子を見ていると、来年一月にホワイトハウスを追い出されるまでに何をやらかすかと恐ろしくなってくる。


しかし経済政策に関しては、トランプは規制緩和と減税によって成果を挙げていたんだと考える人間も多いとのこと。

私に言わせれば、規制緩和は環境保護その他の面から全然良いことじゃないし、減税も富裕層を更に金持ちにしただけですが、彼の経済政策を評価する人間も多いとなると、新型コロナが出現していなければ悪夢が更に4年間続いたのかも。コロナ禍は神の摂理かという思いが一瞬脳裏をよぎる...

ところで精神分析的には、トランプの現在の態度はまず「現実否認」に当り、いつまでも法廷闘争を続けようというのは、「喪の作業」に当ります。

誰でも、愛する人間が亡くなったりするとすぐには現実を受け入れられない。時間を掛けて呑み込んでいくという精神的・心的プロセスを必要とする。それが喪の作業ですが、トランプがあちこちで起こしている訴訟は、それに当るように思われる。しかし個人的な失意を処理するために、大統領選の確定を引き延ばそうというのは如何なものか。

共和党も、いつまでもこんな人間を担いではいられまいと思うのですが。

そう言えば、苦境の時の友こそ真の友と言うそうな。すると、未だにバイデン氏に祝意を表していないプーチン、習近平、ボルソナロが彼のホントのお友達なのかな。

パレット氏の最高裁判事承認さえ済めば、トランプに用は無い?


顔を見ると結構可愛い女性で、何でこういう優しい顔したおばさんが保守派なの? と思ってしまうが、今日は品定めに書いているのではありません。

とにかくトランプが大統領でいられる内にと、民主党の強い反対を押し切って上院で彼女の指名承認まで済ませた。

しかし共和党内にも、トランプ落選を目指して運動するリンカーン・プロジェクトなるものがあり、他にも同党系の元政府高官が多数、バイデン支持を表明したりしている。一般党員にもこの大統領振りにはうんざりという人も結構いるのではないか。

それが隠れバイデン支持者かどうかは知らないけれど、最高裁判事にもう一人保守派を任命するまでは、厭でもトランプをかつぐしか無いと考えてきたのではないか。

そういう人達は、バレット氏の承認さえ成ればもうトランプみたいな大統領に用は無い、法も暗黙のルールも無視して突っ走る、ただただ大統領の椅子に座り続けたいだけの人間はお払い箱だ、と考えるのではないか。そしてバイデンに入れないまでも、投票しないという選択をするのではないか。

どこかでちらっと見たような気がする見解で、私独自の発想と申す積りはありませんが、日本ではテレビでも新聞でも全く見られないので、敢えて選挙前の予想として書いておきます。

さてそういう共和党員がどのくらいいて、実際にトランプ落選に貢献してくれるのかどうか、これは神のみぞ知るだ。

哀愁の調べ わが心を慰む (20)


儚き夢

ロシア風イージーリスニング(「哀愁の調べ わが心を慰む (19)」)に凝っている内に、思いがけない発見です:

 乙女たち...
 
アップテンポで、でもどこか哀しげな曲をバックに、読書や散歩中の可憐な少女たちの絵が流れます。

何気ない姿を目にした瞬間、ほのかな恋心が芽生えて抑えられなくなる。昔々そういうこともありました...

絵の少女たちを見ていると、ナンパしようなどという気も失せて、ただただ見とれていたくなる。これは言わば片思いの世界。

そう気付いてもまだ眺めていたい。そんな願いが伝わったのか、同じ絵を大きなサイズで見せる動画が出てきました:

 ビデオ・ギャラリー

中でも1番, 3番, 4番と後半の何人か、清楚で気品のある雰囲気には溜息が出てしまう。

そして芥川龍之介『侏儒の言葉』の一節を思い出す:

少女 --- どこまで行っても清冽な浅瀬


そんなんじゃないことは分っているけど、この絵の少女たちを前にすると夢を見ずにはいられない... 一体何故なのか考えていると、絵の仕上って行く様を見せる動画があって、モデル無しで制作しているように見える:

 Emerald Bay

ということは、彼女たちは画家自身の憧れを絵にしたものなのかも。

それに、初めは細部まで綿密に描いてあるように感じたが、筆遣いを見ていると巧みにぼかして、見る者に想像の余地を残しているような気がする。夜目遠目笠の内。そのテクニックには脱帽です。

このブログを読んだ娘たちが「男ってバカね〜」と呟き、こんな雰囲気を狙って化粧や立ち居振舞いを工夫し始めたら... 夢見る少年を待っているのは果して幻滅か、それとも幻滅を突き抜けた先にある真の出会いか、な〜んてね。

追伸。私の楽しみ方:

 乙女たち...

の音楽を繰り返し流しながら、

 ビデオ・ギャラリー

を画面一杯のウインドウに表示し、音を消して再生速度0.5で流す。

気持良いですよ。但し、先日ご紹介したブラウザBrave(「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」)を使わないと、あちこちにCMが入って悲惨なことになります。

山岳風景五選


YouTubeでロシア風イージーリスニングを聴いていると (「哀愁の調べ わが心を慰む (19)」)、自然の風景や絵画が良く出てくる。

何度も見ている内に、今度は山岳風景や空撮映像そのものがお勧め動画に出現。

実は若い頃それなりに登山を楽しみ(「丹沢で遭難する術」)、南北アルプスにも行きました。そのせいか、自分の足では行けなくなった今も、山岳風景が好きです。

もう10年以上前、NHKのBSでロッキー山脈の空撮映像を見て、両親にも見せて上げようと、妹から貰った4:3で20インチ程度のブラウン管テレビの代りに、32インチ液晶テレビを購入。同じマンションに住んでいた二人を連れてきては見せ、最後には両親の家にも買って上げた (と言っても資金の出所は両親だったような気もするが、記憶定かならず)。

しかし、ほんとに見事と思う番組は中々無いのでDVDを買ってみたりしたが、これが意外にお粗末。二人とも亡くなってしまった今になって、YouTubeで本格的な山岳風景を見付けたわけです。

思えばYouTubeが始まった頃は、5センチ四方程度の小さなウィンドウで、おっ!と思うような絵があっても、拡大すると却って迫力が落ちる始末だった。それが今や、iMacの21.5インチ画面全体に拡大しても画質の落ちないものが多くなった。

そればかりか、タイトルに4Kと付いて解像度2160pなんてのまであり、驚異的進歩です。残念ながら、私の持ってるiMacはハードの解像度が1080p止まりなので、恩恵を受けられない。しかし錯覚とは恐しいもので、Apple社に電話してハードの性能を確認するまで、「お〜、2160pで見るとこんなに綺麗に見えるのか」と感心しておりました(はっはっは)。

CM無しで見られるブラウザが手に入ったこともあり (「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」)、山岳風景の見られそうなものを片端から開けてみた。中には山岳鉄道や山岳道路の方に興味があって、風景としては物足りないもの、映っている風景が次から次へとぽろぽろ変って、ゆっくり鑑賞できないものもあり、撮った人間はほんとに山岳風景が好きなのではないらしい。

ひどいのになると、しょっちゅう投稿者自身が顔を出す。どうして、ダサい男の顔をアップで映し込んだりしなきゃならないのだ。

幸い、私と同じような感覚でじっくり眺めさせてくれるものものもあります:

Glacier National Park Montana America 4K 18分
(2分35秒以降が良い)

ALPS + DOLOMITES 4K 23分

マッターホルン 7分

Dolomites Tre Cime di Lavaredo italy 4K 42分

Swiss Alps 4K 33分

念のために申しますが、私は全て音を消して見ます。景色を楽しんでいるのに、リラックスできる音楽とか言って気に入らないものを聞かせられては堪りません。

ブラウザBraveだと、数時間の長いものでもCM無し。余りに素晴しい風景なので、根が真面目な私は「こんなものをCM無しで見ちゃっていいのか知らん」と考え込む。

ところで最近の若い人は、小さな字でも読めるからと、人のブログを読むのも音楽もスマホで済ませているようですが、山岳風景だけは、ちゃんとおウチに帰ってデスクトップの大きな画面で見ないと損しまっせ...

YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"


最近YouTubeに

 「不要な広告を非表示に」

と唱える新たなブラウザのバナー広告が出現。しつこさに根負けして試したところ、ホントにCM無しで見られる! しかも無料。

事前に一応ウィキベディアの記事などはチェックしました。YouTubeがCM無しで見られるブラウザを無料で提供、なんて慈善事業みたいですが、一部のCMは流してどうとかこうとか、ビジネスモデルは持っているようです。

残念ながら、ソフトのアイコンが赤地に白のライオンだかなんだか良く分らない動物で、操作性もSafariと同じというわけにいかず、デフォルトのブラウザに設定する気にならない。取り敢えずYouTubeだけBraveで見ることにしました。

以来、ロシア風イージーリスニングを次から次へと聞く時も (「哀愁の調べ わが心を慰む (19)」)、天井に吊されたブランコに必死で乗ろうとする猫や美しい"景色"を眺める時も、一切CM無しで楽しめるようになりました。何という爽快感!

CMが消えたからと言って、年齢制限のあるものまでは見ておりません。ホントはちっとは見たいけど、YouTubeその他のサービスを片端から買収して、何をするにもGoogleを経由させようとする同社の戦略に反撥し、4年前にGoogleアカウントを捨てましたので (「さらば Androidスマホ、さらば Google...」)、見られないのです。我ながら、実に賢明な選択をした。

テレビでも何でも、CMの謳い文句に真実は一割も含まれていないと腹を決めていたが、今回だけは100%本当らしい。

但し、ネットからダウンロードしたソフトである以上、暫く経ってから悪さを始めないという保証はありません。ソフトが充分普及したのを見計らって、ある日突然「今まで通りCM無しでご覧になるには月に○○円」と言い出さない保証も。

私も、パソコンが撹乱されてしまう事態をちらっと思い浮かべ、それでもCM無しの魅力に勝てずインストールしました。この記事をご覧になった方も、試す際には自己責任でお願い致します。

追伸『日経』2021年1月1日付けに、

〈ポストGAFAの胎動〉(上)
データの集中、伏兵が崩す
 SYNQA:決済技術で世界結ぶ
 米ブレイブ:広告クッキーに頼らず

との記事が出ました。一部要約しますと、

クロームでブラウザ市場の過半を押えるグーグルの牙城に挑むのが、ブラウザ開発の米ブレイブ・ソフトウエア。20年11月のアクティブユーザー数は2200万人。

閲覧履歴が分るクッキーに頼らずに、適切な広告を配信できるのが特徴。「プライバシー保護で顧客と向き合える」と、ニューバランスジャパンで広告宣伝を手がける鈴木健氏はブレイブを評価。同社に加え米インテルやサッポロビールなど大手が集う (要約終り)

つまり、私が気付いただけの、どこの馬の骨とも分らぬブラウザではないということです。

哀愁の調べ わが心を慰む (19)


ロシア風い〜じ〜りすにんぐ十選

 風...

ピアノのお稽古で年寄りの指を痛めぬようにと思うと、10分弾いては15分休むという感じになり、全体ではもの凄い時間を割いています。バルザックの『あら皮』さながら、私の寿命はその分どんどん縮まって行く... (「バルザックの『あら皮』または『悲しみの皮』」)。
  
YouTubeのお陰で、バッハにも綺麗な旋律の曲があるらしいと気付いて以来二年近く、休憩中はバッハまたはそのピアノ編曲を片端から聞いてきたのですが、余りに禁欲的生活が続いたせいか、何となくイージーリスニングに傾いてきました (「哀愁の調べ わが心を慰む (18)」)。

その内に何故か、説明がロシア語だけの動画、それも哀愁の調べと呼ぶにぴったりの曲が次から次へと出現。ロシア風のイージーリスニングには何やら抗しがたい魅力があって、ついつい聴いてしまう。サキソフォンがこんなにむせび泣くような音色を響かせるとは知らなかった。

1950〜60年代に日本でロシア民謡が流行ったように、もしかしたら民族的心性に通ずるところがあるのかも。今ロシアと言うとまずプーチンの顔が浮かぶので、残念ながらそういう想像はしにくいですが... そう言えば、日本の演歌をアレンジしたものも出てきました。

動画の説明が全く読めないので、題名の意味だけでも探ろうと、iPadアプリの露和辞書を購入 (研究社の15000円ではなく小学館の2940円)。紙の辞書じゃないから、アルファベットに相当する文字の順番が分らなくても引けます。

すると曲の題名は、雨、風、秋、冬、月、空、木の葉、美、愛といった言葉の組合せが多い。しかしロシア語には名詞・形容詞にも格変化があるから、初等文法の知識が無いと単語の繋ぎ方が分らない。

「秋の雨」なのか、「雨の降る秋」なのか、「風に舞う木の葉」なのか、「風が木の葉を吹き払う」のか... といった調子。

それはともかく、まるで日本の演歌みたいに(失礼)似たりよったりの旋律が多い中に、時々きらりと光る曲がある。それをご紹介します。ロシア語をブログ上で再現するのはさすがに面倒過ぎるし、英語のタイトルが付いていないものには単語を一つ二つ拾って訳語を示しました:   

 猫...
猫と言っても、「猫踏んじゃった♫」の類ではなく、かって可愛がっていた猫を懐かしむような雰囲気の曲です。

 乙女たち...
これについては「哀愁の調べ わが心を慰む (20) 儚き夢」に詳しい解説あり。

 When we sang about love...
この曲を聴けば聴く程気に入りまして、ピアノソロ・バージョンの譜面を必死に探しております。投稿者に問い合わせるために、Googleに対する嫌悪を我慢してアカウントを再登録したくらいです。もしかしたら弾けるかも... というのは例の如く幻想であること覚悟しておりますが、お心当りの方はどうぞご一報下さい。

 サキソフォン...

 夏よ、さようなら

 日の光...

 雪が好き...
女性のハスキーなコーラスに気付いて余計好きになりました。

 Prelude "Irina"

 トレフィモヴ・オレグ...


ピアノを始めて二年半、背伸びと知りつつ、ブランド狙いで「インベンション13」に手を付けて半年、「小前奏曲9(BWV928)」4ヶ月、漸く1/4倍速で一段ずつなら弾けるところまで来たが、い〜じ〜な生活を続ける間に上達がぴたりと止まり、お稽古の休憩中にこういうものを聴いているのか、聴く合間にお稽古しているのか、判然としなくなってしまった...

追伸 どういうわけか時々、ご紹介した動画が見られなくなっていることがあります。定期的にチェックして他の素敵な曲と差し替えておりますが、ご覧になる時に間に合わなかった場合はどうぞご容赦下さい。

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閃緑藻
おのこ、フランス語通訳。
2008年に60歳でブログ開始。
題名は、17世紀フランスの宮廷詩人ラ・フォンテーヌの寓話詩の一節から取りました。