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植田総裁は本当に仕事人なのか(朝日)
引用文の最後に「植田総裁は、一体何を目指しているのか」とあるが、前任の黒田ナニガシの面子を守ることではないか。
新総裁就任早々から金融緩和路線を転換したら、「異次元緩和」に拘り続けた黒田ナニガシが、間違っていたと宣言するようなものだ。色々理屈を付けているが、「緩和路線は維持」という姿勢は、黒田ナニガシの面子を潰さないことを何よりも優先しているとしか思えない。円安に起因する物価高に苦しむ国民よりもだ。
聞くところによると、黒田ナニガシは退任後どこぞの大学の教授に収まり、自分が続けた金融政策の正当性を学生相手に説いているそうな。そのお説を是としない答案を書くと、不可になるのかな。
「朝日新聞デジタル(2023年7月28日)」
植田総裁は本当に「仕事人」なのか 微修正に留まった金融政策正常化
この世界的で歴史的なインフレ下でも主要国中央銀行で唯一、お金のばらまきを続けているのが日本銀行だ。だが、さすがに超金融緩和の単純な継続というわけにもいかなくなったのだろう。日銀は28日、政策の柱であるイールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)の一部修正に追い込まれた。
植田和男総裁になってから3回目の金融政策決定会合(年8回開催、メンバーは総裁以下9人)で初めての政策変更となる。
黒田東彦前総裁の時代の10年間、日銀はアベノミクスの主柱となる「異次元緩和」をずっと続けた。結果として政府債務の膨張と日銀の財務悪化が進み、その影響とみられる円安がエネルギー資源価格の高騰に端を発した国内インフレに拍車をかけている。
金融政策を知り尽くしている学者出身の植田氏が今春、総裁に就いた意味は、当然、この異次元緩和から抜け出し、金融政策を一刻も早く正常な状態に戻すことにあるはずだ。
金融市場はそういう理解で植田日銀の緒戦に注目してきた。だが4月、6月の決定会合でも植田日銀は動かず、金融市場は肩すかしを食った。3回目となる今回の決定会合でようやく一部修正に踏み切ったものの、内容的にはまったくの微修正である。
日銀ウォッチャーたちが注目していたのは、YCCの廃止に植田日銀がどう乗り出すかだった。日本国債が投機的なファンドなどから売り浴びせられたり、本来の長期金利の水準がゆがめられていたりといった問題点が多いのは、この政策が原因となっているからだ。
この点で植田総裁の真意はどこにあるか。読み解くカギは、まだ総裁人事が動き出す前の昨年7月、植田氏が日本経済新聞「経済教室」に寄稿した論考「日本、拙速な引き締め避けよ 物価上昇局面の金融政策」のなかにある。植田総裁の理論家としての本音がそこににじみ出ているからだ。植田氏はこう書いていた。
「今後、持続的な2%インフレの可能性が一段と高まってくれば、今回のような投機はより大規模に何度も発生すると予想される」
「難しいのは、長期金利コントロールは微調整に向かない仕組みだという点である。金利上限を小幅に引き上げれば、次の引き上げが予想されて一段と大量の国債売りを招く可能性がある」
「10年物金利コントロールを7年、5年と短期方向へ動かしていく案も同様の問題を抱えている」
この説明を虚心に受け取るなら、植田総裁の本音は早期にYCCを廃止することだったはずだ。それは金利上限の引き上げや弾力化、コントロール対象の短期化といった「修正」ではない。あくまで「廃止」である。
その点で今回の決定は、まだ植田総裁の考えがどこまで反映されたものか、やや解せないところが残る。YCCの設計者である内田真一副総裁ら執行部の影響も感じさせる。
「引き締め」のメッセージを避けたのか
植田氏も昨年の論考のなかで、金融引き締めに拙速に動くのは得策でないと強調している。おそらく基本的に「不出来な緩和策」であるYCCは撤廃し、マイナス金利など短期金利操作による金融緩和は当面続ける、という考え方だったのだろう。現時点では植田総裁にも「日銀が金融引き締めに転じた」というメッセージを出したくない、という思惑があるのかもしれない。
だが、昨今の日本経済をながめるなら、その考え方も実態と合わなくなっている。植田氏は昨夏の時点で、消費者物価上昇率が2%を超えるような世界的なインフレは長くは続かず、日本でも「2%のインフレ率を持続的に実現するという目標には程遠い」と述べている。
現実はどうか。米欧では一時ほどではないにしてもいまだにインフレがやまず、米連邦準備制度理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)のどちらの中央銀行も今週、再び利上げを実施した。世界的なインフレの波は、植田論考から1年たっても続いており、想定よりずっと長期化しているのだ。
日本での物価高も1年前の想定を超える長さと広がりを見せている。
6月の全国の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は前年同月比3・3%上昇となった。食品や飲料、洗剤など日々の生活を直撃するモノの値上げは続き、ハンバーガーなどの外食や携帯電話、ホテル宿泊料などにも値上げの動きが広がっている。
消費者物価指数の上昇率は6月まで、すでに15カ月連続で2%のインフレ目標を上回っている。さらにエネルギーを除いた指数でも9カ月連続でインフレ目標を上回っており、単純に海外発の資源高がもたらした一時的なインフレという次元を超えていることは明らかだ。
「海外発」「資源高」が理由のインフレは、日銀が望む形の物価上昇ではないから、金融引き締めはできない、という植田日銀の姿勢はもはや通用しなくなっているのではないか。
さらに見過ごせないのが、マンション価格の急上昇だ。不動産経済研究所の調べによると、今年上半期(1~6月)の首都圏の新築分譲マンションの平均価格は8873万円にのぼる。前年同期に比べ36%上昇した。東京23区の上昇ぶりはさらに激しく、平均価格1億2962万円、前年同期比で60%上昇している。もはや一般庶民には絶対に手が出ない水準にまで上がっているのだ。
マンション価格、庶民の手が届かない水準に
不動産市場はすでに1980年代後半のバブル経済並みの激しい資産インフレに近づいている、と見たほうがいいのではないか。あのバブル期には資産価格が急上昇していたものの、モノやサービスの価格の上昇がそれほどではなかったことから日銀の利上げが遅れ、後に日銀批判につながった歴史がある。
足元でのマンション価格の上昇理由が外国人買いによるものだとしても、それに拍車をかけているのが円安と日本の低金利であることはまちがいない。外国人が低コストで投資しやすい環境だからだ。
こうした面で、植田総裁が1年前に想定した経済状況は大きく様変わりしている。それでも本格的に動かない植田総裁は、いったい何をめざしているのか。本当に期待されているような、黒田日銀の負の遺産を処理し、金融政策を正常化するための「仕事人」なのか。
現時点では残念ながら、黒田日銀と同じように「緩和のわな」にはまって身動きが出来なくなっているようにさえ見える。(編集委員・原真人)
(引用終り)
注の一 イールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)
日銀が2016年9月21日に導入を決めた政策。
短期金利については、日銀当座預金の政策金利残高に、0.1%のマイナス金利を適用。
長期金利については、10年物国債の利回りがゼロ%程度で推移するよう、長期国債を買い入れる。
「改めて考えるイールドカーブ・コントロールの効果と副作用」(少し加筆)
注の二 10年物国債を日銀が大量に買い入れると、なぜ長期金利がゼロ%程度に抑えられるのか?と疑問に感じる読者は、拙文
「長期金利はどう決まる?」
をご覧下さい。
素人の説明なんぞ誰が読むか?とお思いでしょうが、都内某国立大学・経済学部出身者と、証券会社勤務の経験のある同業者にチェックしてもらってあります。
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ネット検索中に詐欺に遭う
今朝、自宅のiMacであるスマホアプリについて検索していたところ、
「おめでとうございます。あなたは...番目の検索ユーザーになったので、以下の質問4項目に答えてくれれば、プレゼントが当るかも知れません」
という文言が現れ、画面一杯に小さな花が雪の如く乱れ散るのです。そこで質問に答えると、
「当選しました。iPhone Pro 14 を251円で進呈します」
ときた。
二週間前にアンドロイドの Google Pixel 6a に機種変更したばかりで、今更 iPhone などいらんと考えたものの、iPhone Pro 14 を只同然で手に入れられるなら家内に上げようと、251円払うためにカード番号、有効期限、裏面にあるセキュリティ・コード3桁を入力。
何やら漠然とした不安を感じること1分にして漸く、これはカード情報を盗むための詐欺ではないかと気付いた。直ちにカード会社に電話して、カード機能の停止を依頼したところです。しかし、あんなかわゆい声でしっかりした受け答えをされると、どんなお嬢さんなのかお顔を見たくなるのは何故なのか。別にナンパしたいとか付き合ってもらおうとか...
何の話でしたっけ。そうそう、詐欺には気を付けている積りでも、「iPhone Pro 14 を251円で進呈」と言われると引っ掛かるのだと、多いに反省しました。外出から戻った家内に正直に話したところ、「アンタ、そんなの最初から詐欺に決まってるじゃん!」と、強く叱られました。今夜はご飯を食べさせてもらえないかも...
どうも、検索で出てきたサイトと同じ名称のサイトの方も閲覧しようとしたところが、それが偽サイトだったようです。検索という誰でも毎日のようにする動作に罠を仕掛けているところが巧妙と言うか、我ながら76を過ぎても未熟と言うか。
誰でも引っ掛かる可能性があると思い、恥を忍んでご報告します。
折角ですから、「あるスマホアプリ」というのをご説明しますと、知らない花を写真に撮ると、名前を教えてくれるアプリです。
今まで月額!2900円の Picture This というのを使っていたが、機種更新に伴って新しい方に同じアプリをデータ移行で入れたところが、月額4200円と言うのです。写真に撮ればたちどころに名前を教えてくれるのは確かですが、幾ら何でも年金生活者にそんなものは払えないと、他のアプリを探していたところ、
Pl@ntNet
というのが出てきました。フランスの学術研究機関数ヶ所の共同プロジェクトだそうで、アプリ内課金も無く、日本語バージョンも用意されています。
と言ってもそれは操作に関する部分で、肝腎の花の名前は学名でしか書いてないことも多い。毎月4200円!払いたくない一心で、ウェブサイト「季節の花 300」と組み合せることを思い付きました。こちらには学名による索引もあるので、それで探せば和名も分かります。
「季節の花 300」
もう一つ、マック教徒を自認する私が、モバイルSuicaも使えるようになって購入したiPhone7を何故、アンドロイド端末に機種変更したのか。
スマホの留守電サービスとして、スマート留守電というサードパーティのサービスを使っていたのですが、先日どういうわけか、一度も着信音が鳴らずに留守電に切り替わるという現象が起きた。
ヨドバシのauショップに相談して、auの留守電サービスに戻してもらった。それで帰る積りが、店員がやおら切り出すことに、「お客さんの使っているiPhone7は既に購入して7年、Appleではもうサポートを終了している、この際機種変更しませんか」。
サポートが終了しているんじゃしょうない、iPhoneを買い替えると幾らか聞くと14万!。幾ら何でもそれは最上位機種の話で、10万未満のものもあるだろうとは思ったものの、店員に誘導されるままにアンドロイド端末をチェック。
何と3万円台からある! iPhoneは今や金持ち相手の端末になってしまったのだと悟った。実を言うと、iPhone7に入っている目覚ましアプリは、音が少しずつ大きくなるフェードイン機能が無く、その他何となくアンドロイドの方が自由度が高いような気がしてきていた。
というわけで、機能的に全く遜色無いと言う店員の勧めるままに、Google Pixel 6a なる端末を購入。方や十万円以上、方や32,000円とあっては、マック教徒も背に腹は代えられぬ。
それから約二週間、何とか自分の必要とする機能は全て確保しました。
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哀愁の調べ...(10)無名の作曲家 Yuri Vesnyak
「ノクターン」
「ジャスミンの香り」
「冬の幻想」
YouTubeで音楽動画と見れば手当たり次第に開けている内に、一時期ロシア系の曲に嵌まりました:
哀愁の調べ...(4)ロシア風い〜じ〜りすにんぐ十選)
その後暫く離れていたのですが、最近、日本では全く無名の作曲家が出てきました。プーチンのウクライナ侵攻のことを考えると、ロシアの名前を出すのも厭ですが、「哀愁の調べ わが心を慰む」にぴったりのいい曲を幾つも書いているので、ご紹介せずにはいられません。
動画ではいつも同じオジさんが弾いているので、この人しか弾かない作曲家なのか... などと思っていたら、何と作曲家本人でした:
Юрий Весняк(Yuri Vesnyak ユーリ・ヴェスニャクと読むらしい)。
注の一 YouTubeを開いて、早く曲が聞きたいのにCMでイライラさせられる... とお感じの方は、こちらをご覧下さい:
「YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能」
AI生成の美女に関する二、三の考察
「異性への関心低い中高年男性、早死にする傾向? 山形大が2万人分析」(朝日新聞デジタル、2023年3月23日)
山形大学医学部看護学科の桜田香教授の研究チームが、約2万人の追跡調査を元に、そんな研究結果をまとめた。同教授は「今後、死亡リスクを低くする方法の開発につながる可能性がある」としている。
県内の7市で健康診断を受けた40歳以上の男女約19,000人 (男性約7,700人, 女性約11,400人) を対象に、2009年から最大9年間追跡調査をした。異性への関心の有無のほか、病歴, 治療薬の使用, 笑いの頻度, 精神的ストレス等について質問し、死亡リスクとの関連を調べた。その結果、異性に関心が無いと答えた男性は8.3%、女性は16.1%。追跡調査中に死亡したのは男性356人、女性147人の計503人。
こうしたデータを元に分析したところ、異性に関心が無いと答えた男性は9年で9.6%が亡くなり、関心があるとした男性の死亡率の5.6%を上回った。この差は、年齢や持病など他の要因を差し引いても「死亡リスクが高い」と結論づけた。一方、女性のデータからは、異性への関心と死亡リスクの相関性は見られなかった (引用終り)。
私も今年で齢77、もう女性に対する関心など無くなっていたのですが、この記事を読んで心を入れ替えることにしました。丁度その頃、YouTubeでAI美女の動画が流行り出したのです。実際は静止画のスライド・ショーですが、とにかく現実の女性の写真としか思えない絵が出てくる。
美女と言っても、まだ子供じゃんと言いたくなる顔から大人の雰囲気を備えた気品のある美しさまで様々。例えば:

[何度動画を埋め込んでも、二、三日すると著作権がどうとかで消えてしまうので、Dongtan Missy Girls, Gray Dresses でご検索下さい]
全体に胸が異常に大きい絵が多くて、白ける。どうしてあそこまで胸の大きさに拘るのか。
ナボコフの小説『ロリータ』を地でいくかのような、あどけない顔に似合わぬ体型の絵もある。ちなみにウィキベディアによると、ハンバートなる人物が書いた手記の形を取っており、粗筋は以下の通り(多少修正):
ヨーロッパからアメリカに亡命した中年の文学者・大学教授。14歳の夏に数ヵ月年下のアナベルと出会い恋仲になるが、彼女は4ヵ月後に発疹チフスで死亡。彼はこの娘のことが忘れられない。一度は20代後半のヴァレリアと結婚したが、うまくいかなかった。
1947年、36歳のハンバートは、アナベルの面影を宿す12歳の少女ロリータに出合って一目惚れ。彼女に近付くため、母親で30代半ばの未亡人と結婚。彼女が不慮の事故で死ぬと、ロリータを騙してアメリカ中を自動車で連れ回す。しかしロリータはハンバートの理想の恋人となることを拒否。時と共に成長するロリータに比して、ハンバートは衰えて魅力を失いつつあった。
1949年、14歳のロリータは突然、38歳のハンバートの前から姿を消す。その消息を追って彼は同じ道程を逆に辿る。3年後、ロリータから手紙が届いて遂に居所を見付けるが、17歳の彼女は若い男と結婚し、子供を身ごもっていた。哀しみに暮れるハンバートは、かつて彼女の失踪を手伝ったのがある劇作家であることを知り、殺害。逮捕されて獄中で病死。ロリータも出産時に命を落とす。
というわけで、発表当時に受けた非難とは裏腹に、ポルノと思って読めるような小説ではないらしい。いずれにしても、ロリータ趣味が日本に伝わると「いい年したお姉さんが子供みたいなチャラチャラした服装をして喜ぶ」という意味になってしまった。当の女性が悪いのか、それを見て喜ぶオトコ達が悪いのか...
AI美女を眺めている内に改めて感心したのが、視線の作り方。確かに私をじっと見つめているように見える。どうしてそんなことが可能なのか... と呟いていると家内がおせえてくれた。昔のアニメでは漫画家の技量そのものだったが、最近はモーション・ピクチャーの技術を使う。つまり眼鏡にセンサーのようなものを仕込んで、現実の人間に様々な方向を見つめさせ、そのデータを元に作画するのだそうな。
それにしても、宇宙船の内部を背景にすると、どうしてあんな衣装であんなポーズを取ってもいいことになるのか。西洋中世のような甲冑を付けた騎士なのに、保護されていない部分があって、そこに斬り付けられたらど〜するのか。西洋の尼さんがあり得ない衣装を纏っているのは、背徳の雰囲気を狙っているのか。ひと言アンドロイドと添えれば、人間にしか見えなくても普通はご法度の構図が許されるのか... 私には分からないことばかりです。
注の一 山形大の研究結果が「死亡リスクを低くする方法の開発につながる可能性がある」ということは、女性看護師の服装などを工夫するのでしょうか。楽しみですね〜。でも急いでくれないと、私の寿命を延ばすのに間に合わない。
注の二 YouTubeを開いて、早く絵が見たいのにCMでイライラさせられる... とお感じの方は、こちらをご覧下さい:
「YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能」
注の三 韓国系の作品が多いので、Star wars, fantasy armor, nuns といった英語のキーワードを入れて下さい。但し、お気に召す作品が見付かっても、それが私の感心したものとは限りませんので、この管理者ど〜かしてんじゃないのと即断なさいませぬよう...
膝の痛みにサプリとは如何なものか
10年以上前ですが、膝が一歩歩く度に痛むようになって困っていたところ、両親の介護に来ていた女性が、「半月板の手術が必要と言われていたのに、皇潤を目一杯飲んでいたら手術せずに済んだ」と言うのです。試しに一日4粒飲んでみたところ、あ〜ら不思議、膝が痛まなくなりました。
それ以来ずっと飲み続けておりましたが、最近また痛むように。これは、グルコサミン+コンドロイチンを含むサプリメントを追加して飲むしかないか、と考えつつ整形外科に相談しました。と申しても、そんじょそこらの整形外科ではございません:
くらげ整形外科
70の手習いでピアノを始めたところ、
Category ぴあの
左手指が関節炎を起こし、眼科と内科に時々行っている総合病院の整形外科で診てもらいました。どうも言ってることが何の役にも立たないので、同じ病院で曜日を変えて異なる医師の顔を見に行ったのですが、残念ながらより優秀な筈の女医には会えなかった:
「東京医大入試と女性キャスターの立場」
でも3人目の医師が、千葉市幕張にある「くらげ整形外科」を紹介してくれました。名前を聞いた時は「くらげ〜?」と半信半疑ながら、指専門というので行ってみました。
その結果、指4本に注射された上に、暫くリハビリに通うよう指示され、後は自分で毎日やれば良いと解放されるまで半年。ひどい症状は収まりました。アニメの美少女みたいな理学療法士に当ったのが良かったのかも。何しろ最初は週二、その後は週一で通うのが楽しみで、「この女性と人生をやり直すことは可能か」などと妄想したくらいです...
というわけで、もしかしたら膝の痛みも解決してくれるかもと相談してみたところ、レントゲンを何枚も撮った上で、やはりリハビリです。嬉しいことに同じ理学療法士を担当にしてくれて、膝上・膝下の様々な筋肉を強化するべく、ストレッチのような動作を6種類、毎日やるようにという指示です。
膝関節の問題だと思い込んでいたので、半信半疑でしたが、一週間ほどで微かに効果が感じられるようになり、それ以来真面目に毎日やっています。
というわけで、「それで済む」という医師の判断が必要ですが、サプリメントなどに頼らない解決法があることをお知らせしたく、敢えて筆を執りました(と申しても皇潤を止めてしまう勇気は無い)。
幕張まで来る時間的余裕のある方は、是非お試し下さい。但し、ホームページの「スタッフ紹介」という項目を見ても、アニメの美少女は出てきません...
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偏屈オヤジのCM考
最近のテレビCMのしつこさは異常だ。
例えば『相棒』。謎解きに近付くに従ってドラマが中断される頻度が増すばかりか、一回の中断で7つも8つもCMが入り、その合計時間はドラマの断片より長いとしか思えない。
「CMは一切入れるな」などという原理主義的思想は持っておりません。NHKにはふた月ごとに4,340円差し上げているので、CM無しで見られる (と言っても自局番組の宣伝が結構うるさい)。民放の場合は、CM付きだからこそ只でコンテンツが見られる。その理屈は重々承知しております。制作スタッフ・俳優に加えてその他大勢の人達が金とエネルギーを注いで作ったものを、只でしかもCM無しで見せよとは申しません。
しかしCMを入れるにしても、節度ってものがあるでしょうが! 続きがどうしても知りたい見たい、と感じる瞬間をチョット外して、視聴者の気分も落ち着くのを待っておっとりCMを入れる、そういう奥床しさと言うか鷹揚な気持は持ち合わせていないのでしょうか。そうする方が視聴者も、「何だよ、ここでCMを入れるのかよ」という反撥無しに見てくれて、宣伝効果が増すかも知れない、とは考えないのでしょうか。
CMの強引さを最も強く感じたのは、某局がSF映画『インデペンデンス・デイ』を放映した時です。
かって宇宙人に連れ去られ、人体実験されて戻ってきた田舎町のオヤジさん。幾ら説明しても町の人ばかりか子供達にさえまともに相手にされず、酒浸りの生活をしていた。そのオヤジさんがエイリアンの巨大円盤に対する最終攻撃に参加することになった。
ユダヤ人研究者の開発したコンピュータ・ウィルスが首尾よくエイリアン側の母船に送り込まれて、円盤のシールドも消えた。しかし決定的打撃を与える前に、戦闘機部隊がミサイルを打ち尽くしてしまう。
やはり駄目かと思った瞬間、例のオヤジさんがひと足遅れて飛んで来て、まだミサイルがあると言う。頼むぞ!というわけが、不具合が生じて発射出来ない。とき既に円盤が強烈な破壊力を持つあの主砲を打つ準備に入って、円盤下面中央がゆっくりと開き、青白い光が輝き始めている。覚悟を決めたオヤジさんは「帰ってきたぞ、お返しだー!」と叫びながら、垂直の光線が地上に向って放たれ始めたその中に飛び込んでいく。
抱えていたミサイルが爆発して円盤が崩壊... と誰もが期待しているその直前にCMが入った。私は直ちにテレビ局に電話して怒鳴りましたね。「幾ら何でもこの瞬間にCMなんか入れて、恥ずかしくないのか」とね。「我々がエイリアンに勝てるかどうかが決まろうというこの瞬間に」と付け加えたかも知れない...
話は少し変りますが、30年近く前、フランスのテレビ局TF1の会長がジャーナリストに答えてこんな発言をした:
「テレビを語るには様々な切口がある。しかしビジネスの観点からすれば、現実を直視するしかあるまい。TF1の仕事とは基本的に、例えばコカコーラ社がその商品を売るのを手伝うことだ。
(中略)
CMが視聴者に知覚されるためには、その脳がCMを受け入れられる状態にあることが必要だ。我々の番組は、視聴者の脳をそのような状態にすることを使命とする。つまり、CMとCMの間に視聴者を楽しませリラックスさせて、脳を都合の良い状態にもっていくのだ。我々がコカコーラ社に売っているもの、それは視聴者の脳がCM受け入れ可能な状態にある数分の時間なのだ。
(中略)
脳をそのような状態に整える、実はこれほど難しいことはない。そのために我々は、耐えざる変化を追求せねばならない...」
『インデペンデンス・デイ』を放映した日本のテレビ局の、何が何でもCMを見させようという発想とは明らかに異る。それでも表現が余りに露骨で、当時フランスでも大騒ぎになりました。
しかしこんな割り切った考えを持っていても、かの国の映画・ドラマ放映に関する規制には当然従った。改めて現在のルールを確認したところ、おおよそ次の通り:
1)一時間の番組ならCMによる中断は二回のみ。
2)CMの長さは一時間当り9分まで。
3)CMの音量を番組本体の音量より大きくしてはならない。
正に映画大国の面目躍如です。私が長期滞在した30年以上前もこんな感じだったような気がしますが、その後日本の民放のやり方に慣らされてしまい、「CMに対する自分の反撥はひょっとして幼児的反応なの?」などと反省しそうになります。
そんな私にこのルールは、上に引用した発言以上に衝撃的です。国がその気になれば、こんな規制を掛けられるんです。これに比べたら今の日本の状況は、テレビ局のやりたい放題と言うしかない。但しフランスの場合、映画制作等にかなりの補助金が出ているらしいので、単純な比較ができないのは確かです。
追伸その一 CMに対抗するには?と必死で考えた挙げ句、CMになったら直ちにリモコンの消音ボタンを押すことを思い付いた。これで、苛立たしさが53%くらい軽減される。「ザマ見ろ!」と独り言を言う心の余裕もできる。登場する奴らの阿呆面まで消せると良いのだが。
追伸その二 『インデペンデンス・デイ』の問題の箇所はDVDを見ながら記憶を辿ったのですが、もしかしたらオヤジさんが「帰ってきたぞ、お返しだー!」と叫ぶところはカットされていたかも知れません。何しろ民放が映画を流す時はいつも、CMを入れる時間を確保するために、気付かれない程度にあちこち削っていて、これも怪しからん話です。お情けで只で見せてやっているのだ、少しくらい削って何が悪い、という傲慢さが透けて見える。
追伸その三 CMと言えばもう一つ、目にする度に不思議で仕方ないことがある。お肌が10歳も20歳も若返る液体やクリーム、中年以降の善男善女の身体の不具合が解消されるサプリ、そういう類の商品のCMが毎日朝から晩まであらゆるチャンネルで流されている。
普通に見ればどう考えても効果・効能を謳っているとしか思えない、約束しているとさえ感じられるのに、利用者の経験談という形を取り、画面の端っこに小さな字で「個人の感想です」「効果・効能ではありません」と一言入れるだけで、どんなに素晴しい効果を語っても咎められることが無いらしい。
或いは、耳で聞き流しているだけで英語が話せるようになる教材が、プロゴルファー石川 遼の顔と共に何年間も流されていた。結局、全く根拠の無い話であることが知れ渡ったらしく、販売していた会社が事業を止めた。
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読めればいい漢字と蘭学
もう十年以上昔のことですが、常用漢字表が改定されるとの記事を読んで、大きな解放感を味わいました (『日経』2010年6月8日付)。改定答申が、「書けなくても読めればいい漢字」という考え方を明確に打ち出したからです。これまで、「読める漢字 = 書ける漢字であるべきだ」という原則をかざして漢字制限を狙う勢力の方が強く、丸谷才一などが「漢字制限は日本語の表現力の衰弱をもたらす」と反論してきたわけですが、今回遂にその原則が斥けられた (同記事):
「パソコンなど情報機器の普及を受け、憂鬱の『鬱』や語彙の『彙』など、画数が多く手書きでは難しい字も採用された。このため答申では『すべての漢字を手書きできる必要はない』と断り書きし、読み手に配慮して振り仮名を付けることを勧めた」
ここで念のため、この種の表の歴史を振り返ると (『日経』6月7日付記事要約):
1946年に当用漢字表 (1850字) 制定:「日常で使える漢字の範囲」を示し、表に無い字は別の言葉に置き換えるか仮名書きにするという、制限色の濃いもの。
1981年に常用漢字表 (1945字) 制定:「一般社会で使う漢字の目安として」、当用漢字表に95字を追加し制限を緩めた。その後、法令、公文書、新聞・雑誌などは原則としてこの表にある字で表記され、表外の字は振り仮名を付けるなどの工夫がされている。
2010年の改定常用漢字表:81年に比べて196字追加し5字削除した結果、2136字。
しかし、「書けなくても読めればいい漢字」を受け入れることにした以上、何も今まで入っていた「勺、錘、銑、脹、匁」を削るようなケチなことをせず、むしろ全部で3000字か4000字、いやこの際5000字くらいに拡げれば良かったのではないか。相変らず、「なるべく少なくしておこう」という意識が残っているのが残念です。
この際、読める漢字=書ける漢字であるべきとの原則をかざして漢字制限を狙った人達が、現在どう考えているのか、少しは反省しているのか、知りたいものです。
もっとも常用漢字表では以前から、科学・技術等の専門分野や芸術・小説あるいは個人的な日記等で使う言葉は対象としていないそうですし、新規追加196字のリストを良くよく見ると、「嵐、淫、岡、崖、虎、頃、誰、憧、藤、瞳、謎、闇」など、既にこのブログで使ったものも多数あります。それでFC2から追放されるわけでもなく、街を歩いていて「あんた閃緑藻だな、ちょっと署まで来てもらおうか」なんて言われたこともありません。表に含まれているか否かなんて、気に病むことは無さそうです。
ところで、漢字の使用が話題になる度につくづく思うのは、蘭学の頃から明治にかけて西洋の文物・用語の一つ一つに、意味を踏まえて漢字による造語を当てていった、先人達の努力です。『解体新書』の前野良沢や杉田玄白、化学・生物学における造語に鬼才を発揮したと言われる宇田川榕庵などのお陰で、水素、酸素、炭素、分析、神経、動脈、脊髄、細胞、遺伝子、電車... その他何百何千という造語が作られ、れっきとした日本語として定着した。
丸谷才一が言うように、これらの造語を使う側からしても、「漢字は一字一字が意味概念を持っているから、その組み合せによる新語と出合っても類推がきく」。上に挙げた水素・酸素等の用語が全て、最近の新語のように欧米語のカタカナ表記という形で導入されていたら、一体どうなっていたか。
「水のエレクトロリシスにおいては、水にダイレクト・カーレントを流すことによりオキシジェンとハイドロジェンが発生する。フューエル・セルでは逆に、ハイドロジェンとオキシジェンをカタリストを用いてリアクトさせることにより、水とダイレクト・カーレントが得られる」
なんていう文章を読み書きする羽目になっていたんじゃないでしょうか。
「水の電気分解においては、水に直流電流を流すことにより酸素と水素が発生する。燃料電池では逆に、水素と酸素を触媒を用いて反応させることにより、水と直流電流が得られる」
の代りにです。我々が既に酸素・水素等の用語に馴染んでいることを差し引いても、二番目の方がどんなに頭に入り易いか、論を待たず。そういう意味で、日本の近代化に際して漢字による造語が果した役割の大きさは、幾ら強調してもし過ぎることはないでしょう。たとえ中には不適切な訳語があったとしても。
ネットで見つけた情報によると、中国では16世紀のマテオ・リッチをはじめとして、西洋人と中国人の共同作業による西洋文献の漢訳が盛んに行われた。一方、1720年に将軍吉宗が漢訳洋書の輸入を解禁して以降、日本は西洋文化を主にこの種の漢訳を通して摂取した (例えば http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cozy-p/wasei.html)。そうした経験の蓄積があったからこそ、西欧語からじかに日本語に訳すようになっても、ごく自然に漢字による造語という手法を用いることになったのでしょう。
注の一:1774年の『解体新書』は漢文で書かれたそうですが、日本人が西欧語から直接翻訳したという意味では最初の試みであり、造語もかなり行われた。
注の二 宇田川榕庵の造語として次のものが知られている:
酸素、水素、窒素、炭素、白金
元素、金属、酸化、還元、溶解、試薬
細胞、属
圧力、温度、結晶、沸騰、蒸気、分析、成分、物質、法則
注の三 第二パラグラフで言及した丸谷才一の反論は、次に収められています:
『桜もさよならも日本語』(新潮社)、
II「言葉と文字と精神と」、p.107
(または中央公論社 シリーズ『日本語の世界 16』)
注の四「言葉と文字と精神と」は、戦後以来の国語改革について論じたもので、色々面白い話が書いてあります。例えば敗戦直後には、日本語を全面的にローマ字表記する案が、日本側も含めて真剣に検討された。真夏の怪談みたいな話ですが、ホントです。
注の五 怪談ついでにもう一つ (丸谷才一『日本語のために』(新潮文庫)、「日本語への関心」)。志賀直哉が敗戦の翌年に、この際だから日本は思い切ってフランス語を国語に採用したらどうか、と言ったそうな。日本語の不完全・不便なところを痛感してきたからと言って、母国語を捨てちゃあ元も子もない。小説の神様の名を欲しいままにした日本語の使い手、志賀直哉にそれが分らなかった... 一瞬ゾッとして涼しくなりませんでした?
女は存在であるが男は現象に過ぎない...
免疫学者・多田富雄の言葉です (『生命の意味論』新潮社)。
ヒトの性染色体はご存知の通り、
女:X染色体二本
男:X, Y一本ずつ
です。以下、多田富雄の解説を引用しますと、
1)X染色体はサイズが非常に大きく、しかもヒトの生存に必須な遺伝子が目白押しに並んでいる:
血液凝固や色覚のための遺伝子、免疫細胞を作るのに必要な遺伝子等々。
2)Y染色体はXに比べて著しく小さく、配置されている遺伝子の数も少ない。
3)男の場合、受精卵の段階でXが欠けていると、生れてくることさえ出来ない。
X一本だけでYが無くても生存に支障は無く、性としては女になる。
ではその貧弱なYは何をしているのか。1980年代後半に解明されたところによると、Yには精巣決定因子という遺伝子が含まれており、受精後8週目にこれが働き出して、男への分化が始る。具体的には、
4)受精後7週くらいまでの胎児には、ウォルフ管・ミューラー管という二つの管が付いている。放っておけば、特別なホルモンなどが働かなくても、自然にミューラー管が発達して輸卵管や子宮などが形成される。
5)Yを持つ個体の場合、8週目になると精巣決定因子が働いて精巣ができ、それが分泌するあるホルモンによりミューラー管が退化する。するとウォルフ管が発達し始めて輸精管となり、並行して男の大事なモノも形成されて行く。
6)精巣が作り出す男性ホルモンは、放っておくとある酵素の作用で女性ホルモンに変わってしまうのだが、精巣決定因子の産物がこの酵素の遺伝子を負に調節して、男性ホルモンが変化しないように引き留める。
というわけで、ヒトはもともと女になるべく設計されている。Yを持つ個体の場合、精巣決定因子なる遺伝子が実に回りくどいやり方で、自然の成り行きを捩じ曲げて、無理矢理オトコを作り出している...
と、ここまでが多田富雄の解説です。
これには当然、進化の結果に過ぎないものに特定の価値観を紛れ込ませている、との批判があるでしょう。それでも私は、標題の一句にあらがい難い魅力を感じます。というのも有史以来、様々な宗教が
女性は罪障の源である
男の魂の救済を妨げている
などと勝手な理屈をこねて (煩悩という現象の塊である私は、そのような女性観も充分過ぎるほど分りますが)、結局は男が得するような社会を築き、それが今でも厳然と維持されている。
ところが現代生物学によればどうやら、卵を作る女だけいれば充分だったところを、性生殖のメリット(嬉しいことが色々できる... という意味じゃありませんよ) を追求する内に、男が発生してきたらしい。正に「男は女のあばら骨から作られた」と言いたくなるような事実です。
そこでこの際、標題のようなレトリックでオトコ達に逆襲するのも少しはバランスが取れて良いかな~、と思うわけです。
それにこんな仕掛けを読んでしまうと、「ヒトゲノムには数万個の遺伝子しかないのに、免疫システムが一千万種類もの抗体を作り出せるのはなぜか?」なんて疑問は、どうでも良いような気がしてきます。でも以下は自分のために整理しておくのでありまして、気にしないで下さい。ともかくその解明は利根川 進博士の業績で、それがノーベル賞受賞の理由だそうです。
抗体はY字型をした蛋白質で、下部はどの抗体でも同じだが、上部の二本の枝はいずれもH (Heavy) 鎖、L (Light) 鎖というアミノ酸の組合せからなり、これが多様性に富んだ窪みを形成する。
特定の異物に対応した形の窪みを持った抗体があると、そこに異物が嵌り込んで免疫反応が起こる。ヒトの体は、どんな異物が侵入してくるか分らないので、抗体を作り出すリンパ球、つまりB細胞をあらかじめ一千万種類も用意している。
問題は、どうしてそんなに沢山の種類のB細胞を用意できるかということですが、抗体の窪みを決定する遺伝子は、H鎖に関してはV, D, Jという三種類の断片から構成され、L鎖に関してはV, Jという二種類の断片から構成されている。
B細胞の元である造血幹細胞には生殖細胞と同一の遺伝子セットがあり、最初に述べたような多様性は存在していない。しかし、遺伝子セットの中にV断片になり得るものが約300 個、D断片になり得るものが10個、J断片になり得るものが4個、並んでいる。そして個々のB細胞へと分化・成熟していく間に、ランダムにV, D, Jの断片が一個ずつ取り出されて、VDJという一つながりの遺伝子が形成される (遺伝子の組換え)。
これで約12,000種類のH鎖と、約1,200種類のL鎖ができる。抗体はH鎖、L鎖の組合せで出来ているから、全部で既に14,400,000種類の抗体を作るB細胞が得られる。
実際には、VDJに組み換える部分に自由度があり、また他の蛋白質をコードする遺伝子ではあり得ない頻度で突然変異がV断片のグループの特定部分で起きている...
というようなわけで、ヒトの体は一千万を遥かに越える種類の抗体を作り出せるようになっている。ヒト一人の細胞は全て同じ遺伝子のセットを持っている、という大原則が、免疫システムに関する限り当てはまらない。以上が私なりの要約です。
ところで我々の免疫システムは、数千年前の原始人の時代から変っていないでしょうから、体に侵入した異物を排撃する能力としては、原始生活の中でも何とか生き延びられるくらいに強力なわけです。
現代のように余り清潔にし過ぎると、その驚異的な能力を発揮する機会が極端に減る。力を持て余した免疫システムが反乱を起したくなっても不思議じゃありません。その結果、アトピー性皮膚炎なんてものが生じるのじゃないか...
と言うのも、この皮膚炎は何と言っても先進国に特有の疾患であり、多少豊かになった国でも結核が蔓延しているところでは少ない、などのデータまであるそうだからです。私としては余り神経質にキレイキレイを心掛けず、適当に免疫システムに実力を発揮する場を与えております。
Oldies(50,60年代アメリカン・ポップス)再訪
コニー・フランシス(Connie Francis):
一瞬で旋律が心に沁みてきたサワリの歌詞だけご紹介すると、
I know why you're the heart of my world
One.., for the special way you care
Two.., when I call you're always there
Three.., for all the love you've given me
(Lyrics: Three Good Reasons)
日本語ウィキベディアに、彼女の別の曲について面白いことが書いてある:
1958年2月発売。ビルボード最高4位。自身初のミリオンセラー。モノラル録音。
それまで9作のシングル盤が発売されたもののなかなかヒットに恵まれず、次の10作目でヒットが出なければ契約を打ち切るとレコード会社から伝えられていた。
窮地に立たされたコニーに、彼女の父が、最後かもしれないなら、自分の大好きな曲を歌ってほしいと彼女に頼んだことでレコーディングをする運びとなった。
コニーははじめ、「30年以上も前の古臭い曲は嫌だ」と歌うことを渋ったが、結果的には大ヒットとなり、コニーは歌手を続けられることになったのである。
この曲が無ければ、後年の大スター“コニー・フランシス”も無かった。まさに、彼女の人生を変えた曲である。
このウィキベディアの記事では、冒頭の"Three good reasons"は全く言及無し。著者の文章は中々だが、この曲はお気に召さなかったようだ。
そう申す私も、ちょ〜奥手な割にはアメリカン・ポップスに早くから注目して、ラジオの(!)のポップス番組は毎週欠かさず聞いていたのに、この曲は今回初めて発見した。
正直言えば彼女の曲は、「カラーに口紅」「ボーイハント」等々、歌声も余り気に入らず、以下の方がずっと好きだった:
ポール・アンカ三曲:
ニール・セダカ「恋の片道切符」
デル・シャノン「花咲く街角」
ブレンダ・リー (ウィキベディアにデビューに至る経緯があってちょ〜面白い)
ペギー・マーチ
巷で人気のものだけ聴いていると、素敵な旋律を逃すことになるから、アーチストが気になった時には持ち歌を片端から聴くようにしている。
この原則を実行に移した最初がバッハで、作品番号順に全部聴いた。
それからロシア系、ラテン系など、YouTubeで音楽動画と見れば片端から開けている内に、60年以上昔に聞いた50,60年代のいわゆるOldiesに戻ってきたというわけ。
勿論、5〜10秒聞いて気に入らなければ捨てる... という具合にやるには、CMに付き合っていられない。当然CM無しで見ている:
「YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能」
最後に、当時は多分ラジオでも流れず今回発見したものを5曲:
Connie Francis
Connie Francis
The Demensions
Gene Pitney
Jerry Butler
野の花に開眼の記
2009年のことです。マンションのベランダには浅い排水路があって、真中がわずかに高く、左右に向って傾斜しています。そのため中央部には、土ぼこりやら小さな石やらが少しずつ溜まっていって、小さな丘みたいになります。そこにある日、葉の厚いサボテンの一種かと思うような植物が生えてきました。
実は私、それまでは草花に全く関心が無く、両親からも「お前は花の名前も知らず、しょうのない子だね」と言われ続けてきたのですが、夏のカンカン照りの日など、ついその植物にコップ一杯の水を掛けてやったりしておりました。
そうしてひと夏生き延びたところで、マンションの管理組合が全戸一斉にベランダの床を張り替えると言います。勿論、ベランダに置いてあるものは全て、放っておけば工事の際に不要物として捨てられます。
あの植物も勝手に住み着いたんだし、工事があるのも運命、放っておこう、と一旦決めたのですが、明日は工事という日の夕方になって、何だか可哀想になり、手持ちの鉢にマンションの敷地の土を入れてきて、植え替えました。
すると見る見る成長し始めて、一体何だろうと思って一年くらいした頃、花屋の店先で同じ植物を見付けました。俗名「金の成る木」、別名「花月」でした。よそで見るとなかなか綺麗な花が咲くのですが、一旦見捨てる積りでいたのを恨んでか、三回目の正月になっても、一向に花を付けてくれません。
それはともかく、花月のために土を盛った鉢には、他にも何やら生えてきて、何になるんだろうと観察するのが非常に面白い。それからは他にも鉢を買って来て、とにかく敷地の土を構わず入れ、水をやりながら観察するのが趣味になりました。というのも必ず何か生えてきて、不思議に思っている内に鶏頭 (けいとう) になったり、爆蘭 (はぜらん) になったりするんです。
こうして植物に興味を持ち出して以来、路傍の何ということもない雑草でも、実に綺麗な花をつけているのに気付きました。バラだの蘭だのという高級観賞植物よりも、誰が植えたわけでもなく生えてくる植物の方が、魅力的です。単に花の全体を見るだけでなく、雄しべ・雌しべがどうなっているかを確認するまでじっくり眺めると、花びらの形や配色にも驚異的な多様性が見られます。蕾が次第に大きくなる頃から継続して観察すると、尚更その感を深くします。
名前の分らない花について調べる時は、「季節の花300」というサイトのお世話になっています (リンク参照) 。小さな花でも拡大写真などが用意してあり、確認するばかりでなく改めて鑑賞することも出来ます。
ところで野の花を見るたびに思い浮ぶのが、聖書のマタイ伝福音書第6章 28, 29節です。
「又なにゆえ衣のことを思ひ煩ふや。野の花は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり、されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにも及(し)かざりき」
キリストの教えと言えば、「すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」といった具合に過激なもので、凡人の私にはとてもついていけませんが、野の花の一節は彼の言葉とも思えないほど説得力があります。この一節は内容と文体が絶妙な調和を見せて有名なのか、丸谷才一も『日本語のために』に収められた「未来の日本語のために」の中で、文語訳聖書が口語訳より遥かに優れている例として、引用しています。
それにしても、様々な形をした花びらの、鮮かな青、新鮮な黄、また品の良い薄紫などなどを眺めていると、ほんとにどんな豪華な装いもこれに如かず、自然の妙としか言いようがありません。
後日譚 2009年の秋に鉢に植え変えて以来ほとんど十年、葉っぱばかりが生い茂って、どうしても花を付けてくれなかった「金のなる木」。2018年の秋になって、雲霞の如くと言いたいほど蕾が出て来ました。どうにも不思議で、本気で調べたところ... と申してもネット検索しただけです:
「みんなの趣味の園芸」:金のなる木
によると、小さな株によく花をつける花の咲き易い系統と、大株にならないと咲きにくい系統があるのだそうです。
事実、数年前から「根元が太くなったのう」と思っていたのですが、今回良く見たら直径10センチ以上ありそうです。
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源氏物語:桐壷,帚木,空蝉,...の順に読むと、話の流れが不自然かも
林真理子 (源氏物語の)初めのほうの、空蝉に対する光源氏の態度はちょっと傲慢。現代の女性に好意をもたれない感じがします。それも相手は人妻。紫式部はなぜ、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定したのでしょうね。
山本淳子 なぜでしょうね。私にもわかりません。
( 誰も教えてくれなかった
『源氏物語』本当の面白さ
林真理子×山本淳子、小学館新書
p.32、最後から二行目 )
林真理子の疑問はもっともで、人気作家だけあっていいところを突いている。それに比べて山本淳子の反応は、『源氏』研究者なのに頼りない限り。
と言うのも、世に「武田説」と呼ばれるものがあって、要約すれば以下の通り。
1)『源氏物語』前半33帖は二つの系統に分離できる:
紫上系:桐壷 若紫 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 須磨 明石 澪標 絵合 松風 薄雲 朝顔 少女 梅枝 藤裏葉
玉鬘系:帚木 空蝉 夕顔 末摘花 蓬生 関屋 玉鬘 初音 胡蝶 蛍 常夏 篝火 野分 行幸 藤袴 真木柱
2)玉鬘系は紫上系の完成後に書かれ、現在の場所に挿入された。
つまり、林真理子の疑問自体が解消されるわけです。山本淳子は、次のように解説して上げても良かったのではないか :
「学界の多数派ではないけれど、武田説によれば、紫式部が書き始めた時点では、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定する積りは無かったのヨ」。
確かに、武田説を支持する研究者は学界で少数派です。しかし山本淳子は人も知る平安文学研究者で、『源氏物語の時代』で第29回サントリー学芸賞を受けた程の専門家。1950年に発表されてその後十年以上に亘って学界を賑わせた仮説を、聞いたことも無いなんてあり得ない。なのにそれを紹介することもなく、ただ「わかりません」という答え方は、武田説を無視する学界の大勢を憚って口をつぐんだとしか思えません。
これは別に、山本淳子氏を狙い打ちしているわけではありません。今度少し調べたのがきっかけで、別の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』を購入し、平安時代や『源氏』について何でも知ってるんだと、改めて感心したくらいです。「武田説を無視する学界の大勢を憚って口をつぐんだ」というのは、大野晋・丸谷才一など少数の人々を除いて、武田説を飽くまで否定する大多数の専門家諸氏に向けた言葉です。
武田説の根拠は「『源氏物語』54帖執筆順の謎:大野晋の解説書紹介」にご紹介しましたが、主要な点を引用すれば:
1) 紫上系の人物は玉鬘系にも登場するが、玉鬘系に初登場する人物はその後に来る紫上系の帖には登場しない。
2) とりわけ、前半33帖の大団円とも言うべき梅枝,藤裏葉には、光源氏が関係した多くの女性が勢揃いしているのに、玉鬘が全く姿を見せない。
3) 紫上系で起きた事件は玉鬘系に影を落しているが、玉鬘系で生じた種が紫上系に戻って活動することは無い。
これだけでも、紫上系が本体であり玉鬘系は外伝のようなもの、と考える根拠として説得力があります。しかも桐壷,帚木,空蝉,...と読み進む限り、「紫式部はなぜ、読者に嫌悪感をもたせるような女性関係をオープニングに設定したの?」という疑問を避けられない。林真理子のひと言は図らずも、現行の順で読むことの不自然さを炙り出したと言えるのじゃないでしょうか。
その上、原文にせよ現代語訳にせよ初めて『源氏』を読む人にとっては、まず紫上系を通読してから玉鬘系を読んだ方が、物語の展開が遥かに見通し良くなるのです。
実際、帚木,空蝉,夕顔の三帖は、それぞれを短編として読めば面白いけれど、『源氏』全体を物語として読み通そうと思う者にとっては、話の進行がしょっぱなから停滞して中々前に進まず、先の展望も開けない大きな原因です(岩波『新 日本古典文学大系』本で合計約100ページ)。玉鬘,...,真木柱の十帖に至っては、梅枝,藤裏葉の前に、約200ページに亘って立ちはだかっています。この十帖で初めて登場した人物や起きた事件が、梅枝,藤裏葉には一切現れないのにです。
こうした事情にも拘わらず通常の順で読ませようとするのは、通読を思い立った読者の覚悟を試しているかのようです。帚木,空蝉,夕顔の三帖を突破した者だけが若紫以降に進む資格を持つ。同じように、玉鬘に始る十帖を読破した者だけが、前半33帖の大団円を知る権利を与えられる... まるで通過儀礼のような雰囲気です。
殆どの研究者は苦労して通常の順で読み通したものだから、初めて読む人が武田説に従って楽するのが安易な態度に見えてしまう、いやむしろ無意識的に面白くない。だから、みんなで寄ってたかって通常の順で読ませようとする... のではないかと勘ぐりたくなってしまいます。
もうそろそろ武田説を無視するのは止めて、「慣例に従って各帖を並べてありますが、紫上系を先に通読するという読み方もあります云々」と、序や凡例にひと言入れてみては如何でしょうか。原文・現代語訳を問わず、『源氏』を最後まで読み通す人がぐっと増えること間違い無しです。
追伸 ご参考までに、林真理子×山本淳子対談の第一章「『源氏物語』スター千一夜」の、冒頭から件の箇所までを引用します。
恋の暴れん坊将軍・光源氏の正体
壮麗な長編小説『源氏物語』の魅力を支えているのは、光り輝くばかりの登場人物たち。中でも一番の人気は高貴な生まれのイケメン、光源氏を置いてほかにいないでしょう。美貌と知性で女性遍歴を繰り返す、魅力的な彼の存在を抜きにしてこの物語を語ることはできません。光源氏は一般的に知られるようなただの色好みであったのか、それとも.....。おふたりの対談はまず、この主人公像から始ります。
林真理子 実は私は、光源氏という人はしょっちゅう女の人をひっかけて遊んでいただけで、あまり魅力的な主人公だとは思っていませんでした。
山本淳子 確かに現代の感覚では、そういう感じ方にもなりますよね。光源氏には「恋の暴れん坊将軍」みたいな傾向があって、その点がヨーロッパやアメリカの研究者の方には受け入れがたいとうかがったことがあります。
林 はじめのほうの...。
追伸 (2017.11.23)
最近、角田光代訳『源氏物語 上』が河出書房新社から出ました。私も行き掛り上、林 望訳、大塚ひかり訳など覗いてきましたが、角田訳はほんとにどんどん読み進める感があります。
さてその解説を池澤夏樹氏がしているのですが、大手出版社が一般向けに出した書籍としては珍しく、武田説が取り上げられています。この仮説が再び世の注目を惹くきっかけになれば良いのですが。
SF映画『Time/タイム』(2012)
(公開時にはTwentieth Century-Foxの映画だったのに、今日YouTubeで発見したNETFLIXの動画には、「この映像の著作権と所有権はNETFLIXにあります」だって。カネにあかせて買い取ったに違いない。アタマに来たので、2016年4月に書いたブログを再度掲載)

無料お試し期間を経て目出度くTSUTAYA定額レンタルの有料会員になり、SF映画のリストを古い方から表示させて、ゾンビ, モンスター系以外を片端から借り出しました。勿論、本筋と無関係な言動をだらだら見せるなど、最初の15分で引き込まれないものは直ちに却下。そうでもしないと、何のために生きてるのか分らなくります。
その甲斐あって遂にぐっと来る映画を発見し、二度見た上に927円の新品DVDを買いました。大きなお目々のヒロイン(アマンダ・セイフライド)をじっくり眺め、相手役の男とお手々つないで逃げるシーンの音楽を、何度も聞きたくなったのです。
バイオテクノロジーで遂に不老不死を実現した未来。しかし... 全ての人間が不老不死を享受しては、あっという間に人口過剰になってしまう。そこで、人口の大多数を占める貧乏人が、なるべく早く死ぬように仕組まれている。
1)人間は25歳で肉体の成長が止まり、永遠に美貌と体力が維持される。
2)25歳になった瞬間から一年だけ寿命が与えられる。同時に左腕に埋め込まれたデジタル時計が起動し、残り時間が何分・何秒まで表示される。時計の数字が全て0になると死ぬ。後は本人の才覚次第。と言うのも、
3)時間が通貨。コーヒー一杯4分、豪華な食事なら8週間、バスに乗るのも一区間1分てな具合で、腕を端末の下にかざすと、寿命の残りから価格分の時間が差し引かれる。労働の報酬も時間で支払われ、その分寿命が伸びる。
4)二人の人間が腕を重ねると、腕が下にある方の人間から上にある方の人間へと、時間が移動する。合意の上の場合もあれば、強引に時間を吸い取ることも出来る。
さて、地球は貧乏人の住むスラムゾーンと富裕ゾーンに二分され、その間の往来には通行料が掛かって、貧乏人は富裕ゾーンには入り込めない。しかもスラムゾーンでは物価が常に上昇し、税金も上り気味。貧乏人の寿命はどんどん減っていき、その分が富裕層の地区に流れるようになっている。
その結果、スラムゾーンの人間は25歳を超えると、大抵一日か二日の寿命しか持っておらず、毎日あくせく働いては翌日まで命を延ばそうとする。時間が通貨だから、生活するとは正に自分の寿命をすり減らすことなのだ。一方金持は、何百年、何千年という寿命を享受している。現実のアメリカでは実際、貧困層の寿命が中流以上に比べて明らかに短くなっているそうだから、格差社会の行き着く先を象徴しているとも言える。
ある日、スラムゾーンに住む実年齢28歳のウィルが、自殺願望でわざわざスラムゾーンに入り込んだ金持の男を、ギャングの一味から助け出す。逃げ込んだ場所で彼は金持から、スラムゾーンの住人の寿命が吸い上げられ、富裕ゾーンに流れていくシステムの存在を告げられる。そして翌朝目を覚すと、自分の時計には百年余りの時間が入っていた。
そこで、もらった時間で高級ハイヤーを雇い、通行料を何年分も払って富裕ゾーンに入り込む。そこで知り合うのが、システムの元締めとおぼしき大富豪のおてんば娘シルビア(アマンダ・セイフライド)。実年齢27歳だが、日頃から終りの無い人生にぞっとしていて、「いつかバカなことをしてみたい」なんて青年に語る。
初めて見る女優だが、お目々がアニメの少女なみに大きなカワイ子ちゃんで、モデルみたいな脚をしているのがちょいと残念。
映画半ば、ウィルと一緒に時間監視局員に追われて逃げるのだが、顎の高さまでのおかっぱ(ボブと呼ぶそうな)を左右に揺らしながら必死に走る姿が、何度見ても飽きない。更にその時に流れる音楽が、妙に気に入ってしまった。レンタルで二度も見たのに927円でわざわざ買ったのは、この約一分半のシーンのため。取り敢えずご覧下さい:癪だけどNETFLIX予告編
でもNETFLIX独占ではなく、AmazonPrimeVideoでも見られますから、慌ててNETFLIXに加入なさいませぬよう。
追伸その一。ネットで検索すると、Time is money をそのまま映画にしてしまった、などと書いてあるが、私はバルザックの小説『あら皮』(何でも望みを叶える代りに持主の寿命を縮める魔の皮) を思い出しました。
追伸その二。同じくネットでは、シルビアの吹替えをしているAKB48の篠田麻里子が酷評されているが、どうも理解できない。私の印象では、不思議と艶っぽくて潤いのある声で、口調も浮世離れしたお嬢様ののんびりした雰囲気にぴったりです。
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24インチiMac購入顛末
その前にロシアとウクライナ:
国境を越えて隣国に攻め込んだのはどっち?
ウクライナ国内の惨状を引き起こしているのはどっち?
答は歴然としているのに、露・ウどちらの肩を持つのも良くないとか、訳の分からないことを言う人がいる。いずれにしても、ウクライナの深刻な状況を前に、こんな話をするのは誠に心苦しいのですが...
21.5インチiMacを購入して丸6年経ったが、手元不如意であるし、壊れるまで使う積りでいた。ところがヨドバシで昨年発売の24インチiMacを見掛けて触っている内に、今のiMacが動いている間に新しいのを買った方が、データの移行その他、何かと便利ではないかと逆の発想が生まれた。困ったもんだ。
記憶容量(ストレージ)は、そのまま買えば256GB。今の時代にニゴロクで足りるわけ無いのに、購入欲求を刺激するべく、OSがかつかつ動く容量にして値段を抑えてあるに違いない... と理性は分析するものの、まんまと罠に嵌ってしまった。
ストレージを1TBにカスタマイズしたいと言ったところ、作業はAppleの工場で行われるので、ヨドバシにモノが来るのは一ヶ月先か二ヶ月先かもっと先か... 神のみぞ知るときた。今更そんなに待たされてもと、(ヨドバシで買えばポイントが付くのに) AppleStoreに注文したのが2月16日で、お届け予定日は3月3日〜7日。中国の工場でカスタマイズしたものを、上海空港から成田に輸送とのこと。子供じゃないんだし、そのくらい待てなくてどうすると自分に言い聞かせる。
ところが輸送を請け負ったDHLが頑張ったらしく、2月22日に到着。
到着したはいいけど、精密機械を安全に輸送するため、梱包の頑丈なこと。その上、

こんな形の製品・付属品の凹凸に合わせて大小様々な箱が埋め込んであり、接着剤が強力で小箱一つ外せない。
まだ本体が入っているかと思うほど重くて平らにできない箱、段ボール古紙にも出せないし、390円払って粗大ゴミに出すしかないのかとAppleに捩じ込んだところ、好きな人は箱だけでも嬉しいそうだから上げたら?だって。どうしても廃棄したければ、カッターナイフで切り刻んで可燃物として出せばと。
いつまでもこんなに大きくて重い箱を、かってフランスの首相がウサギ小屋と形容した狭い家の中に置いておくわけにもいかず、明日やろう明後日やろうとうだうだ日を過ごして漸く解体作業を開始。取り掛かったはいいが結局、カッターナイフでちょっと切り込みを入れては、取れそうな小箱を力任せに引っ剥がす仕儀となった。日頃軟弱な生活をしている齢75の筋肉にはかなり無理がきたらしく、翌日夜になって布団の中で体の節々が痛み出し、「遂に新型コロナに感染したか」「治っても脳に後遺症でピアノのお稽古も終りか」などと不吉な想念が渦巻く。夢うつつに瞼に浮かんだシーンでブログ一つ書ける!と思ったのだが... 目覚めてみれば雲散霧消。
ここから先はMacユーザー向けです。
今回の機種ではストレージが全てSSD。HDDに比べて読み書きが速く、再起動なども一瞬というわけにはいかないけど、あっという間だ。
しかし色々楽しむ前に、まず旧iMacからデータを移さなくてはならない。全て外付けHDDにバックアップしてあるから新iMacに繋げば済む筈が、新iMacの背面にあるポートが二つともUSB-typeCときた。AppleではUSBからUSB-typeCへの変換ケーブルが2000円で買えると聞いたのに、ヨドバシに電話して聞いてみると、「外付けHDDが電源をコンセントから取る方式だと、変換ケーブル自体に電源が必要で、そういうケーブルは5000円以上」と、後から考えると完全に勘違いの返事が返ってきた。
そんなに面倒臭いのかと思っている内に、新旧両iMacにデータの移行アシスタントなるアプリが入っているのを思い出した。2台のiMacの間でデータを全て移せるとのこと。るんるん気分で使ってみたところが、最初「あと2時間」と表示された所要時間が朝から昼まで掛かって「あと17時間」と却って増えている。
Appleに電話するとそれはおかしいからキャンセルせよと言うが、キャンセルがまたいつまで経っても完了しない。再びAppleに電話すると、それはおかしいから電源ボタン長押しで強制終了せよときた。
結局、千葉ヨドバシに変換ケーブルを買いに行ったところが、ケーブルと言うより変換ジャックみたいな部品で、バックアップしたデータの移行に何の問題も無かった。電話で問い合わせた際に、変換ケーブル自体に電源が要るなどととちったヨドバシの店員が恨めしい。ちなみに男の声だった。だから女性店員の方が優秀やと前からゆ〜とるやないか(東京医大入試と女性キャスターの立場)。
移行アシスタントで2台のiMac間のデータ移行は簡単、という筈がこれだから、Time Machine とかも信用する気になれない。自分で外付けHDDにファイルをバックアップするローテクの方が、確実に思える。
サウンドについては、ウーファーとツイーター二つずつを含めてスピーカー6個と言うのだが、それが厚さ1.15センチの本体に入っていて、音はディスプレイ下面(ということは幅1.15センチ)に無数に開いている穴から出てくるとのこと。厚さ1.15センチの箱の中でウーファーが下面の穴に向いてる筈は無いし、折角の音質が発揮できまいと思うのだが、実際聴いてみると、旧iMacでブックマークした曲が見違えるような音で聞こえてくる。
画質も24インチのRetinaディスプレイ(4480×2520)で、遂にYouTubeで山岳風景などを4K画像で眺められるようになった。
念のために申しますが、YouTubeではピアノ曲と山岳風景と戦闘機や超音速旅客機、美しい花々や水中を泳ぐ魚などを見ております。えっ? YouTubeではもっと色んなものが見られる? 知らなかったな〜。今度試してみよう。
新型コロナ専門家会議「尾身茂」という国難
なる記事がツイッターで紹介され、是非読みたいと思って検索している内に、同記事を含む新潮文庫『日本の聖域 ザ・コロナ』に至りました (2021年11月刊、月刊誌『選択』編集部編、Kindle版658円)。
第一部 この国ではカネは人命より重い
国立感染症研究所
新型肺炎で機能不全の「利権集団」
新型コロナ専門家会議「尾身茂」という国難
その提言に世界が「疑問符」
厚労省・結核感染症課
「コロナ騒乱」諸悪の根源
PCR検査
異常な少なさの全真相
Go To トラベル「補助金」の闇
業界団体と結託「謎の企業」大儲け
....
第二部 堕落と癒着の連鎖
竹中平蔵
菅政権で栄える「学者政商」
NHK「政治部」
「政権広報機関」の哀れな内情
大企業「優遇税制」
政財界の癒着が生んだ「税逃れ天国」
....
第三部 私利私欲の果てに
「人工透析」二兆円利権
批判許さぬ「亡国の所業」
自衛隊と「選挙」
自民党「集票マシーン」の実力と内情
古美術品「国外流出」
中国に吸い込まれる「日本の宝」
....
まずは第一部を読みましたが、様々な要素が複雑に絡んで、私にはとても適切な要約が出来ません。幸いノンフィクション作家・柳田邦男氏の解説が最後に付いているので、抜粋します。
第一部では、コロナ禍初期の重大な失敗として、PCR検査体制の立ち遅れを、多角的に取り上げている。
(中略)
新型の感染症が爆発的拡大に突入するのを防ぐには、国内で一人でも感染者が確認されたら、その人の行動歴からすでに不特定多数の無症状の感染者が広がっており、それらの人々からの二次三次の感染拡大の可能性が高いことを前提に、国や関係機関は万全の対策に取り組むべきである。
だが、最初期の20年1月から3月にかけてのこの国の対応は、その段階で致命的な失敗をする。その失敗とは、PCR検査の対象者を明確な症状のある人と濃厚接触者のみに絞ったことと、多数の人々が密集する場のクラスター防止対策に重点を置くことで、爆発的拡大は防げるという枠組みを作ったことだ。
(中略)
なぜPCR検査を無症状者にまで広げて、感染拡大の実態把握をしようとしなかったのか。その理由について、厚労省などによる説明では、公的な検査設備と調整役を担う保健所と地方衛生研究所の職員数と検査対応能力に限界があったためとされるが、真実は違っている。
PCR検査は高度な技術と時間を要するものではないことは、一年も経たないうちに認可され普及した市販の検査キットの簡便さを経験すればわかる。検査難民という言葉まで登場した20年春の時点でも、民間の検査会社や医系大学を動員すれば、保健所がPCR検査対象者調整作業でパンク状態になるという事態は充分に回避できたのだ。
しかし厚労省の担当幹部や医療界の感染症分野に影響力のある専門家らは、新型コロナ患者の入院が急増して病院を圧迫するのを避けようと、PCR検査対象者の条件を厳しく線引することで、軽症や無症状の感染者を放置する方針を採ったのだ。その根拠になったのは、既述のように濃厚接触者の検査とクラスター防止対策に取り組めば爆発的感染拡大は防げるという、一部の専門家の誤った見解だった。
さらにもう一つ背景にあったのは、厚労省・結核感染症課、国立感染症研究所、保健所・地方衛生研究所という「公衆衛生ムラ」が、財源と情報を独占したいがために、民間企業の協力を排除する体質があったことだと、本書は様々な事実や数字や人物の発言などを根拠にリアルに告発している。
(抜粋終り)
尾身茂個人については (以下引用):
予算増、ポスト増を要求し続ける「パンデミックムラ」の専門家たちも、彼らが専門家として優れているなら国民は納得するしかない。ところが、実態は「パンデミック対策の専門家とはほど遠い人達」(公衆衛生学教授) なのだ。
そして、その象徴が分科会会長を務める尾身だ。
(中略)
尾身の診療歴は自治医大卒業後の9年間の地方勤務、研究歴は母校の予防生態学教室の3年間の助手勤務だけで、筆頭著者の英文論文は一報しかない。
ファウチは1966年にコーネル大学を首席で卒業後、国立衛生研究所 (NIH) に50年以上にわたって勤務したエイズなど感染症を専門とする医師だ。『ネイチャー』『サイエンス』だけでも過去に46報の論文・論考を発表し、1983〜2002年まで世界の科学誌にもっとも引用された研究者の一人とされている。 (引用終り)
実力に基づく自信のなせる技か、ファウチは大統領の地位にあったトランプと対立することも辞さなかった。尾身は、一貫して検査体制の強化を指示してきた官邸の意向を無視し続け、様々な局面で厚労省を擁護してきた。その具体例は本書に詳しい。
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哀愁の調べ...(9)初心者にぴったりの三曲
初心者とは、4年前に思い立って教則本二冊で学んだだけの私のことです:
「ぴあの(6)『メトードローズ』を採用」
「ぴあの(12)『ピアノの練習 ABC』」
それでも、YouTubeで見付けた旋律の綺麗な曲が弾ける... いや正確には、弾けそうなので練習している曲をご紹介。
1)
動画の鍵盤の上から、打つべきキーを示す棒が次から次へと流れてくるTutorialが苦手で、譜面を見せてくれればいいのにといつも思う。
しかしこの曲は、一度耳にしただけで何度も聞き直したくなるほど気に入って、Tutorialもそれ程複雑でない。これなら、左手の和音を全て覚えておいて、譜面台に乗せたiPadに動画を0.5倍速で音無しで流せば、見ながら弾けそう。
そこで、動画を何度も止めては左手の和音を五線譜に書き取った。それから数日、漸く途中で何度かバックしながらも、両手で弾き始めました。
但し、動画の鍵盤に C3, C4 の文字が見え、その通りにすると音程が動画より1オクターブ低いような気がする...
それにしてもこういう曲を聴くと、世の中に美しい旋律が幾ら沢山あっても、まだこんな曲の出現する余地があるのだとつくづく思います。
華麗なオーケストラ付きの歌声がお好きな方には:
2)
余りに陳腐なタイトルで厭になっちゃいますが、それは無視して曲をお聴き下さい。今度は譜面付きで、早速スクリーンショットでコピー (Macの場合、Shift, Command, 4 のキーを同時に押すと、ブラウザのウインドウの中で欲しい部分だけ長方形に切り取れる)。あと少しで0.5倍速くらいで引き通せそう。
3)
既に「瑠璃色の旋律」でご紹介しましたが、改めて。これもスクリーンショットのお陰で譜面を手に入れ、一応完成しました。もっとも上の二曲同様、まだ動画の0.5倍速くらいです。
追伸。1)El triste:
ネット上には「悲しみ」と訳してあるサイトもありますが、El は男性名詞に付く定冠詞、triste は「悲しい」という形容詞だそうですから、文法的には「悲しむ人」ではないか。実際 Wikipedia には "The sad one" としてあります。定冠詞付きですから、それを「悲しみ」と訳してしまうのも、一つの考えですかね...
哀愁の調べ...(5)儚き夢
ロシア風イージーリスニング(「哀愁の調べ わが心を慰む(4)」)に凝っている内に、思いがけない発見です:
乙女たち...
アップテンポで、でもどこか哀しげな曲をバックに、読書や散歩中の可憐な少女たちの絵が流れます:




何気ない姿を目にした瞬間、ほのかな恋心が芽生えて抑えられなくなる。昔々そういうこともありました...
絵の少女たちを見ていると、ナンパしようなどという気も失せて、ただただ見とれていたくなる。これは言わば片思いの世界。
そう気付いてもまだ眺めていたい。そんな願いが伝わったのか、同じ絵を大きなサイズで見せる動画が出てきました:
ビデオ・ギャラリー
中でも1番, 3番, 4番と後半の何人か、清楚で気品のある雰囲気には溜息が出てしまう。
そして芥川龍之介『侏儒の言葉』の一節を思い出す:
少女 --- どこまで行っても清冽な浅瀬
そんなんじゃないことは分っているけど、この絵の少女たちを前にすると夢を見ずにはいられない... 一体何故なのか考えていると、絵の仕上って行く様を見せる動画があって、モデル無しで制作しているように見える:
Emerald Bay
ということは、彼女たちは画家自身の憧れを絵にしたものなのかも。
それに、初めは細部まで綿密に描いてあるように感じたが、筆遣いを見ていると巧みにぼかして、見る者に想像の余地を残しているような気がする。夜目遠目笠の内。そのテクニックには脱帽です。
このブログを読んだ娘たちが「男ってバカね〜」と呟き、こんな雰囲気を狙って化粧や立ち居振舞いを工夫し始めたら... 夢見る少年を待っているのは果して幻滅か、それとも幻滅を突き抜けた先にある真の出会いか、な〜んてね。
追伸その一 私の楽しみ方:
乙女たち...
の音楽を繰り返し流しながら、
ビデオ・ギャラリー
を画面一杯のウインドウに表示し、音を消して再生速度0.5で流す。
気持良いですよ。但し、先日ご紹介したブラウザBrave(「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」)を使わないと、あちこちにCMが入って悲惨なことになります。
追伸その二 元々は2020年10月の記事ですが、絵を文中に嵌め込むことを覚えたので改めて掲載。
われ常に同じ"女性"を追い求む、故にわれ在り

レベッカ・ファーガソンを発見:『ミッション・インポシブル ローグネーション』のヒロインです。
三年も前の映画だし、『ミッション・インポシブル』シリーズは欠かさず見た積りだったので、Amazonプライム・ビデオに入っていたのに放っておいた。たまたまテレビで放映されたのを途中から見て、悪役の顔付きその他、全く初めてであることが判明。何よりヒロインに参ってしまった。
結末はもう見たのに、この美女をどうしても最初から眺めたくて、Amazonプライム・ビデオに200円払って見ました。ネット情報によるとスウェーデン出身、1983年生まれだそうで、正に大人の女性の魅力そのもの。時に冷酷、時に優しく、戦闘能力抜群なのも嬉しい。あの大きな瞳を思い出すだけで、彼女のいる世界に吸い込まれて行きそうです。
しかし私がのめり込んでいるのは飽くまで、映画の中の謎めいた凄腕の女諜報員。あのくらい綺麗で気品に溢れていると、インタビューなどに出て来ても確かに魅力的だけど、ちょ〜っと違うんだな。ヒッチコックの『めまい』と、ある意味同じ構図です。
金持の友人が妻を殺すために仕組んだ陰謀に嵌った「私」は、贅沢な衣装を身に纏い、先祖の亡霊に取り憑かれているかのような振舞いをする彼の妻に、ぞっこん惚れてしまう。実は、しがないデパート店員が件の友人に頼まれて、謎めいた女を演じていたのだ。
色々あってその妻が死んで数年後、「私」は問題のデパート店員に偶然出くわしてしまう。しかし、演じている内に「私」を愛してしまった女は、今度はありのままの自分で勝負しようとする。顔はそっくりなのに、「私」がかって惚れ込んだ妖艶で謎めいた女にはどうしてもなってくれない...
顧みれば、私の洋風美女好みも進化してきた:

『カサブランカ』のイングリッド・バーグマン

『Xファイル』の捜査官ジリアン・アンダーソン

『アベンジャーズ』のコビー・スマルダーズ

『ターミネーター4』のブライス・ダラス・ハワード
(「『ターミネーター4』とタイムトラベル」)
そして遂に、レベッカ・ファーガソンに辿り着いた。彼女の魅力を味わい尽した頃には私もさすがに枯れて、その方面の関心も無くなるから、きっと彼女が人生最後の美女でしょう。しかし良くご覧下さい、この5人が私を虜にする魔力は本質的に同じだと思いませんか。われ常に同じ"女性"を追い求む、故にわれ在り。
それにしても、彼女の魅力を味わうために二度も見たお陰で、『ローグネーション』のストーリーの弱さに気付いてしまった。中程度の見せ場を次々と繋いであるだけで、クライマックスに向かう盛り上がりが無い。後に残るのは「あ〜、イイ女を見た!」という感激のみ。
新作『ミッション・インポシブル/フォールアウト』が8月3日に封切になるが、その辺はどうなのか。いずれにしても、彼女が再び同じ役柄で出演と聞いては、Amazonプライム・ビデオに入るまで待っていられない。久し振りに映画館に行って... 見てくる積りでしたが、止めました。『ローグネーション』と『フォールアウト』の予告編を比較・分析したところ、肝腎の彼女の出て来る割合が激減です。『フォールアウト』には悪役の女だのトム・クルーズの妻役だの、女性が二人も増えたから、レベッカ・ファーガソンの登場する割合が減るのも当然。彼女が期待ほど出て来ないなら映画館まで行く意味は無いし、Amazonプライム・ビデオに入れば、恐らく500円程度で48時間の間、何度でも見られる...
このメッセージは5秒後に自動的に消滅... それでは誰にも読んでもらえないので、暫く残します。
追伸その一 お読みになった女性の声が聞こえてくるような気がします:「オトコって駄目ね〜。結局、勝手な幻を追っていて、生身の女を見ようとしないのよね〜」
追伸その二 著作権その他の問題に引っ掛かっていないことを祈っております。万一ご指摘を頂いた時は、直ちに削除します。
追伸その三 元々は三年前の記事ですが、絵を文中に嵌め込むことを覚えたので改めて掲載。
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YouTubeをCM無しで見る:Chrome+拡張機能
2020年9月に、
「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」
なる記事を書きましたが、2021年7月になってじゃんじゃんCMが出るようになりました。全てのタイプが出現です:
動画の途中で
バナー広告どころか、大声で「○□△×」と叫ぶ
動画の前に「動画開始まであと*秒」
動画の前に
「広告終了まであと*秒」
と待たせた後で二本目のCMを始め、
5秒のカウントダウンの後に
「広告をスキップ」のボタン
という、忌ま忌ましいにも程があるタイプも。
YouTubeの音楽動画らしいものを片端から開けて、気に入る曲を見付け、それを聴きながらいつかこんな曲も弾けるようになりたいと思ってやっているピアノのお稽古も、何だか空しくなってくる...
YouTubeがBraveの抜け穴を見付けたのか、BraveがYouTubeとこっそりナシを付けたのか分かりませんが、とにかく一切CM無しとは言えなくなりました。
止むを得ず色々検索したところ、
「YouTubeで広告ブロックができる7つの方法」
という記事が出てきました。書いたのは律義な方らしく、
YouTube Premiumに加入して、CM無しで動画や音楽を楽しむ
という公式発表的な(?)方法も紹介してありますが、月額1,180円。毎月ですよ。1,180円なんて払う気になります? 「千円くらい毎日でも払ってやる」と言いそうな金持ち向けって感じです。
そこで、Googleの手を借りるのは癪だけど、
GoogleのブラウザChromeに
拡張機能AdBlock for YouTubeを追加
という方法を試しております。具体的な作業については上の記事をご覧下さい。
お陰で、再びCM無しの生活が楽しめるようになりました。但し、アプリを再起動すると一日か一日半CMが出て、その時期を過ぎるとCM無しのようです。
YouTubeは、
有無を言わせぬ広告表示
有料で広告無しの動画を見せる
の二つが生命線になっているわけで、そのYouTubeを傘下に持つGoogleがどうして、”AdBlock for YouTube”などという拡張機能を黙認しているのか、些か疑問ではありますが、その分この手法の信頼度は高いと考えることもできる。この辺の考察はご自分でネット検索してみて下さい。
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伊ドラマ『La Piovra(マフィア)』

例の如くYouTubeを散策中、気品と匂い立つような美しさに一目惚れ。ほんとは、この静止画の裏でエンニオ・モリコーネの旋律を女性が歌うのですが、動画の所有者がけちでそのままではブログに埋め込めない。音楽は下の「YouTubeで見る」をクリックしてお聴き下さい:
『La Piovra』はイタリアの連続ドラマ。TSUTAYAでDVDでも借りないと見られないようで、私も見てないが、マフィアに果敢に立ち向かう刑事が主人公らしい。第4シーズンにこの娘が登場。
同シーズンを要約すると思われる動画:
音楽だけで台詞は一切聞こえてこないが、映像を見ればストーリーは一目瞭然。台詞が聞こえない分、却って空想がどんどん膨らむ。
刑務所の独房かと思うような部屋で、やつれ果てた男が回想に耽る。
マフィアの幹部らしいが、パーティ会場で愛想を振りまく娘に一目で心を奪われる。
如何にも裕福で温厚篤実そうな男の誘いに、娘もまんざらではなく、嬉しそうに郊外にドライブに行ったり。
そして、あっという間に結婚式。
でも、教会から出てくる彼女の表情を見ると、内心の呟きが聞こえてくる:
「中年とは言え、まともな顔した裕福な男に見初められて、熱烈に口説かれて、自分の方は心がときめく程ではないけれど、女にとってはこれが恋愛なのよ。小説に出てくる身を焦がすような恋なんて、現実には無いのよ」
初夜らしきシーン。男はまだ背広を着たままなのに、女が「男にとって結婚て、女を抱くことなんでしょう?」と言わんばかりに、スリップ一枚になってみせる。
さて何ヶ月か経って、女は別の男と熱烈な恋に落ちる。カフェで抱きあう様が、夫の時とは全然違う。
この関係は間もなく夫の知るところとなり、相手の男がマフィアに挑む刑事であることを知って激怒する。
妻を問い詰めてみれば、「本物の恋に出会ったの。一度しかない人生に、不倫が何よ!」てな具合に反撃される。
夫は我を忘れて愛する女の首を絞めてしまう...
最後に、彼女の顔をもっと見たくなってしまった読者に、上の回想動画より魅力的な表情が見られる動画 (音を消して絵だけご覧になることをお勧めします):
追伸 Wikipedia "La piovra" にシーズン4の解説があります:
Tano's (マフィアの幹部) machinations reach their peak as he strategically marries Ester Rasi (娘), daughter of powerful insurance company president Filippo Rasi, and after realizing that she is actually helping the police, kills her.
マフィアの中年男は、彼女が大手保険会社会長の娘と知って、政略結婚したと。本文に書いたストーリーは、彼女に一目惚れした私の気持を投影し過ぎたのでしょうか。でも回想動画を見たら、誰だって私のストーリーが思い浮かぶに違いありません。
ぴあの(16)ハイフィンガー奏法vs重力奏法
第二関節を曲げて、その先を鍵盤に垂直に当てている動画を見てびっくり仰天:
1日5分で10倍上手くなる指エクササイズ!!
と言うのも、『メトードローズ』『ピアノの練習 ABC』と独学でお稽古してきた経験からは、想像もできない指の形です。驚愕から立ち直り、手や指の形をキーワードに検索したところ、神戸大学の博士論文が出てきました:
ハイフィンガー奏法による日本のピアノ教育の系譜 : 明治末期から井口基成の時代まで
論文によればハイフィンガー奏法とは、ピアニスト中村紘子が著書『チャイコアスキー・コンクール』の中で初めて概念化したもので、日本で従来おこなわれてきたピアノ奏法を指す。彼女は、この奏法がもたらす数々の問題(弊害)に注意を促した最初の人物でもある。ちなみに、自身もこの奏法による典型的な教育を受けて育ったが、後にジュリアード音楽院でそれを徹底的に矯正されたという。論文を引用すると:
「中村紘子の説明によればハイフインガー奏法とは、
1. 手首を低めに保ち
2. 指先を曲げ
3. それをそのまま鍵盤から離れた高い位置に持ち上げ
4. ほぽ直角に近い角度で鍵盤の底まで打ち下ろす
のである。「専ら指先の力だけで鍵盤を強く打つ」もので、現代の一流ピアニストが皆、「指先で打つ」力ではなく、むしろ「上半身の重さを鍵盤にかける」ように肩から腕を使いながら弾いている(管理者注:重力奏法)のと対照的である。しかし日本では、非常に多くのピアノ学生がこの奏法で弾いており、ハイフィンガー奏法は日本人がピアノを弾く時の典型的な「型」ですらあると言える」(引用終り)
冒頭に紹介した動画の弾き方は正に、ハイフィンガー奏法だったのです。正直なところ最初は、ハイフィンガー奏法vs重力奏法なんて上級以上の雲の上の人達の話と感じたのですが、仮に冒頭の動画が正しい弾き方となれば、初心者の私にも関わる問題と受け止めざるを得ない。必死になって調べた次第。
論文では中村紘子による概念規定を元に、
ハイフィンガー奏法vs重力奏法
「井口vs安川」という二大派閥
欧米では100年前から重力奏法が一般的なのに、日本は何故逆なのか
などについて詳述してあるが、「おわりに」(p.113〜)に全体が要約されているので、抜粋しつつご紹介(読み易いように、適宜改行を施した)。
日本がピアノ教育を開始した当初、ヨーロッパから受け入れたのは、当時かの地で広く実践されていた指奏法であった。ヨーロッパではこの指奏法は、 既に十九世紀末に時代遅れとなりつつあったが、当時の日本の洋楽界がいまだ手探りの時期であったことを考えれば、ヨーロッパの最新の理論(重力奏法)がリアルタイムで輸入されなかったのは、むしろ当然であっただろう。第一章で述べたように、当時のヨーロッパにおいても、新奏法を理論的に教えていたピアノ教師は僅かであった。
しかしながらいかにも奇異に見えるのは、その後軌道修正の機会が何度もあったにもかかわらず、この古い奏法が日本においてこれだけ長い間温存され、しかも時代が下るにつれてますます極端化されていった面すらあると思えることである。つまり「指を高く上げて叩くこと」(ハイフィンガー奏法)が強調されるようになるのは、明治から大正にかけてのピアノ教育の黎明期ではなく、むしろ昭和に入る頃からなのである。
そして戦後になってもなお、時代に逆行するかのように、このハイフィンガー奏法による教育にはさらに拍車がかかり、「指を鍛える」のスローガンのもと、多くのピアノ学生がその「修練」に励んだのであった。
第一の理由として考えられるのは、「師匠の型を守る」という日本の伝統芸能の伝承形態との関係である。本論文の第四章でも述べたように、日本のピアノ教育においてはしばしば、弟子は自己のアイデアを打ち出すことを禁じられ、あくまで師匠の型を模倣することに専念する(させられる)のである。
そしてこのような絶対服従の師弟関係に慣れ親しんだ弟子は、常に師匠からの指示を待つ受身の状態が染み付いてしまい、一向に能動的な表現や工夫が出来ない状況へと陥る(筆者もそうした経験を持つ)。かくして、師匠から受け継がれた「型(この場合はハイフインガー奏法)」は、たとえ「悪しき旧式の伝統」であっても更新(あるいは批判)されることはなく、忠実に継承されていったのではあるまいか?
第二に、上の「型の継承」と関連して、ハイフィンガー奏法が「型」として実に機能しやすいという点も見逃せまい。手首を国定させ(=固定しさえすれば後はそれについて考えなくともよい)、ただ指を垂直に上下させる(=余計なことは考えずに一心不乱にそれに励めばよい)というハイフィンガー奏法の単純運動は、きわめてマニュアル化しやすい。 つまり「型」として弟子へ伝授することが容易なのである。
それにひきかえ手首や肘を固定させない重力奏法は、絶えず音楽の流れに応じて流動的にそれらを動かすことを要求する、いわば「型がない」奏法である。「マニュアル」で教える教師たちにとっては、 ハイフィンガー奏法は非常に都合がよい代物なのである。
第三に、「技術至上主義J ということも看過できない問題である 。第四章で筆者は、井口流の「根性主義ピアノ奏法/教育」の非合理的な側面を示唆した。しかしながらハイフインガー奏法は、ある面ではきわめて「合理的な」奏法であったかもしれないのである。
まず重力奏法を考えてみよう。指を自然に伸ばし、手首や腕を柔軟にして弾くやり方は、美しい音色で歌うことを可能にしはするが、「ミスなく弾く」という点では不利である。つまり手首を固定しないために、音色やフレージングといった音楽性は広がるものの、手首の支点を失うことで指は鍵盤を外しやすくなり、ミスのない演奏の確率は低くなるのである。
それに対して、手首を低く構えて固定し、狙いを定めて指を打ち下ろすハイフィ ンガー奏法は、立ち上がりの早い明瞭な音で、速いパッセージをミスなく弾くという点にかけては、明らかに重力奏法より勝っている。なぜなら手首(=支点)を固定させた上で、 指を上から下への垂直運動に限定して打鍵した場合、その「命中率」は先の重力奏法に比べ断然高くなるからである。
「音楽性 」とはあまり関係のない部分ではあるが、「バリパリ弾く(弾いているように聴かせる)」という点で、ハイフィンガー奏法はきわめて合目的的なのである。そして井口をはじめハイフインガー奏法を推進した人々は、教育の基礎段階において「柔軟な音楽表現」の領域を完全に切り捨て、一目瞭然で万人に分かる「(狭い意味での)技術」の部分にだけ絞って徹底的な訓練を施したという点で、究極の合理主義者であったのかもしれないのである。技術万能主義という点で、極めて戦後日本的な現象だったとも言えようか。
とりわけ技術習得という点で特徴的なのは、日本のピアノ教育における「練習曲」の偏愛である。井口基成が必須課題としたハノンと並んで、日本のピアノ学生が必ず与えられる練習素材が、ツェルニーである(例えば筆者は、そのツェルニーの練習曲に足掛け10年お世話になった)。
(中略)
このようにみてくると、「技術か音楽か」という点において、日本近代のピアノ教育は堂々巡りを繰り返してきたように思える。「音楽」こそが最終目的であることは分かっている。しかしピアノという楽器はあまりに難しく、パルナッソスの山へ至る道は険しい。従って「音楽を楽しむ」ためには、音楽を一旦後回しにして、まずは手っ取り早く技術だけを先に習得させてしまおうとする一種の倒錯が起きる。そして技術至上主義への批判が出てきても結局は、「しかし難曲を弾きこなすにはまずは技術だ」という最初の出発点に議論が戻ってしまうのである。
こうした悪循環にピリオドを打つために必要なのは、十人の生徒を十人ともコンサート・ピアニストに仕立てようとするのではなく、余裕をもって弾ける技術の範囲内でもっと音を味わい、もっと音楽を考え、そして楽しむ教育を模索することではないだろうか。
そしてまた、本論文で述べたようなピアノ奏法の歴史についての教養を教師自らが持つことも、これからのピアノ教育にとってきわめて重要であると思われる。ピアノ音楽史を「ピアノ奏法史」(ピアノの奏法の変遷の歴史)という視点から眺めることは、ある楽曲を弾く際の適切な身体の使い方(=演奏様式)を理解するうえで、非常に役に立つに違いない。
また、今なお日本で温存されているハイフインガー奏法について、 それが編み出された経緯、そしてヨーロッパではそれが既に100年も前に廃れたという事実を正しく認識することも、ピアノ教育の急務であろう。「技術の歴史への洞察」が「技術至上主義」を克服するための一つの鍵になるように思うのである。
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ワクチン調達失敗したのでは:森永卓郎の疑問
消えたワクチン
森永卓郎・経済アナリスト、独協大学教授
『毎日』2021年7月21日付けの記事をコピーします。
ワクチン接種に急ブレーキがかかっている。職域接種の新規申請が停止されただけでなく、自治体が準備した大規模接種会場が休廃止に追い込まれ、すでに予約した個別接種をキャンセルする病院まで現れた。ワクチン供給が追い付かなくなっているからだ。
河野太郎行政改革担当大臣によると、7月以降のワクチン供給が減り、供給可能量の3倍程度の要請が自治体から寄せられていて、自治体への配分を絞らざるを得ない状況だという。実際、ワクチンの配分を大幅に抑制された自治体からは、接種計画を大幅に見直す必要が出てきていると悲鳴が上がっている。
しかし、政府はワクチン接種が今後は計画通りに進むと強調している。7月8日の会見で菅義偉総理は、「9月までに希望される全ての国民に接種が可能となる2億2000万回分の十分な量が確保されている。速やかに接種に万全を尽くす」と語り、ワクチンによる新型コロナの収束に向けた自信をみせた。
しかし、本当にこの言葉を真に受けてよいのか、私は大きな疑問を抱いている。元々の政府の説明では、ファイザー社製のワクチンは6月末までに1億回分、さらに9月末までに7000万回分が供給されることになっていた。一方、モデルナ社製のワクチンは6月末までに4000万回分、さらに9月末までに1000万回分が供給されることになっていた。つまり、菅総理の9月までに2億2000万回分のワクチン供給というのは、当初計画通りの数字だ。
ところが、7月8日の会見で菅総理はファイザー社製のワクチンについて、「全国の自治体には先月(6月)までに9000万回のファイザー社のワクチンが人口に応じて配分されている。そのうち4000万回分が使用されずに、在庫となっていると見込まれる」と語っている。いつの間にか、1億回分調達できているはずのワクチンが9000万回分に減っているのだ。そして4000万回分が自治体の在庫となっているという見立てにも疑問を持たざるを得ない。政府は6月末までにワクチンを保管するためにマイナス75度に保つことができる「ディープフリーザー」(極低温の冷凍庫)を1万台配る予定としていた。仮にそれが達成されていたとしても、1台のディープフリーザーで保管できるワクチンは1万2000回分だ。仮に10%の自治体がフリーザー満杯までワクチンをため込んでいたとしても、1200万回分にしかならない。4000万回分ものワクチンがため込まれているとすれば、なぜワクチン不足に悲鳴を上げている自治体がこうも多いのだろうか。
モデルナ社製のワクチンの場合は、もっとひどい。河野大臣は7月6日の記者会見で、モデルナ社製ワクチンについて、6月末までの供給量が4000万回分としていた当初契約より、大幅に少ない1370万回分だったと述べた。契約の3分の1しか納入されなかったのだ。しかも河野氏は、供給が減ることを知った時期について、「正確には覚えていないが、ゴールデンウイーク前くらいじゃないか」と答えた。つまり、2カ月間も国民に対してウソをついていたことになる(管理人注:つまり都議選終了直後まで)。
河野大臣は7月12日にテレビ朝日の番組に出演して、モデルナ社製のワクチンの6月末までの調達が、当初の4000万回から1370万回に減った理由として、欧州連合(EU)との輸出交渉の際に、ファイザー社製を確実に輸入することを条件に、モデルナ社製の供給の先送りについて承諾したことを明らかにしている。
世界的需要拡大のなかで、供給量を3分の1に絞ることを承諾してしまうのは、外交能力を疑わざるを得ない事態だが、もうひとつ大きな疑問は、ファイザー社製のワクチンが予定通り入っているのであれば、なぜファイザー社製のワクチンを使用している自治体への供給を絞らないといけないのかということだ。
半分以下の接種回数
もう一度当初の計画を振り返っておこう。厚生労働省の計画は、まず医療従事者500万人に接種(先行接種分を含む)し、その後高齢者3600万人に接種するというものだった。合計で4100万人、接種回数は8200万回ということになる。もちろんすべての高齢者がワクチン接種をするわけではないが、仮にすべての高齢者がワクチン接種をしたとしても、8200万回分のワクチンがあれば、十分足りることになる。菅総理の説明だと医療従事者と高齢者に接種されるファイザー社製ワクチンは6月末までに9000万回あるのだから、十分接種を終えられたはずだ。しかし、医療従事者への接種は、ほぼ終了したとみられる一方で、高齢者へのファイザー社製ワクチンの接種回数は6月末現在3438万回で、高齢者全員に接種するときに必要となる7200万回の48%と、半分以下なのだ。
また国民全体でみても、6月末までの接種回数は4881万回と、政府が主張する供給量(ファイザー社製9000万回、モデルナ社製1370万回の合計1億370万回)の47%と、これも半分に満たないのだ。
こうした状況を考えると、実際に日本に入ってきたワクチンは、政府の主張より相当少ないという疑いを持たざるをえない。政府がワクチン調達の契約に失敗して、予定よりもずっと少ないワクチンしか日本に入ってきていないのではないだろうか。
もしそうだとしたら大問題だ。政府は、これまで「ワクチンがゲームチェンジャーになる」と繰り返し主張し、ワクチン接種の進展を前提にオリンピックの開催を準備してきたからだ。もしワクチン供給が予定の半分程度しかないことが分かっていたら、オリンピックは中止する以外に選択肢がなかったのではないか。
私の主張は荒唐無稽にみえるかもしれない。しかし、政府はワクチンの供給量をきちんと公表していない。しかも契約先との秘密を守る必要があるとして、ワクチン調達の契約書そのものも公開していないのだ。
先進国のなかで、なぜ日本だけがワクチンの調達に失敗したのか。なぜ政府は国民にそのことを隠してきたのか。野党とメディアはそのことを徹底追及すべきだろう。
(注)ワクチン接種回数は原稿執筆時点のもの
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植物をスマホで撮ると名前が分る
警告!
以下にご紹介するアプリは、AppStore で100件ほどコメントが付いており、その9割以上が「騙された」「詐欺まがいだ」「詐欺だ」というものです:
「一週間の無料お試し期間に使ってみる積りでダウンロードしたが、知らない内にサブスクリプションしたことになっていて、年会費2900円を請求された」
「お試し期間の最後に解約する積りだったが、解約の仕方がどうしても分らなかった」
「気付かないようにサブスクリプションの方に誘導する仕掛けになっている」
等々。
こんなアプリがあると教えてくれたのは家内ですが、私は路傍の花でも何でも、綺麗だと思ったらその場で鑑賞すれば充分、名前など知る必要は無いと考えておりました。
早い話が、街でどんなに綺麗な女性を見掛けても、一々名前を聞いたりしないじゃん... もっとも、通勤電車で毎日見掛ける女性となると名前も知りたくなりますが、当方 妻と猫のいる身で、知ったところで何もできないのが世間のルール。
従って、お試し期間の一日前くらいに解約する積りでしたが、使っている内に面白くなって、まあ一年分くらい払ってもいいかという気になりました。
以上、充分に警告申し上げましたので、それでもお試しになって問題が起きた際は、開発元に怒鳴り込んで下さい。
というわけで、
PictureThis
舶来のアプリが日本語化されているようです。アプリ内にカメラのシャッターボタンがあり、植物を撮影すると名前を教えてくれてちょ〜便利です。撮った写真からどうやって名前に辿り着くのか、些か不思議であります。
花の咲く植物でも葉っぱを写真に撮るだけで、或いは樹木の幹を撮るだけで名前が分り、学名、別名、水やりの回数などなど、様々な情報が出てきます。もっとも、ベランダの植木鉢と地面に植えてある場合とでは、水やりの必要など差があるかも知れませんし、そもそも答が必ず正しいという保証もありません。変だと思ったら要チェックです。
上に申した通り、綺麗だと思ったらその場で鑑賞すればいい、別に名前を知らなくてもと思っていたのですが、いざ使い始めると、手当り次第に撮っては名前が出てくるのが面白い。
ほんとの雑草まで名前を知ったところで覚えられるわけじゃなし、切りが無いのですが、「えっ? これが折鶴蘭なの?」と、良く聞く名前なのにどんな花か知らなかったものに偶然当ることもある。
一年後には私も、「一年でサブスクリプションを止める積りだったのに、二年目まで払わされた〜」と騒ぐかも知れませんが、今のところの不満は日本語名に時々問題があることです。例えば、普通「乙女椿」と言われているものが単に「椿」となっている。
また知り合いの女性がメールで、「アマリリスが咲いた」と知らせてくれたのですが、どんな花か分らずこのアプリにアマリリスと入力したところ、「この名前に一致する植物は見つかりませんでした」ときた。家内も名前を聞いただけで知ってるし、そんな筈は無いと、
「季節の花 300」
で調べたところ、ちゃんと写真が出てきた。そこでその写真をこのアプリで撮影したところ、「ホンアマリリス」ときた。ふざけてますよね。「アマリリス」と入力したら、類似名の植物として「ホンアマリリス」を出さなきゃウソでしょう。その上、「ほんあまりりす」でも同じ答なんです。そう言ってAppStoreでコメントを書いたのですが、開発元の回答を探そうとしたら、冒頭にご紹介したクレームのコメントばかり出てきた、というわけです。
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エアバス社のzero emission機
旅客機市場でボーイングと張り合う欧州メーカー エアバスが、2035年就航予定で3種類の zero emission 機を開発中で、その内の一つがことの他気に入りました:

動画
(2分50秒から。以下の動画と同じく、音を消して絵だけでも楽しめます)
Blended Wingデザインの水素飛行機だそうです。
2035年まで生きていられるか神のみぞ知るですが、こういう航空機のデザインを見ていると、機体のラインが何とも言えず、時間の経つのも忘れてしまう。美女のミニスカート姿を眺めるより飽きない。我ながら、実に怪しからん話であります。
YouTubeで鑑賞していると、ついでにどうですかと、開発中の超音速旅客機や第6世代と称する戦闘機の動画も出てきます。戦争など望んでいやしませんが、やっぱり戦闘機のカッコいいデザインには勝てない:
超音速旅客機7選
超音速機
第6世代戦闘機
驚くことに Defence Squad というインドの YouTube チャンネル。色々漁った中でこれが一番、戦闘機のデザインに集中した紹介になっています。
こんなものの開発・生産に膨大な金を注ぎ込み、国防を理由にCO2の排出量などお構いなし。誠に良くないこととは知りつつ、機能美だけではない大胆なデザインに、ついつい見とれてしまう。
我ながら怪しからんと思うのですが、映画『インデペンデンス・デイ』がいつ現実となり、宇宙人が有無を言わさず攻めてくるか分らない。その時に備えて戦闘機の開発も必要かな...などと心の中で弁解する。
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ぴあの(15)バッハ:論理的構築の奏でる叙情の調べ
辛い練習の日々(笑)を支えてくれる、バッハのピアノ曲。連載の最後に、前半が特に素敵とか、後半に綺麗な旋律の流れてくる曲、などなどたっぷりご紹介します (以下の曲を見付けた経緯については「ぴあの(8)バッハに開眼:叙情の調べ七選」をご覧下さい)。
長らくご愛読有難うございました。連載は題名を「哀愁の調べ わが心を慰む」と改め、(16) 以降、続いております。
BWV783 Invention no.12
BWV791 Sinfonia no.5
BWV793 Sinfonia no.7
BWV825 Partita no.1
BWV826 Partita No.2
BWV857 平均律クラヴィーア曲集第一巻 No. 12
BWV875 平均律クラヴィーア曲集第二巻 No.6 Prelude and Fugue
BWV882 平均律クラヴィーア曲集第二巻 No. 13 Prelude & Fugue
BWV920 Fantasia
BWV923 Prelude
2分54秒まで。残りはBWV951。
BWV928 Prelude
BWV941 Prelude
BWV944 Fantasia & Fugue
BWV998 Prelude, Fugue & Allegro
BWV1080 フーガの技法 Contrapunctus XIII
1時間05分03秒から09分44秒まで。
そこだけ聴くなど異端だと磯山雅に言われそう... (追伸その四)
追伸その一 余りに有名で誰でも聞いたことがありそうなものは割愛しました。
追伸その二 次の動画にも綺麗な旋律が沢山入っています。8曲の内6つがヴィヴァルディ、マルチェッロ等の編曲です:
Concertos Italiens
各曲の区切りが分らず苦労したので、余計なお世話ですが大体のところを記します:
1. BWV596 Sicilienne du Concerto D minor
(2分25秒)
2. BWV975 Concerto G minor
(11分30秒)
3. BWV590 Aria de la Pastorale C minor
(14分08秒)
4. BWV971 Concerto italien F major
(26分25秒)
5. BWV974 Concerto D minor
(36分33秒)
6. BWV981 Concerto C minor
(46分53秒)
7. BWV973 Concerto G major
(53分54秒)
8. BWV979 Andante du Concerto B minor
追伸その三 オルガン曲のピアノ・バージョンにも魅力的なものが沢山あるが、特にリストのが素晴しい。
BWV542 〜 548
追伸その四 そこだけ聴くなど異端だと磯山雅に言われそう... と言うのも、彼の『バッハ = 魂のエヴァンゲリスト』をそれなりの尊敬をもって読んでいたところ、次のような文言に突き当って我が目を疑いました (第X章 数学的秩序の探求、「《フーガの技法》」の最後から二番目のパラグラフ):
「ひとつの簡単なテーマからいかに多くの対位法的可能性が開示され得るかを体系的に探求しているという点において、《フーガの技法》は、バッハの晩年の作品に共通する問題意識を、極限までつきつめている。生涯にわたってバッハの関心を惹き続けてきた音楽の法則、数学的な論理が、その厳しさもそのままに、いま具体的な作品となって結晶したかのようである。この作品は、そうした本質への洞察を抜きにして感動できるものでも、するべきものでもないと思う...」
と断言しているのです。
「そうした本質への洞察があった方がより深く鑑賞できる、得られる喜びも大きくなる」
なら分りますが、
「それだけの勉強をしてない者には感動できまい、いや感動してはいけないのだ」
って何? そりゃ〜私は、BWV1080の中で Contrapunctus XIII しか美しい旋律だと感じられませんよ。それで何が悪い! 素人が単純に綺麗な旋律だと感動することを排除するかの如き文言は、著者の思い上りではないでしょうか。
追伸その五 連載の(1)に書いたことですが、改めて申し上げます。
この連載では何度もYouTubeの動画をご紹介することになりますが、その度にCMを見させられるのはさぞお腹立ちでございましょう。私も最初はここに悪態の限りを並べましたが、暫く前にYouTubeを一切CM無しで見せてくれるブラウザ "Brave" が見付かり、それ以来YouTubeを悪く言うのを止めることにしました。
何と言っても、バッハにせよイージーリスニングにせよ、一々CDを買わずに色々なものが聞けるのはYouTubeサマのお陰です。CMがお厭な方はBraveをお使いになれば宜しい:
「YouTubeがCM無しで見られるブラウザ"Brave"」
使い始めてもう一年近くなりますが、変なことはされておりません。私などは、何か素敵な曲が見付からないかと動画を片端から開けるものですから、Braveは正に天の助けです。
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ぴあの(14)三冊目の教則本
というわけで、やっぱり何か続きの教則本が欲しい。
実は探すまでもなく、安川加寿子センセイが『ピアノの練習 ABC』の冒頭に、「次は『ラジリテ』よ」と書いてくれてある (L’Agilité 敏捷さの意)。著者は『ピアノの練習 ABC』と同じル・クーペ。
しかし『ピアノレッスンのヒント』に、
『ラジリテ』は『ツェルニー30番』と一部重なる、
『ツェルニー30番』はお楽しみのピアノには必要無し、
と書いてあるんですね〜。これを読んで私は、小学生の頃から親に注意されていた早合点の癖が出て、『ラジリテ』はやらなくていいんだと思い込みました。実際、覗いてみても音階練習が基本でポイントは速度らしいけど、とても出せないレベルです。
さりとて、教則本として練習したのは
『メトードローズ』
『ピアノの練習 ABC』
の二冊だけ、というのも如何にも寒々しい。
あれこれ悩んでいる内に、『ラジリテ』が『ツェルニー30番』に一部重なるとしても、ほんの一部なのかも知れない... とやっと気付いて、参考までに手元に置くことにした。買えば当然、最初の二曲くらいは手を付ける。すると意外や意外、半年前には単なる音階練習にしか見えなかったのに、『ピアノの練習 ABC』と同じ作者とは思えない音楽性が感じられる。
これで今後の戦略 (笑) は決まりました:『ピアノの練習 ABC』の復習及びキャサリン・ロリンの曲と並行して、ぼちりぼちり『ラジリテ』をやる...
な〜んて宣言すると、声が聞こえてきそうです:
『ラジリテ』相手に指定速度の半分も行かない練習して意味あんの?
その通りなんですよね。でも、今更 別系統の教則本で苦労する気にはなれないし、70歳で始めて指が速くしなやかに動くようになるには、とにかく毎日弾いて一年、二年、... と時の経つのを待つしかないのではないか。
思い返せば私がブログを始めたのは2008年。丁度10年目にこんな成り行きになったのは、正に運命としか言いようがありません。だって、
1)私がブログを始めていなければ、
2)浅見光彦シリーズ第50作『貴賓室の怪人』に流れた曲を記事にすることも無く (キャサリン-ジェンキンス "La Califfa")、
3)それが南戸麻亜さんの目に留まることも無く (連載 (1))、
4)映画『プロフェッショナル』主題曲の譜面などもらえず (連載 (1))、
5)右手の旋律あってこそ左手の魅力も生きる... (連載 (2))などと悟ることも無かった。
そういう意味では、そもそも1980年にフランスに留学して日本未公開の『プロフェッショナル』を見ていなければ... ということになり、留学の準備を始めて以来、40年に亘る偶然と必然の戯れを感じるわけであります。
追伸その一 初級の仲間入りをしたのかどうかさえ定かでない私も、一つだけ胸を張って言えることがある。最初の頃は五線を一本一本数えて、一々ドレミファ...と読んで、やっと打つべきキーに辿り着く有様だった。それが漸く、真中のドを起点に上下二オクターブは、譜面の音符から直接鍵盤に行けるようになりました。
でも困ったことに、♯や♭が一つ二つ付いただけで、譜面を見ただけではどんな旋律なのか全く分らない。
追伸その二 それにしても、南戸麻亜さんのアドバイス付き独習にしてほんとに良かった。レッスンなど受けていたら、一年に幾ら払うことになったか分りません。もっと深刻なことには、「年寄りの楽しみだから」と幾ら説明しても中々前に進ませてくれず、『ABC』はおろか『メトードローズ』が終る前に、あの世からお迎えが来てしまったかも知れません。
追伸その三 万一期待なさっているといけませんので申しますが、成果の程をYouTubeで見たいと仰ってもできません。連載 (7)の4) で、「音は合ってるけど、音楽には聞こえない」と言われるに違いないと書いたのが、謙遜ではなく事実なのがバレてしまいます。
それに、YouTubeを始めとする様々なサービスを片端から買収して、「何をするにもGoogleを経由せざるを得なくする」という同社の戦略に反発して、アカウントを捨てましたので (「さらば Androidスマホ、さらば Google...」)、お見せしたくても投稿できないのです。
追伸その四 読者の皆様に誤解の生じないよう、気を付けて作文してきた積りですが、何分素人のこと故、アドバイスにしても事実の記述にしても誤りを免れぬと思います。信ずるも信じないもご自分の判断でお願いします。
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