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アベノミクス=亡国の政策


『毎日新聞』に掲載された藻谷浩介氏の解説が正論だと思うので、慎んでコピー。

日本経済の価値を下げた「亡国政策」に憤り

日銀が3月、「異次元の金融緩和」に見切りをつけて政策を転換した。大規模緩和を軸とした経済政策「アベノミクス」に対し、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介さん(59)は「日本経済の価値を下げる亡国政策だった」と憤りを隠さない。以前から異次元緩和を批判してきた藻谷さんが考える、日本経済にとって本当に必要な対応策とは何か。

「壮大な社会実験」は失敗

― 異次元緩和の結果をどう見ていますか。
 
◆この壮大な社会実験は失敗した。それを経て、私が14年前に提言した三つの策の重要性がようやく政財界にまで広く理解されるようになったことは皮肉な成果かもしれない。

私は2010年刊行の『デフレの正体』で、金融緩和は内需を拡大させないと指摘した。消費を拡大させる策は、
 若者の賃上げ
 女性の就労と経営参画の促進
 外国人観光客の消費増加
だけだと書いた。
 
だが、12年末に政権に復帰した自民党の安倍晋三氏は、日銀が大規模緩和策を取れば物価が上がり、経済が成長するとの「リフレ論」を信じた。その意を受けた黒田東彦前日銀総裁は、資金供給量(マネタリーベース)を5倍にまで増やし、極端な円安と、余剰資金の流入による株高を引き起こした。

しかし、物価上昇で増えるはずの名目GDP(国内総生産)は12~23年でみて年率1.5%と微増にとどまり、株高にもかかわらず個人消費は横ばい。円安の弊害ばかりが目立っている。

円安で国富の流出続く
 
― 円安の問題点は何でしょうか。
 
◆日銀が国債や株式を買い込んだ結果、金融緩和の手じまいが難しくなり、日米の金利差も固定化するようになった。その結果、1ドル=150円台の円安水準が続く。世界銀行が算定する購買力平価ベースレート(物価が同じになるように計算したレート)は、1ドルが100円未満となっている。これはエネルギー、食糧、ソフトウエア、あるいは安倍氏の支持者が増強を求めていた武器などを海外から買うたび、本来の1.5倍以上の国富が海外に流出している計算だ。

「物価上昇を上回る賃上げを」と言っても、外貨が手に入る輸出企業以外にその原資はない。輸入物価の上昇で国富が流出する分、実質所得は下がる一方だ。
 
― デフレ脱却と経済成長を目指したアベノミクスをどう総括しますか。
 
◆日本経済の価値を下げる亡国政策だった。「経済成長」を唱えたが全く逆の結果を招いた、日本史に残る愚策だ。バブル崩壊後も成長を続けていた日本経済が完全に縮小に転じた。

日本の名目GDPは、野田佳彦政権の12年には6.2兆ドルで史上最高だった。しかし、同年末に誕生した安倍政権が異次元金融緩和を始めて円安に誘導した結果、政権末期の19年には5.1兆ドルへと約2割も縮んだ。さらに円安の進んだ23年には4.2兆ドルと3分の2にまで減った。

基軸通貨の米ドルで見れば、年率3.6%のマイナス成長だ。日本も、中国やロシアの経済規模を人民元やルーブルではなくドルで見る。世界から見た日本経済の存在感は、急速に失われてしまった。

消費増税と経済成長
 
― 消費増税が経済成長を妨げたと指摘する声もあります。

◆3%の消費税が導入されたのは1989年だが、その後も名目GDPは、円、ドルベースともに97年まで順調に増加した。この間のバブル崩壊で地価や株価は下落したが、経済自体は成長し、実質所得も個人消費も伸びていた。98年の経済の減速を、97年に3%から5%へ増税されたせいにする論者がいるが、その後に5%から8%に増税された14年、10%に増税された19年に、名目GDPが微増だったことを語らない。4回の増税で一回しか起きなかったことを普遍の原理のように論じるのは科学的ではない。

― 円高で輸出が減るといった見解もあります。
 
◆それはよりひどい議論といえる。85年のプラザ合意で円高が始まって以降、日本の輸出は円ベースで倍増以上、ドルベースでは数倍以上に増えている。今世紀の数字で対前年比の相関を取ってみると、ドルベースの輸出額は、円安ではなく円高になるほど増える傾向がある。

日本の輸出の主力は部品、高機能素材、そして生産用の機械であり、こうした「BtoB(事業者向け)」のハイテク製品は価格に関係なく品質で売れるからだ。1ドル=100円になっても購買力平価ベースでは日本の物価は割安であり、インバウンド(訪日客)消費も、ドルベース換算ではむしろ増えるだろう。

賃上げ、実質所得のアップを
 
― デフレ脱却や日本経済のために本当に大切なことは何ですか。
 
◆14年前に提言した3点で変わらない。何より、賃上げで個人消費を増やすことだ。「生産性が上がらなければ賃上げできない」というのは、生産性の計算式を知らない暴論だ。生産性とは、付加価値額(国全体では名目GDP)を就労者数で割ったものだが、付加価値額の主要部分は人件費なので、「賃上げ=生産性上昇」となる。感覚的には、賃上げ分が消費に回れば企業の売り上げも増えると理解してほしい。

― 私たち国民も冷静な視点が求められそうですね。
 
◆金融緩和を改めれば株価が下がるが、騒ぐ必要はない。株価の上昇は経済を成長させなかったし、その下落で経済が縮小することもない。株は下がっても実質所得が上がって経済が成長する日本の実現に向けて、植田和男・日銀総裁による、慎重だが正しい決断を支持し続けることが肝要だ。【聞き手・竹地広憲】

もたに こうすけ 1964年、山口県生まれ。日本政策投資銀行を経て2012年から現職。著書は「デフレの正体」「進化する里山資本主義」など。

追伸 最後の「植田和男・日銀総裁による、慎重だが正しい決断を支持し続けることが肝要だ」のひと言だけは、賛成できない。
 いつまでも、何やかやと理屈を付けては利上げを渋って円安を長引かせている植田日銀は、「本来の1.5倍以上の国富が海外に流出している計算」という議論からすれば、もっと厳しく批判されてしかるべきではないか。

ベルモンド主演『プロフェショナル』


テーマ曲 Chi Mai (モリコーネ)



予告編風の動画は色々あるけど、私好みの美女が一瞬現れるのを選びました:

私好みの美女

サイト「映画.com」にある粗筋に多少加筆してコピーしますと:

元フランス軍のエリートで諜報部員のベルモンド。フランス政府から、アフリカ某国の独裁者である大佐暗殺の指令を受けて現地に潜入。しかし決行直前に政治状況が変化し、大佐が大統領に就任。某国との関係維持を優先したフランス政府は、作戦を中止した上でベルモンドの存在を密告。彼は麻薬売買の濡れ衣で長期刑を言い渡され、過酷な強制労働と拷問を受けることに。二年後、脱獄してパリに帰ってきた彼は、フランス政府に復讐を予告...
 
1981年公開。但し日本では40年も経った2020年、ベルモンド主演作を上映する特集「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」(20年10月30日~) で劇場初公開:

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選


そして2021年、ベルモンド死去。マクロン大統領も出席して国葬が行われ、式場から棺が運び出される際に、Chi Maiが演奏された。彼の映画人生を象徴する曲と、みんなが思ったのでしょう。

フィクションとは言え、フランス政府の裏切りを告発・嘲笑するような映画のテーマ曲でも、国葬の際に用いるという鷹揚さには、感心します。それに引き換え東洋の某国では、ちょっとでも政府に批判的な要素の含まれるものは、公的な場では一切排除しようとする...

以下、国葬の様子 (46分):



どんな時も良く言えば融通無碍、悪く言えばその場でその場で適当に対応するように見えるフランス人も、やる時はやると主張しているかのようなセレモニー。儀式というものの本質を感じさせられます。


さて Chi Mai は、70になってピアノを独習するきっかけになった曲なのです。映画公開時にたまたま同国に留学していた私は、テーマ曲がいたく気に入り、10年程前にそのピアノカバー曲をスマホの目覚ましに:



左手部分は単純な作りなのに少しずつ音程が変化して、右手の旋律以上に魅力的に感じられる。しかも和音じゃないから指一本で弾けそう...

ところが偶然このカバー曲の譜面が手に入り、iPadの鍵盤アプリで左手部分を弾いてみると、あんなに気に入っていたのに意外と単調で、期待した程嬉しくない!

右手の方も、指一本で弾けるところはちょ〜っと物足りない。目覚しで聴いた限りでは、最初から美しい旋律に聞こえたのに。

ひょっとして、それだけでは短調な左手が、旋律を背景にするととても魅力的に聞こえ、右手の旋律も左手が加わるとずっと豊かな調べに聞こえるのか...

というわけで、電子ピアノを用意し、ちゃんと教則本も買って独習を始めた。『プロフェショナル』に始まり40年以上に亘るこの運命的な繋がり、思い出す度に我ながら感嘆する。より詳しくは:

ぴあの(1)70で始めたきっかけ
ぴあの(2)70で始めたきっかけ(続)


注の一 テーマ曲 Chi Mai は元々映画『マッダレーナ』のために作曲された:

マッダレーナ (50周年記念リマスター盤)

このサイトから説明をコピー:

モリコーネ・ファンの間では人気の高い、1971年の官能ロマンス映画。エンニオ・モリコーネが奏でるノスタルジックでアンニュイな旋律、映画史に残る傑作サウンド・トラックが、50周年記念として第1世代のマスターテープからリマスター盤でリリース! 有名なテーマ曲“Chi Mai”のフィルムバージョン、シングルバージョン、リサ・ガストーニによる歌バージョンを含む別バージョンなども追加収録。テーマ曲“Chi Mai”はモリコーネ自身もお気に入りで、後にジャン=ポール・ベルモンド主演のフレンチ・アクション『プロフェッショナル』(’81) でもアレンジを変えて収録されています。

中国ドラマ『働く女子流ワタシ探し』


V11.png

ヴィクトリア・ソン演ずる中小企業の管理職。32なのに恋愛経験が無いらしいと、部下の女性達に噂される。それがどうだって言うの? と高校生のような純情さを保ち続けている。

実習生3

10歳年下の実習生。ちょ〜イケメンなのを笠に着て、自分勝手な理屈を押し付けてくるのが見ていて不愉快。しかしヒロインに免じて許す。

今の中国でも、こんなに自由闊達なドラマ作りができるのかと感心した。


ストーリー:

「35になってもお互い一人だったら結婚しよう」と公開プロポーズしておいて、南極遠征に出掛けた大学時代の相手。すっかり忘れた顔して、結婚式の招待状を渡しに来る。

密かに心待ちにしていたヒロインが落ち込んで、料理屋で実習生相手に愚痴をこぼしている内に、泥酔して「私と付き合ってくれない?」と迫る。酒の上のことと後で幾ら否定されても、こんな美人に可愛い表情で迫られたら、男はもう止まれない...

取引先の金持エリート社長37歳もヒロインに惚れ込むが、年下の相手がいると知って、一計を案ずる。「僕は今ある女性に片思いで、全く相手にされない」と嘘ついて、色恋の絡まない友人という立場を獲得。自宅に押し掛けて両親と仲良くなったり、年下クンとの恋愛に悩むヒロインに、アドバイスしたりする。実に狡猾きわまりない悪い奴だ。

そして、社交ダンスのイベントで年下クンが公開告白をしようとしたのがこじれて、ヒロインが別れを切り出す。

一方のエリート社長、「別の女性に片思い」との嘘がバレると今度は、お試しで付き合ってみないかと持ちかけ、両親の年齢などを考えたヒロインが話に乗る...


こうして三つ巴の色恋模様が、45分×41話も続く予定なのだが、男二人に言い寄られるヒロインの心の内を勝手に想像して、やきもきする。

会社の同僚、友人、三人の親族など外野席も巻き込んで、すったもんだの結末は見え透いているようなのに...

なのに後半、エリート社長の策略が功を奏して、ヒロインが心を寄せ始める。働く女子流ワタシ探しの行き着く先が、あんな男との結婚だなんて... 

あり得ない!と心に強く念じるが、心配で夜も眠れぬ。ヒロインも最初ほど魅力的に見えなくなってきた。これでほんとに年下クンを振ったら、ヴィクトリアなんて嫌いになってやる...


追伸その二以下にネタバレの感想あり。ドラマを最後までハラハラドキドキ見たい読者は、要注意。

追伸その一 ヒロイン以上に恋愛経験の少ない私の推測だが、年下クンの将来を邪魔したくないとか何とか言って別れる彼女の本当の理由は、やはり10歳も年上なことのような気がする。彼が30の時に自分は40、40の時には50... それが何故気になるのか具体的に書くと、非難殺到だと思うので止める。

しかし日本の歴史には、一回りも年上の内親王を愛し続けたとの噂のある有名な歌人がいる。平安末期から鎌倉初期に活躍し、『新古今集』を編んだ藤原定家だ。

ヒロインも年齢差など気にしなければ良いのに。

追伸その二 ヒロインがエリート社長と会社近くのレストランで食事しているところへ、年下クンが本社の女性デザイナーと一緒に入ってくる。「あんな女性と出会ったなら、オバサンへの興味はなくなるわ」という言葉に、社長は嫉妬ゆえの微かな怒りを感じ取り、歯車が逆回転し始める。

彼女が社長を心から愛することは出来ないと悟り、別れを告げる積りで夜社長の家を訪ねると、手作りの豪華な食事を用意した社長の方から、切り出されて円満解決。

その後、年下クンが女性デザイナーと二人きりで、有名建築家の講演を聞くため蘇州に出掛けたと知ると、ヒロインはホテルを突き止めて直行。

問題の二人と出会っても年下クンが何の反応も示さないので、「私も観光に来たの。同じホテルなんて奇遇ね」といったジャブの応酬。

年下クン、ヒロインが別れを切り出した直後にエリート社長と付き合い始めたことを、余程恨んでいるらしく、幾ら「ヨリを戻してちょうだい」と迫ってもすがっても、「ダメ」の一点張り。

「僕の都合で君の人生を左右できない」とか「冷静になった時に、僕のせいで人生を無駄にしたと思うかも」とか、ヒロインから別れる理由に言われた台詞を一つ一つ返す。

ヨリを戻して欲しい一心で、中身も読まずに口紅で拇印を捺した契約書を見せろとすがるヒロイン。年下クンと揉み合っている内に...

とにかくこのドラマは、ちょっとした仕草や台詞が良く出来ていて、見る者を白けさせない。感嘆に値する。

ヴィクトリアの出てくるシーンだけ最初から見直したくなるが、いつあの世からお声が掛かるか分からぬ身には、余りに時間の無駄。なんて言いつつ、気が付くと(笑)また見ている。

何話目を見直しても、こんなシーンがあったのかと新鮮に感ずる。どうやら「『働く女子流ワタシ探し』ワールドから抜けられない症候群」らしい...

追伸その三 ヒロインのような美しい女性は、男達の欲望... と言って悪ければ愛を、呼び覚まさずにはいない。

美貌を武器に男達を手玉にとって喜ぶような女性はともかく、ヒロインのように言い寄る男達に誠実に向き合い、自分の心に嘘をつくこともせずに生きていくのは、容易でない。老い行く両親のことまで考えれば尚更だ。

年下クンは、まだ実績の無い若さゆえに自尊心ばかりが強く、勝手な理屈で彼女を悩ませる。実際、継母に諭されて「別れに至ったのは自分が悪かった」と悟るくらいだ。

エリート社長の方は一見優しそうでいてずる賢い。ヒロインの親類縁者まで巻き込んだり、自分で提案したお試し期間中なのに、彼女の同僚全員に「僕の恋人だ」とメールしたり、取引先の人間にもそう言って回るなど、あの手この手で外堀を埋めようとする。

このドラマには、並行して進行する滑稽あるいは悲惨な物語があり、最後は年下クンとのハッピーエンドだから紛れてはっきり見えないが、ヒロインの出てくるシーンだけを追っていると、彼女の心が痛々しい程に傷付いていくのが感じられる。

かって『源氏物語』を原文で三度、四度と読み返した結果、

 「源氏物語:主役は光源氏にあらず」 

なる一文を書いた。要約すれば、

「光源氏とその末裔達の女性遍歴が書いてあるように見えるが、ここに描かれているのは実は、彼等に翻弄される女達の生き様なのだ」

ヒロインの悩む様を見ていて、あの時代から本質的には変っていないのか? と感じた。

追伸その四 そう考えると、シナリオ自体がヒロインを無情に痛め付けているように感じる。と言うのも年下クン、一旦二人が別れるに至った経緯については、継母に諭されて自分が悪かったと認めているのだ。

なのに最終話では、その点はおくびにも出さず、他の男と付き合ったという理由で彼女をとことん責める。ヒロインが恋の幸せを遂に味わえたことは嬉しいが、全体に亘って彼女に感情移入してきた筆者には、年下クンが勝手過ぎるように感じられる。

美しい女性には甘くなってしまうからだろうか...

韓国ドラマ『ホテル Del Luna』


デルーナ

整った顔立ちに妖艶さが漂う。一体どこでこんな娘を見付けてきたんだ!

無表情な顔に、微かな憂いの浮かんでいるのがたまらない:



「月明かりの恋人」なんて副題が付いているが、このところ立て続けに4本も見たラブコメ系ではありません。

死んでも死に切れぬ程の怨念を抱え、或いは切なる願いを叶えられず、無念の死を遂げた者達。強い思念が幽霊となってさ迷い、あの世に旅立てずにいる。そうした幽霊達を泊めるホテル Del Luna。

私を虜にした美形はその社長。

例えば、悪徳政治家を追っていて殺された婦人警官に成り代わって、復讐を果たす。

或いは、北朝鮮・白頭山から韓国人富豪に連れて来られて、死後剥製にされてしまった虎。故郷の白頭山に帰りたくて、幽霊の姿でさ迷っている。社長が、白頭山を描いた縦横数メートルの絵を富豪から買い取り、虎を絵の風景の中に放してやる... 泣けてくる。

.....

といった調子で、冷酷無表情の美女が幽霊達を成仏させる、というコンセプトらしい。

無表情の美形と言ったけれど、唇の端をほんの少し歪めて冷笑する、大きな目を見開いて怒りを表現するなど、微妙な表情の変化は見事で、天性の演技力か、演出の冴えか、見飽きないんですよこれが。

それに時々、回想シーンで一途にひたむきに生きていた素朴な娘の顔が映る。冷たくて時に意地悪な社長と顔付きは同じなのに、温かみがあって優しさの感じられる表情にびっくり。一体どうすれば、あんなに違う印象を生み出せるのか...

幽霊と言えば当然、かなりグロな絵が一瞬出てくる箇所がある。私はその度に視聴を諦め、他のドラマを探している内に、やっぱりこの娘の顔が見たくなって戻る、なんてことを繰り返して第二話まで来たら、もう止められない。

ここから先はネタバレの感想です




1300年前、盗賊団の首領をしていた綺麗な娘。仲間が領主の手下に捕えられて、最後には一人になってしまうが、追手を十数人斬り殺して生き延びる。しかしそのせいで呪いを掛けられ、年も取らず美貌もそのままで幽霊を泊める「月の宿」の主に据えられる...

それから1300年後の現代、デルーナと名前を変えたホテルの社長となった彼女が、曰くのある若者を支配人に任命。絶えず喧嘩しながらも相思相愛の仲となるが、遂に呪いが解けて彼女があの世に旅立つ時が来る。

そこで彼が、「あなたと会えなくなるなんて耐えられない、死んでもいいから一緒に行く!」と言って、手に手を取って三途の川を渡る... というラストシーンを期待していたのに、そうじゃなかった。最後に詰まらない落ちまで付いて、ほんとにがっかり。

でも、何だか失恋したような気分で、すぐに次のドラマを見る気になれない...

注の一 ソウル出身の歌手・俳優・作詞作曲家・プロデューサー。幼い頃からエンタメ業界に憧れ、2008年 中学3年生にしてIUの芸名で歌手デビュー... 更に詳しく知りたい方は、VOGUE JAPANの記事をどうぞ:

イ・ジウン/ IU

注の二 以下のサイトによると、整形はしていないそうな。14位でも、気に入ってしまったのだから良いのだ:

整形なしの可愛い韓国女優ランキング20人!

注の三 こんなことは言いたくないが、ヒロインが演技も含めて見取れる程なのに対して、男優陣の面白くないこと。特にヒロインの相手役は、まるで木偶の坊みたいに何も言わずにただ突っ立っていることが多く、回を重ねる毎に白けてくる。

遂に見てしまった『愛の不時着』


日本でも話題になり始めた頃は、「ナニ?そのタイトル」みたいな感じで、早く言えば馬鹿にしておりました。

ところがNetflixのドラマを一つ見終わった後、次に見るものの当てが無く、お勧めにこれが出てきたので、「ちょっと開けてみるだけヨ」とリモコンのボタンを押したのが運の尽き。

韓国の財閥令嬢にして企業経営者のヒロインが、パラグライダーに乗っている内に暴風と竜巻に巻き込まれて北朝鮮領内に落下。

そこでイケメンの軍人に捕まるが、互いに最初から相手をタイプ!と感じる運命的な出会い。

しかし朴訥・誠実を絵に描いたような男は、何とかヒロインを南に返してやろうとあれこれ画策。

一話一時間余りで何話にも亘る紆余曲折を経て、漸くヒロインが南に帰る。

男がほっとしたのも束の間、北の公安の如何にも陰険・残忍そうな一人が男に、「連れ戻して追求してやる」と宣戦布告。ヒロインの身を案じた男は、決死の覚悟で南に忍び込む...

てな感じで、どうやらおセンチなドラマらしいと認識しつつも、回を追う毎に意外な展開で止められず。

それから先の、時に緊迫、時にユーモラスなストーリーは、ご自分でご覧になった方が面白いでしょう。

私は昼晩の食事の間しかドラマを見ないと決めているので、1月30日の昼に最終話を見始めて、40分残ってしまった。

その午後、船橋の鍼灸院に行く道すがら、一体最後の40分でどう決着を付ける積りなのかと、気が気じゃない。

1)二人が何かの機会に第三国で出合って、駆落ち。

しかしヒロインは成功した大企業の社長。キャリアを捨てて駆落ちは考えられない。
男も、政府高官の息子でそれなりの階級の軍人。祖国を捨てて駆落ちなんてあり得ない。

2)第三国での逢瀬も叶わず、二度と会えない悲恋型。

3)第三国でうまく落ち合っては逢瀬を楽しむ、織姫・彦星型。

この三択だな〜、と思いながら鍼灸の治療を受ける間、担当の若い女性にストーリーを語って上げた。

すると、動画配信は利用しない人でドラマは見てないのに、主演二人のその後をご存知で、何と『愛の...』で何度目かの共演を果たしたあと、22年3月に結婚だって。

悲恋かと思っていた二人がドラマの外ではうまくいったと聞いて、何だかとても幸せな気分に。余程二人に感情移入していたらしい。

二人がゴールインとの情報を確認するべく検索すると、雑誌『25ans』(ヴァンサンカンと読ませているとは知らなかった)掲載の過去記事が出てきた:

ヒョンビン、ソン・イェジンとすれ違い連発!? “運命の結婚”への「ときめき10年史」

「愛の不時着」ソン・イェジン祝42歳! デビューから今まで愛される秘密も徹底追跡

ミーハー相手に筆を磨いてきたとおぼしき筆者が、写真入りで解説してくれる文章が良く書けていて、読んでいて楽しい。

どうやら、私の中に潜んでいたミーハー体質が『愛の...』で目覚めたらしく、記事にあるリンクを次から次へと追って読むのが嬉しかった...


しかし見終わった以上、次のドラマを探すしかない。そこで目に留まったのが『社内お見合い』。

超ハンサムなCEOと女性社員の、偽装お見合いに始まるすったもんだ、というありふれた筋書き... でも、ヒロインの親友にして第二ヒロインらしき女性が、澄ました顔をしている時は私のタイプに直球ど真ん中。この娘が見たくてドラマを見始めた...

可愛いらしい笑顔に負ける


After you've gone


例の如くYouTubeを何となく見ていて、ラブソングと思って開けてみたらジャズ系。でも、冒頭で挨拶する笑顔が何とも言えず可愛いらしいので、とにかく聴いてみた。

自分には到底及びもつかない指遣いと、リズムを取るためらしい頭の動きに見取れている内に、完全に惚れ込んでしまった。

もう二曲:

Dive Bomber


I'm gonna sit right down and write myself a letter


この三曲を聴いていると、次から次へと彼女の演奏を勧められるので、後はご自分で発見をお楽しみ下さい。


ピアノ練習の休憩中に、Bachのピアノ曲を聴き始めて、

ロシア系のイージー・リスニングに嵌まり、
オールディーズのポール・アンカやコニー・フランシス、
ABBA、
エルビス・プレスリー、

と再発見の旅を続けて、もう何だか新しく綺麗な旋律を見付けることが無くなったな〜、と思っていたところ。

神様の思し召しですかね〜。ジャズ系なんて一切興味が無かったのに、このお嬢さんのお陰で新境地が開けるのかも。

下手くそなピアノの練習してるより、彼女の演奏を聴いてる方が気分がいいと感じるくらい。でも、一日中彼女の表情に見取れていたら、また認知症が進んでしまう。そろそろ自分のピアノと仕事に戻るか。

追伸。以前、

「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」
http://sksrg.blog82.fc2.com/blog-entry-193.html

という記事を載せましたが、その後"Brave"はYouTubeに負けた雰囲気で全く効果が無くなったので、ブラウザ"Google Chrome"にAdBlock系の拡張機能を入れました。しかしこれも最近、画面の下に"Skipping Ads..."とか表示されて、絵は見えないけど結局CMの間待たされることに変わりなくなった。

YouTubeの進化に対抗して、AdBlock系も進化しているのではと思い、改めて"Adblock for YouTube"なる拡張機能を入れ直したら、"Skipping Ads..."と言われて待たされる時間が格段に短縮された。是非お試し下さい。

エルビス・プレスリー再発見


彼が活躍した1950〜70年代には全く耳にしたことが無く、最近発見したバラード風三曲:

Please Don't Stop Loving Me 
画質が悪いがスケッチ風の動画が面白い。


Anyone Could Fall In Love With You


Sylvia 
複数のバージョンがあるが、この動画のピアノ伴奏が綺麗。

歌詞: Sylvia

50〜60年代はコニー・フランシスやポール・アンカの旋律豊かな曲に興味があり、プレスリーのロックン・ロールには魅力を感じなかった。確か70年代にゆっくりしたバラードを歌い出した時に、意外に良いなと思ったきりで終っていた。

YouTubeで音楽動画を見るようになってから、オールディーズを再発見し、

 「Oldies(50,60年代アメリカン・ポップス)再訪

次いでプレスリーの曲を改めて聴くようになった。それで彼の声質の素晴らしさに気付いた。この声と甘いマスクで歌われたら、当時の若い女の子達はこたえられなかっただろうと、今になって想像する。

実は、ウィキベディア記事を読んで色々とびっくりしたので、ブログに取り上げたくなった。以下、同記事の最初の方を要約する。

エルビス・プレスリー
(1935年1月8日〜77年8月16日、享年42歳)

全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げ5億枚以上。

1950年代にロックンロールの誕生と普及に大きく貢献した創始者の一人で、後進のアーティスト達に多大な影響を与えた。

ミシシッピ州テュペロの、トイレも水道も無い掘立小屋で生まれた。極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴の一人。

初期のロカビリー・スタイルは、

 黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルース
 白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタン

を融合した音楽であると言わる。深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは、画期的なことであった。

その後全国的な人気を得たが、白人社会だった当時は保守層から

 「プレスリーはセックス狂」
 「彼は白人を黒人に陥れる」
 「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」

などと攻撃された。「骨盤ダンス」も問題となり、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判・中傷の的になった。

激しい批判の中でも彼はそのパフォーマンスを止めず、若者を釘付けにしていった。

当時プレスリーは、自身に影響を与えた黒人アーティストのリスペクトを、インタビューなどで公に答えており、

 「ロックンロールが非行の原因になるとは思わない」
 「セクシーにしようとは思っていない。自分を表現する方法なんだ」
 「オレは人々に悪影響を与えているとは思わない。もしそう思ったら、オレはトラック運転手に戻るよ。本気でそう思っている」

などと答えている。

プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、今まで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビやプレーヤーとともに、音楽消費を増加させる原動力になった。


9歳の時に洗礼を受け、熱心なキリスト教プロテスタントの信者だった。11歳の誕生日にはライフルを欲しがったが、当然母親に却下され、代わりに与えられたのがギターであった。これを機に自宅の地下洗濯部屋で練習し、音楽に傾倒していった。

1948年、プレスリーが13歳の時にテネシー州メンフィスへと引っ越した。下宿生活を経て、1949年に一家はメンフィスのロウダーデール・コート公営住宅に転居。

メンフィスは非常に貧しい黒人労働者階級が多かったため、黒人の音楽を聴いて育った。

エリス公会堂のゴスペル・ショーも欠かさずに観に行っていた。ある日、毎回欠かさず観に来ていたのに、入場料を払えないとの理由で一度欠席した。これに気を留めたのがJ.D.サムナーで「じゃあ次回からは楽屋口から入るといいよ」と告げ、エルヴィスは無料でショーを観ることができた。このことが後のプレスリーの音楽性に、大きな影響を与えたとされる。

高校卒業後、精密金型会社で働いた後にクラウン・エレクトリック社に転職し、トラック運転手として働いていた。


サン・レコード時代
1953年の夏にプレスリーはメンフィスのサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード “My Happiness” と “That’s When Your Heartaches Begin” であった。

サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてプレスリーを呼んだ。その後サムは、地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にプレスリーを売り出すことにした。

最初「The Hillbilly Cat (田舎者の猫)」という芸名で活動を始め、その後すぐに、歌いながらヒップを揺らす歌唱スタイルから、批判的な人々に「Elvis the Pelvis (骨盤のエルヴィス)」と呼ばれた。

1954年7月5日のリハーサル休憩中、プレスリーは“That’s All Right, Mama”をいじくり始め、サムはプレスリーが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。

即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に“Blue Moon of Kentucky”が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと思い込んだ。

更に公演旅行は、プレスリーの評判をテネシー中に広げることとなった。

ツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから

 「黒人娘は連れてこないでくれ」

と連絡を受けたことが度々あった。「黒人娘」とはコーラスを務めた“ザ・スウィート・インスピレーションズ”のことだが、実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた。

プレスリーは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。

このエピソードの様に、公民権法が施行される前の1950年代のアメリカでは、音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っていた。

当時のロックンロールのヒットソングも、黒人の曲をパット・ブーンなど白人がカバーし、そのカバー版が白人向け商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。

同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルース、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されるのが常識だった。

プレスリーはこのような状況にあって、黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。

1955年8月18日にプレスリーの両親はプロデューサーのトム・パーカー(通称・パーカー大佐)との契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。

1955年11月21日にRCAビクターと契約... 続きはウィキベディアでご覧下さい。

追伸 彼の曲をもう少し聴きたくなった方のために、3曲追加:

Hurt


Something blue


Indescribably blue


語るも涙 ... のピアノ発表会


先日、高校同学年生の「喜寿を祝う会」に参加。

それまで事ある毎に、「71過ぎてゼロからピアノを始めて5年余り...」と触れ回っていたので、「この機会にみんなの前で弾いて見せろ」と、声が掛かった。

そんな自信は無いけどちょっとは見せたい気持もあって、「開始前の受付の時間なら」ということに。

しかし、他人の視線のあるところで弾くと、正常な心理状態が保てない。まるでアル中そっくりに指が震えてキーを押えられなかったり、暗譜してある筈が、一音間違えただけでどこを弾いているのか分からなくなったりする。

それを何とかしなければと必死の思いで、JR船橋駅と京成船橋を結ぶ連絡通路にあるストリートピアノに4日間通い、少しは視線に対する耐性が出来たと思った。

ところが、弾いて見せる積りの曲は、もう足掛け二年半もやって飽きもきている。全くミスしなくなるまで練習を重ねることが出来ず、毎回、何でこんなところでと思うような箇所で間違えてしまう。

というわけで「喜寿を祝う会」では、人の集まる前にこっそり弾いたのにボロボロ。

以前、「発表会でちゃんと弾けるところまでやると、一皮剥ける」みたいなことを言われたのは、このことだったのかと悟った。

がっくりきたものの、「よ〜し良い機会だ、船橋に十日おきに鍼灸の治療に行くから、その度にストリートピアノで弾いて、何とかしてやる!」と決心した。

それが

「カッチーニのアヴェマリア」


この動画のペースで弾ければ中級並なのだろうが、良くて1/2倍速でしか弾けない。いずれにしても、死ぬまで初級を覚悟している。

それでも色々手を付けているのが、

「即興曲」


「ローラに捧げるプレリュード」


「哀愁のノクターン」


しかるに、「哀愁のノクターン」が一応通して弾けるようになる前に、それ以上に魅力的な曲が見付かってしまった:

「素敵な秋」


世の中には偉大な作曲家、無名の作曲家、更には50〜60年代のアメリカン・ポップスなど (「Oldies(50,60年代アメリカン・ポップス)再訪」)、綺麗な旋律が数え切れない程あるのに、まだこんな曲が出現する余地があるのかと、つくづく感心。

今度、高校の同学年生の前で弾いて見せろと言われたらこっちを弾こうなどと、取らぬ狸の皮算用。

動画に譜面が付いていないので、譜面起こしの会社に頼んで11,165円、内165円は銀行振込手数料。

美味しい料理を食べる為なら二万でも三万でも惜しくないという奴ら... 失礼人々がいるのに比べて、こっちは11,165円で最低一年は楽しんで練習が出来るんだからと、自分を納得させる...

話は戻るが、船橋のストリートピアノでの「カッチーニのアヴェマリア」、二ヶ月実行して少しは度胸が付いてきたし、暗譜の確実さも向上。

これなら、二三年先に何かの機会に弾いて見せろと言われても、何とかなる... という筋書きを想定しているのだが、高校生の頃「ほ」の字でその後ピアノの道に進んだ女性の前で、「ボク独学でこんなに弾けるようになったの」と見せようなどとしたら、やっぱり指が震えてどうにもならないのだろうか...

ここで芥川龍之介のひと言が浮かぶ:

「女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち...」

と続くが、... はさすがに引用を憚られる。気になる方は、

 青空文庫『侏儒の言葉』

を開き、文字列「女人は我我男子には」でご検索下さい。

日銀は「政権の打ち出の小づち」受け入れた(朝日)


日銀は「政権の打ち出の小づち」受け入れた 泥沼抜け出す気あるのか
(2023年10月31日)

 財政悪化に拍車をかけかねないにもかかわらず、巨額の借金をともなう新たな経済対策に踏み込もうとしている岸田政権――。日本銀行は、その政権の「打ち出の小づち」となって支える道を当面受け入れたらしい。

 日銀は31日、金融政策決定会合(年8回開催、メンバーは総裁以下9人)を開き、緩和策の柱である「イールドカーブ・コントロール」(YCC、長短金利操作)の運用の柔軟化を決めた。長期金利が年1・0%をある程度超えても容認する。

 債券市場で長期金利の上昇圧力が高まっており、上限にこだわっているゆとりがなくなっている事情がある。

 これは緩和強化なのか、引き締めへの一歩か、またしてもわかりにくい日銀の政策決定である。

 見方を変えれば、日銀は微修正を繰り返しながらYCCという禁断の金融政策をなし崩し的に無効にし、フェードアウトさせようとしているようにも見える。

 長期金利の1%上限を死守するため大量の国債買いに追い込まれるリスクは、今回の決定によって和らぐ。とはいえ、しょせん市場動向に対応した微修正にすぎない。黒田日銀以来、続けている「異次元緩和」の大きな緩和姿勢を変えるところまでは、いまだ踏み込めてはいないのだ。

 長期金利コントロールもマイナス金利も、まだ続ける。日銀が国債を買い支えて、政府の借金依存を支える体制も当然続いていく。

影を落とす政権への配慮
 もともと異次元緩和からの「出口戦略」の実行を期待されて就任した植田和男総裁は、なぜそのような状況に甘んじているのか。

 もちろん米国発の長期金利上昇の急な流れが日本経済にさまざまな影響を与えることを警戒していることはあるだろう。ただそれ以上に、支持率回復のために経済対策に踏み出そうとしている岸田政権への配慮が影を落としているのではないか。

 岸田政権と与党は所得税減税を柱とする経済対策を実施する方針を固めている。柱となるのは所得税と住民税をあわせ1人当たり計4万円の減免と、低所得世帯に7万円を給付する家計への直接支援策である。

 所得税減税をめぐっては、巨額の財源が必要なのに効果が乏しいと見込まれ、野党からは反対の声が出ている。直近の日本経済新聞の世論調査では65%が「適切だと思わない」と答えるほど国民からも不人気だ。

 それでもSNS上で「増税メガネ」というありがたくないあだ名を付けられた岸田文雄首相は、それを払拭(ふっしょくしたいのか「減税」にこだわる。

 政府が今後追加的に必要になる財源は、ほかにも少子化対策や防衛費の大幅な積み上げ、ガソリンや電気代の補助金の延長など、兆円単位、10兆円単位で増えていくものばかりだ。

政権の頼りは日銀しかない
 31日の参院予算委員会では蓮舫議員(立憲民主)からこんな質問が出た。「総理のアタマのなかには財源が無尽蔵にあるのか?」

 岸田文雄首相は、歳出改革などをあげてはみたものの、あいまいな説明に終始せざるを得なかった。それも当然だろう。いまの政府に巨額の経済対策に見合う歳入増の見込みがないことははっきりしている。

 防衛財源増の一部をまかなうための所得税増税でさえ、岸田政権は来年度は実施しない方針だ。結局、おおかたの財源は国債の増発でしのがざるをえないのである。

 世界最悪の借金体質の日本政府がいまこの段階で、さらに巨額の借金を積み重ねようというのはきわめて危険な道だ。世界的な長期金利の上昇(国債などの債券価格の下落)が続いており、日本国債でも価格下落が起きかねない。

 政権にとって頼りは、国債を買い支えてくれる日銀しかない。植田日銀の今回の政策決定は、長期金利の上限をあやふやにしたことで短期的に国債の大量買いを迫られる事態を避けることにはつながるが、事実上は政権の望みを受け入れたということだろう。

 日銀はすでに政府が発行する国債残高の53%を保有している。このうえ国債を買い増せば、日銀が紙幣を刷って財政資金をまかなう「財政ファイナンス」の度がますます強まる。この泥沼からは今でさえ抜け出すことが難しいのだが、植田日銀はそれでも踏み込みつつある。(編集委員・原真人)
(引用終り)

物価高対策への「逆噴射」(朝日)


物価高対策への「逆噴射」 日銀の異次元緩和継続、理屈の通る政策か
(2023年9月22日)

 政府も日本銀行も、物価高に苦しむ国民生活を改善したいと真剣に考えているのだろうか。残念ながらかなり疑わしい。

 日銀は22日、金融政策決定会合 (年8回開催、メンバーは総裁以下9人) を開き、マイナス金利や、低い長期金利で「物価上昇」をめざしている現行の異次元緩和を続けることを全員一致で決めた。

 念のため繰り返し説明するのだが、日銀は物価高の下で「物価を抑える」ための政策をするのではない。「物価を上げる」ための政策を続けるというのである。

 折しも22日朝、総務省が発表した消費者物価指数が、歴史的な物価上昇がいまだに根強く続いていることをはっきり示している。それによると、8月の消費者物価指数 (生鮮食品を除く総合指数) は7月に続いて前年同月比3.1%という高い上昇率となった。

 あいかわらず値上がり品目は広範にわたっている。食料品では調理食品、菓子類、アイスクリーム、飲料などが軒並み10%前後の上昇だ。さらにトイレットペーパーは15%、携帯電話通信料は10%、宿泊料は18%、ペットフードに至っては31%もの上昇率である。

 消費者物価指数はこれで12カ月連続で3%超えが続き、日銀がインフレ目標の到達点としている「2%」超えは17カ月連続となっている。

「理想」のため、国民生活を犠牲にするのか

 この状況をもってして、さらに物価を上げる金融政策が望ましいと考える国民は、どれだけいるだろうか。

 ところが日銀は十分な賃金上昇を伴うかたちでの望ましい2%インフレではない、という理由で、異次元緩和を続けるというのだ。これでは日銀自身の「理想」とする日本経済のありようを実現するために、足元の国民生活を犠牲にしていると言われても仕方ないのではないか。

 しかもその日銀の見立てや理想も、本当に理屈の通った正しいもの、望ましいものなのか、かなり怪しくなっている。米国の中央銀行、FRB (連邦準備制度理事会) の例が一つの教訓となるのではないか。

 FRBのパウエル議長も2年半前には「23年末までゼロ金利を続ける」と言っていた。だが想定以上に激しく、根強い物価上昇の前に昨春、前言を撤回してゼロ金利を解除したのだ。

 FRBはその後、猛烈な勢いで利上げを続け、現在の政策金利は5.25~5.50%と22年ぶりの高さとなっている。

 FRBだけではない。ユーロ圏の中央銀行、ECB (欧州中央銀行) や英イングランド銀行など主要先進国の中央銀行は軒並み、過去30年で最も積極的な利上げサイクルのただ中にある。

 インフレ水準が欧米よりまだ低めとはいえ、物価上昇の大きなうねりは日本にも同じように及んでいる。日銀だけがいまだ超金融緩和を続けるのは異様である。

 朝日新聞が今月16~17日に実施した全国世論調査によると、岸田政権の支持率は37%と低迷している。

 マイナンバー問題や福島第一原子力発電所の処理水問題、内閣改造の結果なども影響しているとはいえ、やはり物価高という生活を直撃している問題への対応の甘さが大きく影を落としているのではないか。物価高に対する岸田政権の対応について、77%の回答者が「評価しない」と答えている。

 岸田文雄首相は来月まとめる経済対策に物価高対策を盛り込む方針だ。9月末が期限だったガソリンや電気、都市ガスへの補助金の継続などが検討されている。

 それも一時的には家計のエネルギー支出を抑える効果を発揮するかもしれない。国民にはそれなりに歓迎もされるだろう。

 しかし、経済学的に冷徹に評価するなら、これは誤った政策である。たとえエネルギー支出への補助金であろうと、総じて見ればエネルギー需要を増やし、さらにエネルギー価格を引き上げてしまう。物価高対策としては本来は逆効果なのだ。

 つまり政府はいまだ理屈の通った物価高対策をやっていない。効果のある対策をする余地のある日銀は、異次元緩和の継続で物価高へ「逆噴射」している。

 政府も日銀も「国民のため」という耳に心地よい言葉で政策を説明しているので、実態が多くの国民には伝わっていない。国民生活の改善にはっきりと効果を及ぼす科学的で理屈の通った政策に、一刻も早く改める必要がある。(編集委員・原真人)

植田総裁は本当に仕事人なのか(朝日)


引用文の最後に「植田総裁は、一体何を目指しているのか」とあるが、前任の黒田ナニガシの面子を守ることではないか。
 
新総裁就任早々から金融緩和路線を転換したら、「異次元緩和」に拘り続けた黒田ナニガシが、間違っていたと宣言するようなものだ。色々理屈を付けているが、「緩和路線は維持」という姿勢は、黒田ナニガシの面子を潰さないことを何よりも優先しているとしか思えない。円安に起因する物価高に苦しむ国民よりもだ。

聞くところによると、黒田ナニガシは退任後どこぞの大学の教授に収まり、自分が続けた金融政策の正当性を学生相手に説いているそうな。そのお説を是としない答案を書くと、不可になるのかな。


朝日新聞デジタル(2023年7月28日)
植田総裁は本当に「仕事人」なのか 微修正に留まった金融政策正常化

この世界的で歴史的なインフレ下でも主要国中央銀行で唯一、お金のばらまきを続けているのが日本銀行だ。だが、さすがに超金融緩和の単純な継続というわけにもいかなくなったのだろう。日銀は28日、政策の柱であるイールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)の一部修正に追い込まれた。
 
植田和男総裁になってから3回目の金融政策決定会合(年8回開催、メンバーは総裁以下9人)で初めての政策変更となる。
 
黒田東彦前総裁の時代の10年間、日銀はアベノミクスの主柱となる「異次元緩和」をずっと続けた。結果として政府債務の膨張と日銀の財務悪化が進み、その影響とみられる円安がエネルギー資源価格の高騰に端を発した国内インフレに拍車をかけている。
 
金融政策を知り尽くしている学者出身の植田氏が今春、総裁に就いた意味は、当然、この異次元緩和から抜け出し、金融政策を一刻も早く正常な状態に戻すことにあるはずだ。
 
金融市場はそういう理解で植田日銀の緒戦に注目してきた。だが4月、6月の決定会合でも植田日銀は動かず、金融市場は肩すかしを食った。3回目となる今回の決定会合でようやく一部修正に踏み切ったものの、内容的にはまったくの微修正である。
 
日銀ウォッチャーたちが注目していたのは、YCCの廃止に植田日銀がどう乗り出すかだった。日本国債が投機的なファンドなどから売り浴びせられたり、本来の長期金利の水準がゆがめられていたりといった問題点が多いのは、この政策が原因となっているからだ。
 
この点で植田総裁の真意はどこにあるか。読み解くカギは、まだ総裁人事が動き出す前の昨年7月、植田氏が日本経済新聞「経済教室」に寄稿した論考「日本、拙速な引き締め避けよ 物価上昇局面の金融政策」のなかにある。植田総裁の理論家としての本音がそこににじみ出ているからだ。植田氏はこう書いていた。
 
「今後、持続的な2%インフレの可能性が一段と高まってくれば、今回のような投機はより大規模に何度も発生すると予想される」
 
「難しいのは、長期金利コントロールは微調整に向かない仕組みだという点である。金利上限を小幅に引き上げれば、次の引き上げが予想されて一段と大量の国債売りを招く可能性がある」
 
「10年物金利コントロールを7年、5年と短期方向へ動かしていく案も同様の問題を抱えている」
 
この説明を虚心に受け取るなら、植田総裁の本音は早期にYCCを廃止することだったはずだ。それは金利上限の引き上げや弾力化、コントロール対象の短期化といった「修正」ではない。あくまで「廃止」である。
 
その点で今回の決定は、まだ植田総裁の考えがどこまで反映されたものか、やや解せないところが残る。YCCの設計者である内田真一副総裁ら執行部の影響も感じさせる。

「引き締め」のメッセージを避けたのか
植田氏も昨年の論考のなかで、金融引き締めに拙速に動くのは得策でないと強調している。おそらく基本的に「不出来な緩和策」であるYCCは撤廃し、マイナス金利など短期金利操作による金融緩和は当面続ける、という考え方だったのだろう。現時点では植田総裁にも「日銀が金融引き締めに転じた」というメッセージを出したくない、という思惑があるのかもしれない。
 
だが、昨今の日本経済をながめるなら、その考え方も実態と合わなくなっている。植田氏は昨夏の時点で、消費者物価上昇率が2%を超えるような世界的なインフレは長くは続かず、日本でも「2%のインフレ率を持続的に実現するという目標には程遠い」と述べている。
 
現実はどうか。米欧では一時ほどではないにしてもいまだにインフレがやまず、米連邦準備制度理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)のどちらの中央銀行も今週、再び利上げを実施した。世界的なインフレの波は、植田論考から1年たっても続いており、想定よりずっと長期化しているのだ。
 
日本での物価高も1年前の想定を超える長さと広がりを見せている。
 
6月の全国の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は前年同月比3・3%上昇となった。食品や飲料、洗剤など日々の生活を直撃するモノの値上げは続き、ハンバーガーなどの外食や携帯電話、ホテル宿泊料などにも値上げの動きが広がっている。
 
消費者物価指数の上昇率は6月まで、すでに15カ月連続で2%のインフレ目標を上回っている。さらにエネルギーを除いた指数でも9カ月連続でインフレ目標を上回っており、単純に海外発の資源高がもたらした一時的なインフレという次元を超えていることは明らかだ。
 
「海外発」「資源高」が理由のインフレは、日銀が望む形の物価上昇ではないから、金融引き締めはできない、という植田日銀の姿勢はもはや通用しなくなっているのではないか。
 
さらに見過ごせないのが、マンション価格の急上昇だ。不動産経済研究所の調べによると、今年上半期(1~6月)の首都圏の新築分譲マンションの平均価格は8873万円にのぼる。前年同期に比べ36%上昇した。東京23区の上昇ぶりはさらに激しく、平均価格1億2962万円、前年同期比で60%上昇している。もはや一般庶民には絶対に手が出ない水準にまで上がっているのだ。

マンション価格、庶民の手が届かない水準に
不動産市場はすでに1980年代後半のバブル経済並みの激しい資産インフレに近づいている、と見たほうがいいのではないか。あのバブル期には資産価格が急上昇していたものの、モノやサービスの価格の上昇がそれほどではなかったことから日銀の利上げが遅れ、後に日銀批判につながった歴史がある。
 
足元でのマンション価格の上昇理由が外国人買いによるものだとしても、それに拍車をかけているのが円安と日本の低金利であることはまちがいない。外国人が低コストで投資しやすい環境だからだ。
 
こうした面で、植田総裁が1年前に想定した経済状況は大きく様変わりしている。それでも本格的に動かない植田総裁は、いったい何をめざしているのか。本当に期待されているような、黒田日銀の負の遺産を処理し、金融政策を正常化するための「仕事人」なのか。
 
現時点では残念ながら、黒田日銀と同じように「緩和のわな」にはまって身動きが出来なくなっているようにさえ見える。(編集委員・原真人)
(引用終り)

注の一 イールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)
日銀が2016年9月21日に導入を決めた政策。
 短期金利については、日銀当座預金の政策金利残高に、0.1%のマイナス金利を適用。
 長期金利については、10年物国債の利回りがゼロ%程度で推移するよう、長期国債を買い入れる。
改めて考えるイールドカーブ・コントロールの効果と副作用」(少し加筆)

注の二 10年物国債を日銀が大量に買い入れると、なぜ長期金利がゼロ%程度に抑えられるのか?と疑問に感じる読者は、拙文
 「長期金利はどう決まる?
をご覧下さい。
 素人の説明なんぞ誰が読むか?とお思いでしょうが、都内某国立大学・経済学部出身者と、証券会社勤務の経験のある同業者にチェックしてもらってあります。

ネット検索中に詐欺に遭う


今朝、自宅のiMacであるスマホアプリについて検索していたところ、

「おめでとうございます。あなたは...番目の検索ユーザーになったので、以下の質問4項目に答えてくれれば、プレゼントが当るかも知れません」

という文言が現れ、画面一杯に小さな花が雪の如く乱れ散るのです。そこで質問に答えると、

「当選しました。iPhone Pro 14 を251円で進呈します」

ときた。

二週間前にアンドロイドの Google Pixel 6a に機種変更したばかりで、今更 iPhone などいらんと考えたものの、iPhone Pro 14 を只同然で手に入れられるなら家内に上げようと、251円払うためにカード番号、有効期限、裏面にあるセキュリティ・コード3桁を入力。

何やら漠然とした不安を感じること1分にして漸く、これはカード情報を盗むための詐欺ではないかと気付いた。直ちにカード会社に電話して、カード機能の停止を依頼したところです。しかし、あんなかわゆい声でしっかりした受け答えをされると、どんなお嬢さんなのかお顔を見たくなるのは何故なのか。別にナンパしたいとか付き合ってもらおうとか...

何の話でしたっけ。そうそう、詐欺には気を付けている積りでも、「iPhone Pro 14 を251円で進呈」と言われると引っ掛かるのだと、多いに反省しました。外出から戻った家内に正直に話したところ、「アンタ、そんなの最初から詐欺に決まってるじゃん!」と、強く叱られました。今夜はご飯を食べさせてもらえないかも...

どうも、検索で出てきたサイトと同じ名称のサイトの方も閲覧しようとしたところが、それが偽サイトだったようです。検索という誰でも毎日のようにする動作に罠を仕掛けているところが巧妙と言うか、我ながら76を過ぎても未熟と言うか。

誰でも引っ掛かる可能性があると思い、恥を忍んでご報告します。


折角ですから、「あるスマホアプリ」というのをご説明しますと、知らない花を写真に撮ると、名前を教えてくれるアプリです。

今まで月額!2900円の Picture This というのを使っていたが、機種更新に伴って新しい方に同じアプリをデータ移行で入れたところが、月額4200円と言うのです。写真に撮ればたちどころに名前を教えてくれるのは確かですが、幾ら何でも年金生活者にそんなものは払えないと、他のアプリを探していたところ、

 Pl@ntNet

というのが出てきました。フランスの学術研究機関数ヶ所の共同プロジェクトだそうで、アプリ内課金も無く、日本語バージョンも用意されています。

と言ってもそれは操作に関する部分で、肝腎の花の名前は学名でしか書いてないことも多い。毎月4200円!払いたくない一心で、ウェブサイト「季節の花 300」と組み合せることを思い付きました。こちらには学名による索引もあるので、それで探せば和名も分かります。

季節の花 300


もう一つ、マック教徒を自認する私が、モバイルSuicaも使えるようになって購入したiPhone7を何故、アンドロイド端末に機種変更したのか。

スマホの留守電サービスとして、スマート留守電というサードパーティのサービスを使っていたのですが、先日どういうわけか、一度も着信音が鳴らずに留守電に切り替わるという現象が起きた。

ヨドバシのauショップに相談して、auの留守電サービスに戻してもらった。それで帰る積りが、店員がやおら切り出すことに、「お客さんの使っているiPhone7は既に購入して7年、Appleではもうサポートを終了している、この際機種変更しませんか」。

サポートが終了しているんじゃしょうない、iPhoneを買い替えると幾らか聞くと14万!。幾ら何でもそれは最上位機種の話で、10万未満のものもあるだろうとは思ったものの、店員に誘導されるままにアンドロイド端末をチェック。

何と3万円台からある! iPhoneは今や金持ち相手の端末になってしまったのだと悟った。実を言うと、iPhone7に入っている目覚ましアプリは、音が少しずつ大きくなるフェードイン機能が無く、その他何となくアンドロイドの方が自由度が高いような気がしてきていた。

というわけで、機能的に全く遜色無いと言う店員の勧めるままに、Google Pixel 6a なる端末を購入。方や十万円以上、方や32,000円とあっては、マック教徒も背に腹は代えられぬ。

それから約二週間、何とか自分の必要とする機能は全て確保しました。

哀愁の調べ...(10)無名の作曲家 Yuri Vesnyak


「ノクターン」


「ジャスミンの香り」


「冬の幻想」



YouTubeで音楽動画と見れば手当たり次第に開けている内に、一時期ロシア系の曲に嵌まりました:

哀愁の調べ...(4)ロシア風い〜じ〜りすにんぐ十選)

その後暫く離れていたのですが、最近、日本では全く無名の作曲家が出てきました。プーチンのウクライナ侵攻のことを考えると、ロシアの名前を出すのも厭ですが、「哀愁の調べ わが心を慰む」にぴったりのいい曲を幾つも書いているので、ご紹介せずにはいられません。

動画ではいつも同じオジさんが弾いているので、この人しか弾かない作曲家なのか... などと思っていたら、何と作曲家本人でした:

Юрий Весняк(Yuri Vesnyak ユーリ・ヴェスニャクと読むらしい)。

注の一 YouTubeを開いて、早く曲が聞きたいのにCMでイライラさせられる... とお感じの方は、こちらをご覧下さい:

YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能

AI生成の美女に関する二、三の考察


「異性への関心低い中高年男性、早死にする傾向? 山形大が2万人分析」(朝日新聞デジタル、2023年3月23日)

山形大学医学部看護学科の桜田香教授の研究チームが、約2万人の追跡調査を元に、そんな研究結果をまとめた。同教授は「今後、死亡リスクを低くする方法の開発につながる可能性がある」としている。
 県内の7市で健康診断を受けた40歳以上の男女約19,000人 (男性約7,700人, 女性約11,400人) を対象に、2009年から最大9年間追跡調査をした。異性への関心の有無のほか、病歴, 治療薬の使用, 笑いの頻度, 精神的ストレス等について質問し、死亡リスクとの関連を調べた。その結果、異性に関心が無いと答えた男性は8.3%、女性は16.1%。追跡調査中に死亡したのは男性356人、女性147人の計503人。
 こうしたデータを元に分析したところ、異性に関心が無いと答えた男性は9年で9.6%が亡くなり、関心があるとした男性の死亡率の5.6%を上回った。この差は、年齢や持病など他の要因を差し引いても「死亡リスクが高い」と結論づけた。一方、女性のデータからは、異性への関心と死亡リスクの相関性は見られなかった (引用終り)。


私も今年で齢77、もう女性に対する関心など無くなっていたのですが、この記事を読んで心を入れ替えることにしました。丁度その頃、YouTubeでAI美女の動画が流行り出したのです。実際は静止画のスライド・ショーですが、とにかく現実の女性の写真としか思えない絵が出てくる。

美女と言っても、まだ子供じゃんと言いたくなる顔から大人の雰囲気を備えた気品のある美しさまで様々。例えば:

京子

[何度動画を埋め込んでも、二、三日すると著作権がどうとかで消えてしまうので、Dongtan Missy Girls, Gray Dresses でご検索下さい]

全体に胸が異常に大きい絵が多くて、白ける。どうしてあそこまで胸の大きさに拘るのか。


ナボコフの小説『ロリータ』を地でいくかのような、あどけない顔に似合わぬ体型の絵もある。ちなみにウィキベディアによると、ハンバートなる人物が書いた手記の形を取っており、粗筋は以下の通り(多少修正):

ヨーロッパからアメリカに亡命した中年の文学者・大学教授。14歳の夏に数ヵ月年下のアナベルと出会い恋仲になるが、彼女は4ヵ月後に発疹チフスで死亡。彼はこの娘のことが忘れられない。一度は20代後半のヴァレリアと結婚したが、うまくいかなかった。
 1947年、36歳のハンバートは、アナベルの面影を宿す12歳の少女ロリータに出合って一目惚れ。彼女に近付くため、母親で30代半ばの未亡人と結婚。彼女が不慮の事故で死ぬと、ロリータを騙してアメリカ中を自動車で連れ回す。しかしロリータはハンバートの理想の恋人となることを拒否。時と共に成長するロリータに比して、ハンバートは衰えて魅力を失いつつあった。
 1949年、14歳のロリータは突然、38歳のハンバートの前から姿を消す。その消息を追って彼は同じ道程を逆に辿る。3年後、ロリータから手紙が届いて遂に居所を見付けるが、17歳の彼女は若い男と結婚し、子供を身ごもっていた。哀しみに暮れるハンバートは、かつて彼女の失踪を手伝ったのがある劇作家であることを知り、殺害。逮捕されて獄中で病死。ロリータも出産時に命を落とす。

というわけで、発表当時に受けた非難とは裏腹に、ポルノと思って読めるような小説ではないらしい。いずれにしても、ロリータ趣味が日本に伝わると「いい年したお姉さんが子供みたいなチャラチャラした服装をして喜ぶ」という意味になってしまった。当の女性が悪いのか、それを見て喜ぶオトコ達が悪いのか...


AI美女を眺めている内に改めて感心したのが、視線の作り方。確かに私をじっと見つめているように見える。どうしてそんなことが可能なのか... と呟いていると家内がおせえてくれた。昔のアニメでは漫画家の技量そのものだったが、最近はモーション・ピクチャーの技術を使う。つまり眼鏡にセンサーのようなものを仕込んで、現実の人間に様々な方向を見つめさせ、そのデータを元に作画するのだそうな。


それにしても、宇宙船の内部を背景にすると、どうしてあんな衣装であんなポーズを取ってもいいことになるのか。西洋中世のような甲冑を付けた騎士なのに、保護されていない部分があって、そこに斬り付けられたらど〜するのか。西洋の尼さんがあり得ない衣装を纏っているのは、背徳の雰囲気を狙っているのか。ひと言アンドロイドと添えれば、人間にしか見えなくても普通はご法度の構図が許されるのか... 私には分からないことばかりです。

注の一 山形大の研究結果が「死亡リスクを低くする方法の開発につながる可能性がある」ということは、女性看護師の服装などを工夫するのでしょうか。楽しみですね〜。でも急いでくれないと、私の寿命を延ばすのに間に合わない。

注の二 YouTubeを開いて、早く絵が見たいのにCMでイライラさせられる... とお感じの方は、こちらをご覧下さい:

YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能

注の三 韓国系の作品が多いので、Star wars, fantasy armor, nuns といった英語のキーワードを入れて下さい。但し、お気に召す作品が見付かっても、それが私の感心したものとは限りませんので、この管理者ど〜かしてんじゃないのと即断なさいませぬよう...

膝の痛みにサプリとは如何なものか


10年以上前ですが、膝が一歩歩く度に痛むようになって困っていたところ、両親の介護に来ていた女性が、「半月板の手術が必要と言われていたのに、皇潤を目一杯飲んでいたら手術せずに済んだ」と言うのです。試しに一日4粒飲んでみたところ、あ〜ら不思議、膝が痛まなくなりました。

それ以来ずっと飲み続けておりましたが、最近また痛むように。これは、グルコサミン+コンドロイチンを含むサプリメントを追加して飲むしかないか、と考えつつ整形外科に相談しました。と申しても、そんじょそこらの整形外科ではございません:

くらげ整形外科

70の手習いでピアノを始めたところ、

Category ぴあの

左手指が関節炎を起こし、眼科と内科に時々行っている総合病院の整形外科で診てもらいました。どうも言ってることが何の役にも立たないので、同じ病院で曜日を変えて異なる医師の顔を見に行ったのですが、残念ながらより優秀な筈の女医には会えなかった:

東京医大入試と女性キャスターの立場

でも3人目の医師が、千葉市幕張にある「くらげ整形外科」を紹介してくれました。名前を聞いた時は「くらげ〜?」と半信半疑ながら、指専門というので行ってみました。

その結果、指4本に注射された上に、暫くリハビリに通うよう指示され、後は自分で毎日やれば良いと解放されるまで半年。ひどい症状は収まりました。アニメの美少女みたいな理学療法士に当ったのが良かったのかも。何しろ最初は週二、その後は週一で通うのが楽しみで、「この女性と人生をやり直すことは可能か」などと妄想したくらいです...

というわけで、もしかしたら膝の痛みも解決してくれるかもと相談してみたところ、レントゲンを何枚も撮った上で、やはりリハビリです。嬉しいことに同じ理学療法士を担当にしてくれて、膝上・膝下の様々な筋肉を強化するべく、ストレッチのような動作を6種類、毎日やるようにという指示です。

膝関節の問題だと思い込んでいたので、半信半疑でしたが、一週間ほどで微かに効果が感じられるようになり、それ以来真面目に毎日やっています。

というわけで、「それで済む」という医師の判断が必要ですが、サプリメントなどに頼らない解決法があることをお知らせしたく、敢えて筆を執りました(と申しても皇潤を止めてしまう勇気は無い)。

幕張まで来る時間的余裕のある方は、是非お試し下さい。但し、ホームページの「スタッフ紹介」という項目を見ても、アニメの美少女は出てきません...

偏屈オヤジのCM考


最近のテレビCMのしつこさは異常だ。

例えば『相棒』。謎解きに近付くに従ってドラマが中断される頻度が増すばかりか、一回の中断で7つも8つもCMが入り、その合計時間はドラマの断片より長いとしか思えない。

「CMは一切入れるな」などという原理主義的思想は持っておりません。NHKにはふた月ごとに4,340円差し上げているので、CM無しで見られる (と言っても自局番組の宣伝が結構うるさい)。民放の場合は、CM付きだからこそ只でコンテンツが見られる。その理屈は重々承知しております。制作スタッフ・俳優に加えてその他大勢の人達が金とエネルギーを注いで作ったものを、只でしかもCM無しで見せよとは申しません。

しかしCMを入れるにしても、節度ってものがあるでしょうが! 続きがどうしても知りたい見たい、と感じる瞬間をチョット外して、視聴者の気分も落ち着くのを待っておっとりCMを入れる、そういう奥床しさと言うか鷹揚な気持は持ち合わせていないのでしょうか。そうする方が視聴者も、「何だよ、ここでCMを入れるのかよ」という反撥無しに見てくれて、宣伝効果が増すかも知れない、とは考えないのでしょうか。

CMの強引さを最も強く感じたのは、某局がSF映画『インデペンデンス・デイ』を放映した時です。

かって宇宙人に連れ去られ、人体実験されて戻ってきた田舎町のオヤジさん。幾ら説明しても町の人ばかりか子供達にさえまともに相手にされず、酒浸りの生活をしていた。そのオヤジさんがエイリアンの巨大円盤に対する最終攻撃に参加することになった。

ユダヤ人研究者の開発したコンピュータ・ウィルスが首尾よくエイリアン側の母船に送り込まれて、円盤のシールドも消えた。しかし決定的打撃を与える前に、戦闘機部隊がミサイルを打ち尽くしてしまう。

やはり駄目かと思った瞬間、例のオヤジさんがひと足遅れて飛んで来て、まだミサイルがあると言う。頼むぞ!というわけが、不具合が生じて発射出来ない。とき既に円盤が強烈な破壊力を持つあの主砲を打つ準備に入って、円盤下面中央がゆっくりと開き、青白い光が輝き始めている。覚悟を決めたオヤジさんは「帰ってきたぞ、お返しだー!」と叫びながら、垂直の光線が地上に向って放たれ始めたその中に飛び込んでいく。

抱えていたミサイルが爆発して円盤が崩壊... と誰もが期待しているその直前にCMが入った。私は直ちにテレビ局に電話して怒鳴りましたね。「幾ら何でもこの瞬間にCMなんか入れて、恥ずかしくないのか」とね。「我々がエイリアンに勝てるかどうかが決まろうというこの瞬間に」と付け加えたかも知れない...


話は少し変りますが、30年近く前、フランスのテレビ局TF1の会長がジャーナリストに答えてこんな発言をした:
 
「テレビを語るには様々な切口がある。しかしビジネスの観点からすれば、現実を直視するしかあるまい。TF1の仕事とは基本的に、例えばコカコーラ社がその商品を売るのを手伝うことだ。
 (中略)
CMが視聴者に知覚されるためには、その脳がCMを受け入れられる状態にあることが必要だ。我々の番組は、視聴者の脳をそのような状態にすることを使命とする。つまり、CMとCMの間に視聴者を楽しませリラックスさせて、脳を都合の良い状態にもっていくのだ。我々がコカコーラ社に売っているもの、それは視聴者の脳がCM受け入れ可能な状態にある数分の時間なのだ。
 (中略)
脳をそのような状態に整える、実はこれほど難しいことはない。そのために我々は、耐えざる変化を追求せねばならない...」

『インデペンデンス・デイ』を放映した日本のテレビ局の、何が何でもCMを見させようという発想とは明らかに異る。それでも表現が余りに露骨で、当時フランスでも大騒ぎになりました。

しかしこんな割り切った考えを持っていても、かの国の映画・ドラマ放映に関する規制には当然従った。改めて現在のルールを確認したところ、おおよそ次の通り:

1)一時間の番組ならCMによる中断は二回のみ。
2)CMの長さは一時間当り9分まで。
3)CMの音量を番組本体の音量より大きくしてはならない。

正に映画大国の面目躍如です。私が長期滞在した30年以上前もこんな感じだったような気がしますが、その後日本の民放のやり方に慣らされてしまい、「CMに対する自分の反撥はひょっとして幼児的反応なの?」などと反省しそうになります。

そんな私にこのルールは、上に引用した発言以上に衝撃的です。国がその気になれば、こんな規制を掛けられるんです。これに比べたら今の日本の状況は、テレビ局のやりたい放題と言うしかない。但しフランスの場合、映画制作等にかなりの補助金が出ているらしいので、単純な比較ができないのは確かです。

追伸その一 CMに対抗するには?と必死で考えた挙げ句、CMになったら直ちにリモコンの消音ボタンを押すことを思い付いた。これで、苛立たしさが53%くらい軽減される。「ザマ見ろ!」と独り言を言う心の余裕もできる。登場する奴らの阿呆面まで消せると良いのだが。

追伸その二 『インデペンデンス・デイ』の問題の箇所はDVDを見ながら記憶を辿ったのですが、もしかしたらオヤジさんが「帰ってきたぞ、お返しだー!」と叫ぶところはカットされていたかも知れません。何しろ民放が映画を流す時はいつも、CMを入れる時間を確保するために、気付かれない程度にあちこち削っていて、これも怪しからん話です。お情けで只で見せてやっているのだ、少しくらい削って何が悪い、という傲慢さが透けて見える。

追伸その三 CMと言えばもう一つ、目にする度に不思議で仕方ないことがある。お肌が10歳も20歳も若返る液体やクリーム、中年以降の善男善女の身体の不具合が解消されるサプリ、そういう類の商品のCMが毎日朝から晩まであらゆるチャンネルで流されている。

普通に見ればどう考えても効果・効能を謳っているとしか思えない、約束しているとさえ感じられるのに、利用者の経験談という形を取り、画面の端っこに小さな字で「個人の感想です」「効果・効能ではありません」と一言入れるだけで、どんなに素晴しい効果を語っても咎められることが無いらしい。

或いは、耳で聞き流しているだけで英語が話せるようになる教材が、プロゴルファー石川 遼の顔と共に何年間も流されていた。結局、全く根拠の無い話であることが知れ渡ったらしく、販売していた会社が事業を止めた。

読めればいい漢字と蘭学


もう十年以上昔のことですが、常用漢字表が改定されるとの記事を読んで、大きな解放感を味わいました (『日経』2010年6月8日付)。改定答申が、「書けなくても読めればいい漢字」という考え方を明確に打ち出したからです。これまで、「読める漢字 = 書ける漢字であるべきだ」という原則をかざして漢字制限を狙う勢力の方が強く、丸谷才一などが「漢字制限は日本語の表現力の衰弱をもたらす」と反論してきたわけですが、今回遂にその原則が斥けられた (同記事):

「パソコンなど情報機器の普及を受け、憂鬱の『鬱』や語彙の『彙』など、画数が多く手書きでは難しい字も採用された。このため答申では『すべての漢字を手書きできる必要はない』と断り書きし、読み手に配慮して振り仮名を付けることを勧めた」

ここで念のため、この種の表の歴史を振り返ると (『日経』6月7日付記事要約):

1946年に当用漢字表 (1850字) 制定:「日常で使える漢字の範囲」を示し、表に無い字は別の言葉に置き換えるか仮名書きにするという、制限色の濃いもの。

1981年に常用漢字表 (1945字) 制定:「一般社会で使う漢字の目安として」、当用漢字表に95字を追加し制限を緩めた。その後、法令、公文書、新聞・雑誌などは原則としてこの表にある字で表記され、表外の字は振り仮名を付けるなどの工夫がされている。

2010年の改定常用漢字表:81年に比べて196字追加し5字削除した結果、2136字。

しかし、「書けなくても読めればいい漢字」を受け入れることにした以上、何も今まで入っていた「勺、錘、銑、脹、匁」を削るようなケチなことをせず、むしろ全部で3000字か4000字、いやこの際5000字くらいに拡げれば良かったのではないか。相変らず、「なるべく少なくしておこう」という意識が残っているのが残念です。

この際、読める漢字=書ける漢字であるべきとの原則をかざして漢字制限を狙った人達が、現在どう考えているのか、少しは反省しているのか、知りたいものです。

もっとも常用漢字表では以前から、科学・技術等の専門分野や芸術・小説あるいは個人的な日記等で使う言葉は対象としていないそうですし、新規追加196字のリストを良くよく見ると、「嵐、淫、岡、崖、虎、頃、誰、憧、藤、瞳、謎、闇」など、既にこのブログで使ったものも多数あります。それでFC2から追放されるわけでもなく、街を歩いていて「あんた閃緑藻だな、ちょっと署まで来てもらおうか」なんて言われたこともありません。表に含まれているか否かなんて、気に病むことは無さそうです。


ところで、漢字の使用が話題になる度につくづく思うのは、蘭学の頃から明治にかけて西洋の文物・用語の一つ一つに、意味を踏まえて漢字による造語を当てていった、先人達の努力です。『解体新書』の前野良沢や杉田玄白、化学・生物学における造語に鬼才を発揮したと言われる宇田川榕庵などのお陰で、水素、酸素、炭素、分析、神経、動脈、脊髄、細胞、遺伝子、電車... その他何百何千という造語が作られ、れっきとした日本語として定着した。

丸谷才一が言うように、これらの造語を使う側からしても、「漢字は一字一字が意味概念を持っているから、その組み合せによる新語と出合っても類推がきく」。上に挙げた水素・酸素等の用語が全て、最近の新語のように欧米語のカタカナ表記という形で導入されていたら、一体どうなっていたか。

「水のエレクトロリシスにおいては、水にダイレクト・カーレントを流すことによりオキシジェンとハイドロジェンが発生する。フューエル・セルでは逆に、ハイドロジェンとオキシジェンをカタリストを用いてリアクトさせることにより、水とダイレクト・カーレントが得られる」

なんていう文章を読み書きする羽目になっていたんじゃないでしょうか。

「水の電気分解においては、水に直流電流を流すことにより酸素と水素が発生する。燃料電池では逆に、水素と酸素を触媒を用いて反応させることにより、水と直流電流が得られる」

の代りにです。我々が既に酸素・水素等の用語に馴染んでいることを差し引いても、二番目の方がどんなに頭に入り易いか、論を待たず。そういう意味で、日本の近代化に際して漢字による造語が果した役割の大きさは、幾ら強調してもし過ぎることはないでしょう。たとえ中には不適切な訳語があったとしても。

ネットで見つけた情報によると、中国では16世紀のマテオ・リッチをはじめとして、西洋人と中国人の共同作業による西洋文献の漢訳が盛んに行われた。一方、1720年に将軍吉宗が漢訳洋書の輸入を解禁して以降、日本は西洋文化を主にこの種の漢訳を通して摂取した (例えば http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cozy-p/wasei.html)。そうした経験の蓄積があったからこそ、西欧語からじかに日本語に訳すようになっても、ごく自然に漢字による造語という手法を用いることになったのでしょう。

注の一:1774年の『解体新書』は漢文で書かれたそうですが、日本人が西欧語から直接翻訳したという意味では最初の試みであり、造語もかなり行われた。

注の二 宇田川榕庵の造語として次のものが知られている:
 酸素、水素、窒素、炭素、白金
 元素、金属、酸化、還元、溶解、試薬
 細胞、属
 圧力、温度、結晶、沸騰、蒸気、分析、成分、物質、法則

注の三 第二パラグラフで言及した丸谷才一の反論は、次に収められています:
 『桜もさよならも日本語』(新潮社)、
  II「言葉と文字と精神と」、p.107
  (または中央公論社 シリーズ『日本語の世界 16』)

注の四「言葉と文字と精神と」は、戦後以来の国語改革について論じたもので、色々面白い話が書いてあります。例えば敗戦直後には、日本語を全面的にローマ字表記する案が、日本側も含めて真剣に検討された。真夏の怪談みたいな話ですが、ホントです。

注の五 怪談ついでにもう一つ (丸谷才一『日本語のために』(新潮文庫)、「日本語への関心」)。志賀直哉が敗戦の翌年に、この際だから日本は思い切ってフランス語を国語に採用したらどうか、と言ったそうな。日本語の不完全・不便なところを痛感してきたからと言って、母国語を捨てちゃあ元も子もない。小説の神様の名を欲しいままにした日本語の使い手、志賀直哉にそれが分らなかった... 一瞬ゾッとして涼しくなりませんでした?

敬語過剰:育ちの良さをアピールしたいの?


2018年に起きた財務省事務次官のテレ朝・女性記者に対するセクハラ発言。これについて女性コメンテーターが、
 「世の中には、相手の女性がセクハラ発言を必死でかわそうとしているのに、構わず続ける方がいらっしゃるんですよね」

別の番組では、振込め詐欺の犯人について参加者の一人が:
 「あの方たちは...」

どうして
 「構わず続ける人がいるんですよね」
 「あの人たちは...」
と言えないのか、不思議でなりません。

まさかセクハラ発言を続ける人間や振込め詐欺の犯人達に、尊敬の念を抱いているわけでもなかろうに。そう思って見ていると、気になる表現が次から次へと聞こえてきます:

◦ニュースキャスターが自局の政治部長に解説させるのに、 
「後ほど解説のために政治部長に来て頂きます」
◦官房長官にとって大臣は言わば身内の人間なのに、
「何々大臣には、これこれの発言は良くないと申し上げました」
◦政治家や経営者が自分の決断を紹介するのに、
「何々と決めさせて頂きました」、
◦「世界の街角」みたいな番組で、
「ニューヨークの方達は...していらっしゃいます」
◦放送大学の講師が「芭蕉という方は...」
◦交通機関やデパートで「...へお申し出下さい」
(「申す」は謙譲語だから利用客に対して使うべきでなく、「係の者に仰って下さい」「係の者が承ります」などが正しい)
◦ある会合で司会者が参加者に資料を配り、 
「...については資料を拝見して頂いて」
(...については資料をご覧下さいという意味でしょうが、「拝見」も謙譲語だから参加者に使うのはおかしい)

などなど。

如何にも多種多様な敬語表現に見えますが、何度も耳にしている内に、これらを貫く共通の論理があるという仮説に辿り着きました:

 尊敬語や謙譲語としてではなく、
 丁寧表現として使っている。


不祥事を起こして更迭した相手に「仰る、拝察する」を用いた大臣、「続ける方がいらっしゃる」「あの方たち」と言ったコメンテーター、自局の政治部長に「来て頂きます」を使ったニュースキャスター、「...へお申し出下さい」というアナウンス、そしてあの巷に氾濫する「させて頂く」... いずれも、自分が丁寧なもの言いをしていることを強調したい余りの流用と考えれば、気持の悪さに変りは無いけど理解可能になります。

では何故そんなことまでして、丁寧な表現をしたがるのか。それはバブルの頃に原因がある、というのが仮説の続きです。1988年から91年までバブルの絶頂を挟んだ三年間、日本を空けていたので良く覚えていますが、バブルの前には冒頭に挙げたような言い方をする人はいなかった。しかし時期的にはその通りでも、バブルとこの話が一体どう繋がるのか。

タクシーの運転手と話していて、「あの頃は金が湯水の如く流れていて、結構いい思いをした」と述懐するのを聞いたくらいですから、ほんとに誰もがそれなりのお金持になったのでしょう。そういう中で、更にワンランク上の人間として、生れや育ちも良い人間として自分を演出したくなった時、どんな手立てがあるでしょうか? 

立ち居振舞いは一朝一夕には変えられないし、ブランド品もどうやら誰でもある程度のものは持ってるようだし... というわけで無意識的に、人より上品な言葉遣いに努めたのではないか。何と言っても名門旧家では、子供の頃からそれを躾けられるようですから。

そして、上品な言葉遣いの大きな要素であり、意識すればその日からでも何とかこなせるのが丁寧表現です。そこで何はともあれ、人より丁寧な表現を追い求めるようになった。

しかし... 日本人の会話はかなり昔から既に丁寧な言い方に溢れています。

 「です, ます」で文を締めても今や特に丁寧とは受け取ってもらえないから「ございます」を連発。
 「お金, お塩, お魚, お酒, お値段, ...」と何にでも「お」を付ける。
 子供には「お小遣い」を「あげる」。
 犬や猫にも餌を「あげる」。

という調子で、これ以上丁寧にしようが無いくらいです。つまり、本来の丁寧語はもう使い切ってしまったと言える状態にあったわけです。
 
それでも、どうしても人より一段と丁寧な表現をして見せたい。そう願った人達が、同格或いは目下の相手にも尊敬語を使うようになったのではないか。それでも飽き足りない誰かが、その場にいない知人の行為にまで尊敬語を使い、挙句の果てに「ニューヨークの方達は...していらっしゃいます」なんてことをやり出した。これはもう、尊敬語を丁寧表現に流用したとしか言えないでしょう。

驚異的アイデアと言いたいくらいですが、それがテレビで流れると、より丁寧な表現を求めていた多くの人が飛び付いた... 以上が私の仮説です。名付けて「流用説」、即ち尊敬語・謙譲語が丁寧表現に流用されている、というわけです。

しかしこうした流用に慣れきってしまうと、社外の人間に自分の上司の到着を告げるのに、「田中部長がいらっしゃいました」などと口走る例も現れる。丁寧な言葉遣いをした積りなのでしょうが、尊敬語と謙譲語の区別を弁えて「部長の田中が参りました」と言うことこそ、真の意味で上品な言葉遣いであり、育ちの良さも見えようというもの。まやかしの丁寧表現の氾濫は、やはりバブルの後遺症と言うべきではないでしょうか。

追伸 テレビドラマ『相棒』で杉下右京が誰かに聞き込みをする。相手の言葉の意味が分らない時、以前は「と申しますと?」なんて言っていたのが、最近「と仰いますと?」に直りました。勿論、私のブログが効果を発揮しただなんて、これっぽっちも思っておりません。制作関係者のお友達の知り合いの知り合いくらいが読んだかも知れませんけど。

(続き:「JR東日本をご利用下さいまして...」)

女は存在であるが男は現象に過ぎない...


免疫学者・多田富雄の言葉です (『生命の意味論』新潮社)。

ヒトの性染色体はご存知の通り、

 女:X染色体二本
 男:X, Y一本ずつ

です。以下、多田富雄の解説を引用しますと、

1)X染色体はサイズが非常に大きく、しかもヒトの生存に必須な遺伝子が目白押しに並んでいる:
 血液凝固や色覚のための遺伝子、免疫細胞を作るのに必要な遺伝子等々。

2)Y染色体はXに比べて著しく小さく、配置されている遺伝子の数も少ない。

3)男の場合、受精卵の段階でXが欠けていると、生れてくることさえ出来ない。
 X一本だけでYが無くても生存に支障は無く、性としては女になる。

ではその貧弱なYは何をしているのか。1980年代後半に解明されたところによると、Yには精巣決定因子という遺伝子が含まれており、受精後8週目にこれが働き出して、男への分化が始る。具体的には、

4)受精後7週くらいまでの胎児には、ウォルフ管・ミューラー管という二つの管が付いている。放っておけば、特別なホルモンなどが働かなくても、自然にミューラー管が発達して輸卵管や子宮などが形成される。

5)Yを持つ個体の場合、8週目になると精巣決定因子が働いて精巣ができ、それが分泌するあるホルモンによりミューラー管が退化する。するとウォルフ管が発達し始めて輸精管となり、並行して男の大事なモノも形成されて行く。

6)精巣が作り出す男性ホルモンは、放っておくとある酵素の作用で女性ホルモンに変わってしまうのだが、精巣決定因子の産物がこの酵素の遺伝子を負に調節して、男性ホルモンが変化しないように引き留める。

というわけで、ヒトはもともと女になるべく設計されている。Yを持つ個体の場合、精巣決定因子なる遺伝子が実に回りくどいやり方で、自然の成り行きを捩じ曲げて、無理矢理オトコを作り出している...

と、ここまでが多田富雄の解説です。

これには当然、進化の結果に過ぎないものに特定の価値観を紛れ込ませている、との批判があるでしょう。それでも私は、標題の一句にあらがい難い魅力を感じます。というのも有史以来、様々な宗教が

  女性は罪障の源である
  男の魂の救済を妨げている

などと勝手な理屈をこねて (煩悩という現象の塊である私は、そのような女性観も充分過ぎるほど分りますが)、結局は男が得するような社会を築き、それが今でも厳然と維持されている。

ところが現代生物学によればどうやら、卵を作る女だけいれば充分だったところを、性生殖のメリット(嬉しいことが色々できる... という意味じゃありませんよ) を追求する内に、男が発生してきたらしい。正に「男は女のあばら骨から作られた」と言いたくなるような事実です。

そこでこの際、標題のようなレトリックでオトコ達に逆襲するのも少しはバランスが取れて良いかな~、と思うわけです。


それにこんな仕掛けを読んでしまうと、「ヒトゲノムには数万個の遺伝子しかないのに、免疫システムが一千万種類もの抗体を作り出せるのはなぜか?」なんて疑問は、どうでも良いような気がしてきます。でも以下は自分のために整理しておくのでありまして、気にしないで下さい。ともかくその解明は利根川 進博士の業績で、それがノーベル賞受賞の理由だそうです。

抗体はY字型をした蛋白質で、下部はどの抗体でも同じだが、上部の二本の枝はいずれもH (Heavy) 鎖、L (Light) 鎖というアミノ酸の組合せからなり、これが多様性に富んだ窪みを形成する。

特定の異物に対応した形の窪みを持った抗体があると、そこに異物が嵌り込んで免疫反応が起こる。ヒトの体は、どんな異物が侵入してくるか分らないので、抗体を作り出すリンパ球、つまりB細胞をあらかじめ一千万種類も用意している。

問題は、どうしてそんなに沢山の種類のB細胞を用意できるかということですが、抗体の窪みを決定する遺伝子は、H鎖に関してはV, D, Jという三種類の断片から構成され、L鎖に関してはV, Jという二種類の断片から構成されている。

B細胞の元である造血幹細胞には生殖細胞と同一の遺伝子セットがあり、最初に述べたような多様性は存在していない。しかし、遺伝子セットの中にV断片になり得るものが約300 個、D断片になり得るものが10個、J断片になり得るものが4個、並んでいる。そして個々のB細胞へと分化・成熟していく間に、ランダムにV, D, Jの断片が一個ずつ取り出されて、VDJという一つながりの遺伝子が形成される (遺伝子の組換え)。

これで約12,000種類のH鎖と、約1,200種類のL鎖ができる。抗体はH鎖、L鎖の組合せで出来ているから、全部で既に14,400,000種類の抗体を作るB細胞が得られる。

実際には、VDJに組み換える部分に自由度があり、また他の蛋白質をコードする遺伝子ではあり得ない頻度で突然変異がV断片のグループの特定部分で起きている... 

というようなわけで、ヒトの体は一千万を遥かに越える種類の抗体を作り出せるようになっている。ヒト一人の細胞は全て同じ遺伝子のセットを持っている、という大原則が、免疫システムに関する限り当てはまらない。以上が私なりの要約です。


ところで我々の免疫システムは、数千年前の原始人の時代から変っていないでしょうから、体に侵入した異物を排撃する能力としては、原始生活の中でも何とか生き延びられるくらいに強力なわけです。

現代のように余り清潔にし過ぎると、その驚異的な能力を発揮する機会が極端に減る。力を持て余した免疫システムが反乱を起したくなっても不思議じゃありません。その結果、アトピー性皮膚炎なんてものが生じるのじゃないか... 

と言うのも、この皮膚炎は何と言っても先進国に特有の疾患であり、多少豊かになった国でも結核が蔓延しているところでは少ない、などのデータまであるそうだからです。私としては余り神経質にキレイキレイを心掛けず、適当に免疫システムに実力を発揮する場を与えております。

Oldies(50,60年代アメリカン・ポップス)再訪


コニー・フランシス(Connie Francis):


一瞬で旋律が心に沁みてきたサワリの歌詞だけご紹介すると、

I know why you're the heart of my world

One.., for the special way you care

Two.., when I call you're always there

Three.., for all the love you've given me
(Lyrics: Three Good Reasons)

日本語ウィキベディアに、彼女の別の曲について面白いことが書いてある:


1958年2月発売。ビルボード最高4位。自身初のミリオンセラー。モノラル録音。
 それまで9作のシングル盤が発売されたもののなかなかヒットに恵まれず、次の10作目でヒットが出なければ契約を打ち切るとレコード会社から伝えられていた。
 窮地に立たされたコニーに、彼女の父が、最後かもしれないなら、自分の大好きな曲を歌ってほしいと彼女に頼んだことでレコーディングをする運びとなった。
 コニーははじめ、「30年以上も前の古臭い曲は嫌だ」と歌うことを渋ったが、結果的には大ヒットとなり、コニーは歌手を続けられることになったのである。
 この曲が無ければ、後年の大スター“コニー・フランシス”も無かった。まさに、彼女の人生を変えた曲である。

このウィキベディアの記事では、冒頭の"Three good reasons"は全く言及無し。著者の文章は中々だが、この曲はお気に召さなかったようだ。

そう申す私も、ちょ〜奥手な割にはアメリカン・ポップスに早くから注目して、ラジオの(!)のポップス番組は毎週欠かさず聞いていたのに、この曲は今回初めて発見した。

正直言えば彼女の曲は、「カラーに口紅」「ボーイハント」等々、歌声も余り気に入らず、以下の方がずっと好きだった:

ポール・アンカ三曲:




ニール・セダカ「恋の片道切符」


デル・シャノン「花咲く街角」


ブレンダ・リー (ウィキベディアにデビューに至る経緯があってちょ〜面白い)


ペギー・マーチ



巷で人気のものだけ聴いていると、素敵な旋律を逃すことになるから、アーチストが気になった時には持ち歌を片端から聴くようにしている。

この原則を実行に移した最初がバッハで、作品番号順に全部聴いた。

それからロシア系、ラテン系など、YouTubeで音楽動画と見れば片端から開けている内に、60年以上昔に聞いた50,60年代のいわゆるOldiesに戻ってきたというわけ。

勿論、5〜10秒聞いて気に入らなければ捨てる... という具合にやるには、CMに付き合っていられない。当然CM無しで見ている:

「YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能」


最後に、当時は多分ラジオでも流れず今回発見したものを5曲:

Connie Francis


Connie Francis


The Demensions


Gene Pitney


Jerry Butler


促進させる、加速させる、...:一体 誰にさせるの?


最近、NHKも含めて以下に挙げるような言い回しが頻繁に聞こえてきます:

再生可能エネルギーの導入を促進させる...
研究開発を加速させる...
政策の検討を本格化させる...
経済を強化させる...
地域の総力を結集させる...
風力発電を実現させる...
ANAがボーイング787の運航を再開させる...
中国は自らの軍隊を近代化させることにより...

促進する、加速する等々いずれも他動詞ですから、「...導入を促進する」「研究開発を加速する」などで充分なのに、何故「... させる」という使役の助動詞を加えるのでしょう。不思議を通り越して不愉快なので、自分なりに分析を試みました。ここで念のため整理すれば、「させる」を加える形には二通りあります:

 1) 「食べる」のような他動詞なら「子供にりんごを食べさせる」
 2) 「行く」のような自動詞なら「子供を学校に行かせる」

冒頭の例は、国の政策として再生可能エネルギーの導入を促し進める、企業が研究開発をスピードアップする、等々の趣旨で使われていて、「誰々に」という要素がありません。従っていずれも 2)「子供を (...) 行かせる」の構文であって、促進する、加速する等々が自動詞と見なされていることになります。

しかし改めて文全体の趣旨から考えると、導入, 研究開発, 検討, 経済, 総力, 風力発電, 運航, 軍隊などいずれも関係者の行為の対象、つまりは目的語であって、2) の「子供」のような、「させる」が付く前の自動詞の主語ではありません。本来目的語であるものを主語として自動詞的行為をさせる、という構文そのものがおかしい。促進する、加速する等々は自動詞だと言い張れば文法的には成り立つようでも、意味的には破綻しているのじゃないでしょうか。

くどいようですが、促進する、加速する等々はいずれも他動詞であって、「大臣が官僚に対して国際交流を促進させる」というような場合を除いて、使役形にする必要などありません。しかし上のような使用例を見ていると、自動詞だからどう、他動詞だからどうと、明確に意識してのことではないらしい。言ったり書いたりしている当人は、「...を促進する」「...を加速する」だけでは音韻的にいささか弱いと感じるのではないか。そこで少しでもメリハリのある話し方をしたい余り、文法構造などとは無関係に、音としてよりインパクトがあると考えて「...させる」と言ってしまう、ということじゃないかと思うのです。

ただここで一つ気になるのが、古文における最上級の尊敬表現、例えば帝(みかど)が後宮の女性に実家への退出を「許させたまふ」という類です。古文に関心の無い方でも、高校の授業で解説を耳にした記憶がおありじゃないでしょうか。帝は恐れ多くも畏くも至高の存在であらせられるので、「許す」という他動詞を単に「許したまふ」としただけでは尊敬の度合が足りない。そこで、自身の行為であるにも拘わらず、自分は何もせずに誰かにさせるという使役形にして、一段の敬意を表す。それが「許させたまふ」であると。

じゃあ他動詞「促進する」の用法として「促進させる」もアリかって? それはどうでしょう。古文の場合、そもそも「...したまふ」という尊敬語を使うべき貴人の場合に、その上を行く尊敬表現として「...させたまふ」があるわけで、単に使役形だけの「促進させる」は成立しないと思います... いや待てよ、ひょっとすると、帝専用とも言うべきこの表現が、恐れ多くも畏くも遠く現代にまで妖しき力を及ぼして、こんな用法を出現させたのかも...

いずれにしても、日本語を本来の形で印象深く或いは説得力あるように使う努力をしないまま、音の効果だけでメリハリのある話し方を追い求めるのは、聞いていて淋しくなります。NHKだって、日本語の正しい用法を守っているのは自局だけみたいな顔して、冒頭に挙げた例は全てNHKのニュースで耳にしたものです。恐ろしいことに、「加速させる」ではもう満足できずに「加速化する」なんて言う人が出現していますから、じきに「加速化させる」になって、その内にもっとメリハリを利かせたい人が「加速化させさせる」なんて言うようになるんじゃないでしょうか。あ〜も〜想像するだけで気が滅入る...

:同じような構文「...を...させる」でも、元々自動詞である「崩壊する」などであれば、「体制を崩壊させる」等の例はあります。上と同じに分析すれば「体制に、崩壊するという自動詞的行為をさせる」です。こちらはなぜ可能なのかと言えば結局、「崩壊する」が自動詞だから、ということに尽きます。つまり、問題の動詞が自動詞か他動詞かという区別が根本にあります。

実は「崩壊させる」を挙げたのは、MSが開発したタブレットPC「サーフェス」に関する2013.02.24付け日経の記事「OSで協業、端末は競合 国内メーカーとの関係に変化」の中に、次のセンテンスを見付けたからです:
 
MSは「(サーフェスが) メーカーとMSが長年築いてきたエコシステム(生態系)を崩壊するものではない」と強調する。

言うまでもなくここは、「崩壊させるものではない」が正しい。残念ながら、こんな表現が日経に載ってしまうくらいに、自動詞・他動詞の区別に無頓着な人間が増えてしまっているのです。

野の花に開眼の記


2009年のことです。マンションのベランダには浅い排水路があって、真中がわずかに高く、左右に向って傾斜しています。そのため中央部には、土ぼこりやら小さな石やらが少しずつ溜まっていって、小さな丘みたいになります。そこにある日、葉の厚いサボテンの一種かと思うような植物が生えてきました。

実は私、それまでは草花に全く関心が無く、両親からも「お前は花の名前も知らず、しょうのない子だね」と言われ続けてきたのですが、夏のカンカン照りの日など、ついその植物にコップ一杯の水を掛けてやったりしておりました。

そうしてひと夏生き延びたところで、マンションの管理組合が全戸一斉にベランダの床を張り替えると言います。勿論、ベランダに置いてあるものは全て、放っておけば工事の際に不要物として捨てられます。

あの植物も勝手に住み着いたんだし、工事があるのも運命、放っておこう、と一旦決めたのですが、明日は工事という日の夕方になって、何だか可哀想になり、手持ちの鉢にマンションの敷地の土を入れてきて、植え替えました。

すると見る見る成長し始めて、一体何だろうと思って一年くらいした頃、花屋の店先で同じ植物を見付けました。俗名「金の成る木」、別名「花月」でした。よそで見るとなかなか綺麗な花が咲くのですが、一旦見捨てる積りでいたのを恨んでか、三回目の正月になっても、一向に花を付けてくれません。

それはともかく、花月のために土を盛った鉢には、他にも何やら生えてきて、何になるんだろうと観察するのが非常に面白い。それからは他にも鉢を買って来て、とにかく敷地の土を構わず入れ、水をやりながら観察するのが趣味になりました。というのも必ず何か生えてきて、不思議に思っている内に鶏頭 (けいとう) になったり、爆蘭 (はぜらん) になったりするんです。

こうして植物に興味を持ち出して以来、路傍の何ということもない雑草でも、実に綺麗な花をつけているのに気付きました。バラだの蘭だのという高級観賞植物よりも、誰が植えたわけでもなく生えてくる植物の方が、魅力的です。単に花の全体を見るだけでなく、雄しべ・雌しべがどうなっているかを確認するまでじっくり眺めると、花びらの形や配色にも驚異的な多様性が見られます。蕾が次第に大きくなる頃から継続して観察すると、尚更その感を深くします。

名前の分らない花について調べる時は、「季節の花300」というサイトのお世話になっています (リンク参照) 。小さな花でも拡大写真などが用意してあり、確認するばかりでなく改めて鑑賞することも出来ます。

ところで野の花を見るたびに思い浮ぶのが、聖書のマタイ伝福音書第6章 28, 29節です。

「又なにゆえ衣のことを思ひ煩ふや。野の花は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり、されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにも及(し)かざりき」

キリストの教えと言えば、「すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」といった具合に過激なもので、凡人の私にはとてもついていけませんが、野の花の一節は彼の言葉とも思えないほど説得力があります。この一節は内容と文体が絶妙な調和を見せて有名なのか、丸谷才一も『日本語のために』に収められた「未来の日本語のために」の中で、文語訳聖書が口語訳より遥かに優れている例として、引用しています。

それにしても、様々な形をした花びらの、鮮かな青、新鮮な黄、また品の良い薄紫などなどを眺めていると、ほんとにどんな豪華な装いもこれに如かず、自然の妙としか言いようがありません。

後日譚 2009年の秋に鉢に植え変えて以来ほとんど十年、葉っぱばかりが生い茂って、どうしても花を付けてくれなかった「金のなる木」。2018年の秋になって、雲霞の如くと言いたいほど蕾が出て来ました。どうにも不思議で、本気で調べたところ... と申してもネット検索しただけです:

「みんなの趣味の園芸」:金のなる木

によると、小さな株によく花をつける花の咲き易い系統と、大株にならないと咲きにくい系統があるのだそうです。

事実、数年前から「根元が太くなったのう」と思っていたのですが、今回良く見たら直径10センチ以上ありそうです。

源氏物語:桐壷,帚木,空蝉,...の順に読むと、話の流れが不自然かも


林真理子 (源氏物語の)初めのほうの、空蝉に対する光源氏の態度はちょっと傲慢。現代の女性に好意をもたれない感じがします。それも相手は人妻。紫式部はなぜ、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定したのでしょうね。

山本淳子 なぜでしょうね。私にもわかりません。

 ( 誰も教えてくれなかった
  『源氏物語』本当の面白さ
  林真理子×山本淳子、小学館新書
  p.32、最後から二行目 )

林真理子の疑問はもっともで、人気作家だけあっていいところを突いている。それに比べて山本淳子の反応は、『源氏』研究者なのに頼りない限り。

と言うのも、世に「武田説」と呼ばれるものがあって、要約すれば以下の通り。

1)『源氏物語』前半33帖は二つの系統に分離できる

 紫上系:桐壷 若紫 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 須磨 明石 澪標 絵合 松風 薄雲 朝顔 少女 梅枝 藤裏葉

 玉鬘系:帚木 空蝉 夕顔 末摘花 蓬生 関屋 玉鬘 初音 胡蝶 蛍 常夏 篝火 野分 行幸 藤袴 真木柱

2)玉鬘系は紫上系の完成後に書かれ、現在の場所に挿入された

つまり、林真理子の疑問自体が解消されるわけです。山本淳子は、次のように解説して上げても良かったのではないか :

「学界の多数派ではないけれど、武田説によれば、紫式部が書き始めた時点では、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定する積りは無かったのヨ」。

確かに、武田説を支持する研究者は学界で少数派です。しかし山本淳子は人も知る平安文学研究者で、『源氏物語の時代』で第29回サントリー学芸賞を受けた程の専門家。1950年に発表されてその後十年以上に亘って学界を賑わせた仮説を、聞いたことも無いなんてあり得ない。なのにそれを紹介することもなく、ただ「わかりません」という答え方は、武田説を無視する学界の大勢を憚って口をつぐんだとしか思えません。

これは別に、山本淳子氏を狙い打ちしているわけではありません。今度少し調べたのがきっかけで、別の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』を購入し、平安時代や『源氏』について何でも知ってるんだと、改めて感心したくらいです。「武田説を無視する学界の大勢を憚って口をつぐんだ」というのは、大野晋・丸谷才一など少数の人々を除いて、武田説を飽くまで否定する大多数の専門家諸氏に向けた言葉です。

武田説の根拠は「『源氏物語』54帖執筆順の謎:大野晋の解説書紹介」にご紹介しましたが、主要な点を引用すれば:

1) 紫上系の人物は玉鬘系にも登場するが、玉鬘系に初登場する人物はその後に来る紫上系の帖には登場しない。

2) とりわけ、前半33帖の大団円とも言うべき梅枝,藤裏葉には、光源氏が関係した多くの女性が勢揃いしているのに、玉鬘が全く姿を見せない。

3) 紫上系で起きた事件は玉鬘系に影を落しているが、玉鬘系で生じた種が紫上系に戻って活動することは無い。

これだけでも、紫上系が本体であり玉鬘系は外伝のようなもの、と考える根拠として説得力があります。しかも桐壷,帚木,空蝉,...と読み進む限り、「紫式部はなぜ、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定したの?」という疑問を避けられない。林真理子のひと言は図らずも、現行の順で読むことの不自然さを炙り出したと言えるのじゃないでしょうか。


その上、原文にせよ現代語訳にせよ初めて『源氏』を読む人にとっては、まず紫上系を通読してから玉鬘系を読んだ方が、物語の展開が遥かに見通し良くなるのです。

実際、帚木,空蝉,夕顔の三帖は、それぞれを短編として読めば面白いけれど、『源氏』全体を物語として読み通そうと思う者にとっては、話の進行がしょっぱなから停滞して中々前に進まず、先の展望も開けない大きな原因です(岩波『新 日本古典文学大系』本で合計約100ページ)。玉鬘,...,真木柱の十帖に至っては、梅枝,藤裏葉の前に、約200ページに亘って立ちはだかっています。この十帖で初めて登場した人物や起きた事件が、梅枝,藤裏葉には一切現れないのにです。

こうした事情にも拘わらず通常の順で読ませようとするのは、通読を思い立った読者の覚悟を試しているかのようです。帚木,空蝉,夕顔の三帖を突破した者だけが若紫以降に進む資格を持つ。同じように、玉鬘に始る十帖を読破した者だけが、前半33帖の大団円を知る権利を与えられる... まるで通過儀礼のような雰囲気です。

殆どの研究者は苦労して通常の順で読み通したものだから、初めて読む人が武田説に従って楽するのが安易な態度に見えてしまう、いやむしろ無意識的に面白くない。だから、みんなで寄ってたかって通常の順で読ませようとする... のではないかと勘ぐりたくなってしまいます。 

もうそろそろ武田説を無視するのは止めて、「慣例に従って各帖を並べてありますが、紫上系を先に通読するという読み方もあります云々」と、序や凡例にひと言入れてみては如何でしょうか。原文・現代語訳を問わず、『源氏』を最後まで読み通す人がぐっと増えること間違い無しです。

追伸 ご参考までに、林真理子×山本淳子対談の第一章「『源氏物語』スター千一夜」の、冒頭から件の箇所までを引用します。

恋の暴れん坊将軍・光源氏の正体
 壮麗な長編小説『源氏物語』の魅力を支えているのは、光り輝くばかりの登場人物たち。中でも一番の人気は高貴な生まれのイケメン、光源氏を置いてほかにいないでしょう。美貌と知性で女性遍歴を繰り返す、魅力的な彼の存在を抜きにしてこの物語を語ることはできません。光源氏は一般的に知られるようなただの色好みであったのか、それとも.....。おふたりの対談はまず、この主人公像から始ります。

林真理子 実は私は、光源氏という人はしょっちゅう女の人をひっかけて遊んでいただけで、あまり魅力的な主人公だとは思っていませんでした。
山本淳子 確かに現代の感覚では、そういう感じ方にもなりますよね。光源氏には「恋の暴れん坊将軍」みたいな傾向があって、その点がヨーロッパやアメリカの研究者の方には受け入れがたいとうかがったことがあります。
 はじめのほうの...。

追伸 (2017.11.23)
最近、角田光代訳『源氏物語 上』が河出書房新社から出ました。私も行き掛り上、林 望訳、大塚ひかり訳など覗いてきましたが、角田訳はほんとにどんどん読み進める感があります。
 さてその解説を池澤夏樹氏がしているのですが、大手出版社が一般向けに出した書籍としては珍しく、武田説が取り上げられています。この仮説が再び世の注目を惹くきっかけになれば良いのですが。

SF映画『Time/タイム』(2012)


(公開時にはTwentieth Century-Foxの映画だったのに、今日YouTubeで発見したNETFLIXの動画には、「この映像の著作権と所有権はNETFLIXにあります」だって。カネにあかせて買い取ったに違いない。アタマに来たので、2016年4月に書いたブログを再度掲載)

アマンダ・セイフライド

無料お試し期間を経て目出度くTSUTAYA定額レンタルの有料会員になり、SF映画のリストを古い方から表示させて、ゾンビ, モンスター系以外を片端から借り出しました。勿論、本筋と無関係な言動をだらだら見せるなど、最初の15分で引き込まれないものは直ちに却下。そうでもしないと、何のために生きてるのか分らなくります。

その甲斐あって遂にぐっと来る映画を発見し、二度見た上に927円の新品DVDを買いました。大きなお目々のヒロイン(アマンダ・セイフライド)をじっくり眺め、相手役の男とお手々つないで逃げるシーンの音楽を、何度も聞きたくなったのです。

バイオテクノロジーで遂に不老不死を実現した未来。しかし... 全ての人間が不老不死を享受しては、あっという間に人口過剰になってしまう。そこで、人口の大多数を占める貧乏人が、なるべく早く死ぬように仕組まれている。

 1)人間は25歳で肉体の成長が止まり、永遠に美貌と体力が維持される。

 2)25歳になった瞬間から一年だけ寿命が与えられる。同時に左腕に埋め込まれたデジタル時計が起動し、残り時間が何分・何秒まで表示される。時計の数字が全て0になると死ぬ。後は本人の才覚次第。と言うのも、

 3)時間が通貨。コーヒー一杯4分、豪華な食事なら8週間、バスに乗るのも一区間1分てな具合で、腕を端末の下にかざすと、寿命の残りから価格分の時間が差し引かれる。労働の報酬も時間で支払われ、その分寿命が伸びる。

 4)二人の人間が腕を重ねると、腕が下にある方の人間から上にある方の人間へと、時間が移動する。合意の上の場合もあれば、強引に時間を吸い取ることも出来る。

さて、地球は貧乏人の住むスラムゾーンと富裕ゾーンに二分され、その間の往来には通行料が掛かって、貧乏人は富裕ゾーンには入り込めない。しかもスラムゾーンでは物価が常に上昇し、税金も上り気味。貧乏人の寿命はどんどん減っていき、その分が富裕層の地区に流れるようになっている。

その結果、スラムゾーンの人間は25歳を超えると、大抵一日か二日の寿命しか持っておらず、毎日あくせく働いては翌日まで命を延ばそうとする。時間が通貨だから、生活するとは正に自分の寿命をすり減らすことなのだ。一方金持は、何百年、何千年という寿命を享受している。現実のアメリカでは実際、貧困層の寿命が中流以上に比べて明らかに短くなっているそうだから、格差社会の行き着く先を象徴しているとも言える。

ある日、スラムゾーンに住む実年齢28歳のウィルが、自殺願望でわざわざスラムゾーンに入り込んだ金持の男を、ギャングの一味から助け出す。逃げ込んだ場所で彼は金持から、スラムゾーンの住人の寿命が吸い上げられ、富裕ゾーンに流れていくシステムの存在を告げられる。そして翌朝目を覚すと、自分の時計には百年余りの時間が入っていた。

そこで、もらった時間で高級ハイヤーを雇い、通行料を何年分も払って富裕ゾーンに入り込む。そこで知り合うのが、システムの元締めとおぼしき大富豪のおてんば娘シルビア(アマンダ・セイフライド)。実年齢27歳だが、日頃から終りの無い人生にぞっとしていて、「いつかバカなことをしてみたい」なんて青年に語る。

初めて見る女優だが、お目々がアニメの少女なみに大きなカワイ子ちゃんで、モデルみたいな脚をしているのがちょいと残念。

映画半ば、ウィルと一緒に時間監視局員に追われて逃げるのだが、顎の高さまでのおかっぱ(ボブと呼ぶそうな)を左右に揺らしながら必死に走る姿が、何度見ても飽きない。更にその時に流れる音楽が、妙に気に入ってしまった。レンタルで二度も見たのに927円でわざわざ買ったのは、この約一分半のシーンのため。取り敢えずご覧下さい:癪だけどNETFLIX予告編

でもNETFLIX独占ではなく、AmazonPrimeVideoでも見られますから、慌ててNETFLIXに加入なさいませぬよう。

追伸その一。ネットで検索すると、Time is money をそのまま映画にしてしまった、などと書いてあるが、私はバルザックの小説『あら皮』(何でも望みを叶える代りに持主の寿命を縮める魔の皮) を思い出しました。

追伸その二。同じくネットでは、シルビアの吹替えをしているAKB48の篠田麻里子が酷評されているが、どうも理解できない。私の印象では、不思議と艶っぽくて潤いのある声で、口調も浮世離れしたお嬢様ののんびりした雰囲気にぴったりです。

24インチiMac購入顛末


その前にロシアとウクライナ:
国境を越えて隣国に攻め込んだのはどっち?
ウクライナ国内の惨状を引き起こしているのはどっち?
答は歴然としているのに、露・ウどちらの肩を持つのも良くないとか、訳の分からないことを言う人がいる。いずれにしても、ウクライナの深刻な状況を前に、こんな話をするのは誠に心苦しいのですが...

21.5インチiMacを購入して丸6年経ったが、手元不如意であるし、壊れるまで使う積りでいた。ところがヨドバシで昨年発売の24インチiMacを見掛けて触っている内に、今のiMacが動いている間に新しいのを買った方が、データの移行その他、何かと便利ではないかと逆の発想が生まれた。困ったもんだ。

記憶容量(ストレージ)は、そのまま買えば256GB。今の時代にニゴロクで足りるわけ無いのに、購入欲求を刺激するべく、OSがかつかつ動く容量にして値段を抑えてあるに違いない... と理性は分析するものの、まんまと罠に嵌ってしまった。

ストレージを1TBにカスタマイズしたいと言ったところ、作業はAppleの工場で行われるので、ヨドバシにモノが来るのは一ヶ月先か二ヶ月先かもっと先か... 神のみぞ知るときた。今更そんなに待たされてもと、(ヨドバシで買えばポイントが付くのに) AppleStoreに注文したのが2月16日で、お届け予定日は3月3日〜7日。中国の工場でカスタマイズしたものを、上海空港から成田に輸送とのこと。子供じゃないんだし、そのくらい待てなくてどうすると自分に言い聞かせる。

ところが輸送を請け負ったDHLが頑張ったらしく、2月22日に到着。

到着したはいいけど、精密機械を安全に輸送するため、梱包の頑丈なこと。その上、

iMac24

こんな形の製品・付属品の凹凸に合わせて大小様々な箱が埋め込んであり、接着剤が強力で小箱一つ外せない。

まだ本体が入っているかと思うほど重くて平らにできない箱、段ボール古紙にも出せないし、390円払って粗大ゴミに出すしかないのかとAppleに捩じ込んだところ、好きな人は箱だけでも嬉しいそうだから上げたら?だって。どうしても廃棄したければ、カッターナイフで切り刻んで可燃物として出せばと。

いつまでもこんなに大きくて重い箱を、かってフランスの首相がウサギ小屋と形容した狭い家の中に置いておくわけにもいかず、明日やろう明後日やろうとうだうだ日を過ごして漸く解体作業を開始。取り掛かったはいいが結局、カッターナイフでちょっと切り込みを入れては、取れそうな小箱を力任せに引っ剥がす仕儀となった。日頃軟弱な生活をしている齢75の筋肉にはかなり無理がきたらしく、翌日夜になって布団の中で体の節々が痛み出し、「遂に新型コロナに感染したか」「治っても脳に後遺症でピアノのお稽古も終りか」などと不吉な想念が渦巻く。夢うつつに瞼に浮かんだシーンでブログ一つ書ける!と思ったのだが... 目覚めてみれば雲散霧消。


ここから先はMacユーザー向けです。

今回の機種ではストレージが全てSSD。HDDに比べて読み書きが速く、再起動なども一瞬というわけにはいかないけど、あっという間だ。

しかし色々楽しむ前に、まず旧iMacからデータを移さなくてはならない。全て外付けHDDにバックアップしてあるから新iMacに繋げば済む筈が、新iMacの背面にあるポートが二つともUSB-typeCときた。AppleではUSBからUSB-typeCへの変換ケーブルが2000円で買えると聞いたのに、ヨドバシに電話して聞いてみると、「外付けHDDが電源をコンセントから取る方式だと、変換ケーブル自体に電源が必要で、そういうケーブルは5000円以上」と、後から考えると完全に勘違いの返事が返ってきた。

そんなに面倒臭いのかと思っている内に、新旧両iMacにデータの移行アシスタントなるアプリが入っているのを思い出した。2台のiMacの間でデータを全て移せるとのこと。るんるん気分で使ってみたところが、最初「あと2時間」と表示された所要時間が朝から昼まで掛かって「あと17時間」と却って増えている。

Appleに電話するとそれはおかしいからキャンセルせよと言うが、キャンセルがまたいつまで経っても完了しない。再びAppleに電話すると、それはおかしいから電源ボタン長押しで強制終了せよときた。

結局、千葉ヨドバシに変換ケーブルを買いに行ったところが、ケーブルと言うより変換ジャックみたいな部品で、バックアップしたデータの移行に何の問題も無かった。電話で問い合わせた際に、変換ケーブル自体に電源が要るなどととちったヨドバシの店員が恨めしい。ちなみに男の声だった。だから女性店員の方が優秀やと前からゆ〜とるやないか(東京医大入試と女性キャスターの立場)。

移行アシスタントで2台のiMac間のデータ移行は簡単、という筈がこれだから、Time Machine とかも信用する気になれない。自分で外付けHDDにファイルをバックアップするローテクの方が、確実に思える。

サウンドについては、ウーファーとツイーター二つずつを含めてスピーカー6個と言うのだが、それが厚さ1.15センチの本体に入っていて、音はディスプレイ下面(ということは幅1.15センチ)に無数に開いている穴から出てくるとのこと。厚さ1.15センチの箱の中でウーファーが下面の穴に向いてる筈は無いし、折角の音質が発揮できまいと思うのだが、実際聴いてみると、旧iMacでブックマークした曲が見違えるような音で聞こえてくる。

画質も24インチのRetinaディスプレイ(4480×2520)で、遂にYouTubeで山岳風景などを4K画像で眺められるようになった。

念のために申しますが、YouTubeではピアノ曲と山岳風景と戦闘機や超音速旅客機、美しい花々や水中を泳ぐ魚などを見ております。えっ? YouTubeではもっと色んなものが見られる? 知らなかったな〜。今度試してみよう。

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小林新樹
2008年にブログ開始。
題名は17世紀フランスの宮廷詩人ラ・フォンテーヌの寓話詩の一節から:
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